あなたは大切な人です

主日共同の礼拝説教集

高座教会礼拝堂

キリストを着る - 2017.07.30

2017年7月30日 和田一郎伝道師 創世記1章27節 コロサイの信徒への手紙3章5~17節 今日の説教の題は「キリストを着る」としましたが、日本語では服を着ることを「袖を通す」などと言ったりします。新しい服を着る時などに使う表現だそうです。ただ「服を着る」というのではなく、服に「袖を通す」と言うと、なんとなく新しい服を着る時の新鮮な気持ちが伝わってくる表現です。パウロは、「キリストを着る」という表現をよく使いました。今日の箇所でも「新しい人を身に着けなさ[…続きを読む]

神を知って生きる - 2017.07.23

2017年7月23日夕礼拝 和田一郎伝道師 箴言1章1~7節 コロサイの信徒への手紙1章9~10節 Ⅰ.はじめに わたしの両親はすでに天に召されたのですが、両親の葬儀や納骨、記念会などを通して、両親の兄妹、友人、教会のみなさんと話す機会ができるものです。その時に父や母の昔話しを聞くと、子どもの目から見た父や母とは違った、知らない部分がたくさんあったのだと気づくことがありました。あんなに長い時間を共に過ごしてきたのに、自分が知っているのは、父と母のある一部分[…続きを読む]

彼は傷ついた葦を折らず - 2017.07.23

2017年7月23日 松本雅弘牧師 イザヤ書42章1~4節 マタイによる福音書12章9~21節 Ⅰ.片手の萎えた人 麦畑での安息日論争に区切りをつけた主イエスは、弟子たちと一緒に会堂にお入りになりました。するとそこに片手の萎えた人がいました。同じ出来事を記したルカは、その手が「右手」だったと報告しています。 「右の手」とは「利き手」でしょう。糧を得るために使う手です。物を掴み、物を作り、生活を支えていく手が「右手」です。その「働き者」の「右手」が萎えて動か[…続きを読む]

安息日の主 - 2017.07.16

2017年7月16日 松本雅弘牧師 ホセア書6章1~6節 マタイによる福音書12章1~8節 Ⅰ.ファリサイ派の人々のこだわり 私たち人間は時に、神に勝って宗教的になるという言葉があります。その代表者こそファリサイ派の人々でした。 マタイによる福音書は12章に入って、ファリサイ派の人々と主イエスとの対立は決定的なものとなります。彼らはイエスの殺害計画を立て始めるのです。彼らの目から見てイエスさまは、全く世俗的な存在と映ったのです。それ故に、完璧な仕方でイエス[…続きを読む]

神のめぐみ - 2017.07.09

2017年7月9日夕礼拝 和田一郎伝道師 マラキ書1章11節 コロサイの信徒への手紙1章6~8節 Ⅰ.真理の言葉 今日の聖書箇所は、前回の説教で話しましたパウロが「神へ感謝する」と言っている内容が続いています。3-5節のところでパウロは信仰生活の基本となる「信仰」と「希望」と「愛」について述べました。そしてそれらはお互いに関連をもっていて、中でも「希望」というのは福音を通して知ったのだと語りました。「福音」というのは良い知らせという意味ですが、この良い知ら[…続きを読む]