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主日共同の礼拝説教集

高座教会礼拝堂

安心感を築き上げるもの

2016年7月10日
ファミリーチャペル
松本雅弘牧師
ペトロの手紙一 5章6~7節

Ⅰ.ラビンドラナート・タゴール作、「迷い出た小鳥たち」より

ノーