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主日共同の礼拝説教集

高座教会礼拝堂

岩の上に家を建てる


2016年5月1日
松本雅弘牧師
詩編62編2~13節
マタイによる福音書7章24~29節

Ⅰ.復習

 今日の聖書の箇所は「山上の説教」の結論部分の教えです。今日はここから、岩の上に人生の家を建てることについてご一緒に考えてみたいと思います。

Ⅱ.2つの生き方

 ここでイエスさまは2つの生き方を比較検討します。砂の上に家を建てるような生き方と、岩の上に家を建てるような生き方です。その2つの生き方に共通する点があります。当たり前のことですが、「自分の家を建てた」ということです。
そうして2つ目の共通点が起こります。それぞれの家に「雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかか」りました。ところが、その結末が正反対なのです。片方はびくともしない。ところが片方は倒れた。しかもその「倒れ方がひどかった」のです。どこが違うかと言えば、それは「土台」でした。
ここでイエスさまは、私たちの一度限りの人生を、家を建てることにたとえてお話されました。そして賢い人は岩の上に人生設計する人であり、逆に愚かな人とは、砂の上に人生という家を建てる人のことだと語っています。
いかがでしょう。イエスさまはこの「山上の説教」の締めくくりに当たって言われます。私たちの人生という家が建っている土台、つまり普段は目に見えないこの土台が、何か起こる時に物を言うのだと。そして、この「岩を土台として家を建てる生き方」とは、具体的には「わたしのこれらの言葉を聞いて行う」ことなのだと、イエスさまは言われるのです。

Ⅲ.ベン・ジェイコブとジョン・ウーデン

 この4月から「エクササイズ」の2年目が始まりました。2年目の学びの内容は何かと言えば、まさに、「わたしのこれらの言葉を聞いて行う」生活、つまり、「山上の説教」を土台とした生活を身につけることにあるのです。
この学びの最初に出てくるお話が、ベン・ジェイコブとジョン・ウーデンという名の2人の実在の人物の物語でした。この2人は幾つもの共通点を持っていました。共に1910年生まれ、そして25歳から社会で働き始めます。そして2人ともある意味で成功を収める働きをするのです。ところが、その最後のところで、ジェイコブはとても孤独で寂しい老後を迎え、もう一方のウーデンは人々から慕われる晩年を過ごしたことが紹介されていました。
 もう少し2人のお話を続けます。ジェイコブは、25歳で働き始めるのですが、なんとその年に、日本円で年俸1億円の所得を得ます。その後もビジネスで成功をおさめ、彼の会社には実に多くの従業員が働きました。さらに彼は、居住していた州の中で高額所得番付のトップになったのです。一方、私生活においては、3度の結婚をします。当初、彼はそれを失敗だとは考えていませんでした。美しい女性が現れるとその女性を自分の妻とすることこそ、人生における成功と考えていたからです。その結婚生活で1人の娘を授かります。ビジネスで成功を収め、一緒に生活したい女性と生活を共にする。やりたい放題の生活を送ってきました。
ところが、75歳になった今、高齢者施設で暮らすジェイコブは、本当に惨めでした。財産はたくさんありました。使いきれないほどのお金を持っていました。でも、家族からも相手にされず、一人娘も彼には近寄らず、周りからは煙たがられ、疎んじられ、結局、訪ねて来る友人もなく、老人ホームの中で本当に寂しい人生を送ることになったのです。
彼は成功を手に入れたと思っていたのですが、でもその成功の定義、成功の意味するところが間違っていたことに気づき始めていました。
 さて、もう1人の人物、ウーデンも1910年生まれで、25歳の時に社会で働き始めますが、その時、つまり25歳の時に、自分の人生をキリストの教えに従って建て上げて行こうと決心したというのです。つまり、彼にとっての成功は、ビジネスで成功すること、高額所得者リストに名前を連ねること、好きな女性と好きなように暮らすことではなく、神さまが願うようなウーデンになること、それを人生における成功、人生のゴールと決めたのです。
彼も、この世的に見て成功者でありました。UCLAバスケットボールチームの伝説のコーチと呼ばれる成功を収めるわけです。しかし、それ以上に、彼は、自分が面倒を見た若者たちに、イエスさまの山上の説教に従って生きる生き方が、実は、本当の意味での成功を手に入れる秘訣なのだ、と説き続けていきました。
私生活においては、53年間、妻のネリーさんと連れ添い、愛し続けました。そのネリーさんに先立たれましたが、75歳、すなわち人生の最期のステージにあって、彼は、イエスさまとの再会、そして先に天国への引っ越しをしたネリーさんとの再会を楽しみにしながら暮らしているのです。だからと言って、天国の待合室にただ座っているだけの生活か、と言えば決してそうではありません。彼のところには、常に教え子たちが入れ替わり立ち代わり、彼を慕って訪ねてきていました。ウーデンは、そうした日々を送っていたのです。
 ジェイコブもウーデンも同じ年に生まれ、同じ年に働き始め、それぞれの仕事において成功を収めるのですが、その最後のところで、ジェイコブは巨万の富を築いたにもかかわらず孤独で寂しい老後の時を過ごし、もう片方のウーデンは人々から慕われ、また将来への希望をもって晩年を過ごしているのです。
その違いは何でしょう。今日の聖書で語られるイエスさまの教えによるならば、人生の土台にかかっているというのです。イエスさまの言葉を聞いて行うかどうか、ということです。私は改めて、自分が75歳になった時、ウーデンのようでありたいと切に願わされたことでした。

Ⅳ.私たちの責任

キリストの言葉、聖書という岩を土台として私たちの人生設計をしていくのか、それとも別のものを頼りに生活の安定を図るのか、私たち1人ひとりに、選択すべきこととして示されます。どちらを選択するのか、それは私たちの側の責任です。私は、先ほどお話しした2人の例でいえば、ウーデンのようでありたいと思います。そして、イエスさまも岩を土台とする生き方を選び取るようにと切に勧めているのです。
 キリストの言葉を土台として選ぶことをしなかったジェイコブの、その後のことに触れて終わりにしたいと思います。
ジェイコブは、本当に幸いなことに晩年になってイエス・キリストを信じ、そのお方に従って生きる決心をしたのです。つまり、岩を土台とする生き方を選び直したのです。88歳で召されるまでの13年間、クリスチャンになって彼は本当に変えられた人生を送りました。仲たがいしていた一人娘とも和解することが出来たのです。娘は「晩年の父は、別人のようになって過ごした」と言いました。
ジェイコブにとっての最初の75年間は、確かに世間の物差しでは成功を収めた人の生き方に見えました。しかし、本人にとっては、焦りや不安、敵意や怒りで心が休まる暇もないような、暗い人生の終わりの時を過ごすことになっていたのです。
放蕩息子であったその彼が、75歳になった時に、ようやく父なる神さまのもとに立ち返ることができたのです。神さまのもとに立ち返った彼にとって、地上での最後の13年間こそ、何物にも代えられない神さまに祝された本当に豊かな人生となったのです。何故でしょう? それは、キリストに出会い、キリストの言葉を土台として生きたからです。
「エクササイズ」のテキストでも触れていますが、ジェイコブのような生き方を知らされる時、キリストを信じるのに遅すぎることはないということに、改めて気づかされます。
召されるまでの13年という年月は、88年の生涯の中のほんの僅かな期間だったかもしれません。しかし、永遠というスパンで考えるならば、75年も13年もあまり変わらないのではないかと思います。キリストの言葉を土台として生きることへと導かれた時間の豊かさは、決して、遅すぎること、短すぎることなどないからです。
私たちは過去を変えることはできません。やったことをやらなかったことにすることは出来ないのです。けれでも、これからのことについて、これからどう生きるかについては、私たちの選択にかかっているのです。その選択の結果によって、どのようにでも変わり得るわけですから。
イエスさまは、権威をもって言われます。「賢い方の生き方を選び取りなさい。わたしのこれらの言葉を聞くだけであってはならない。聞いて行う者になりなさい。その人こそ、岩の上に家を建てた賢い人なのだ」と。お祈りいたします。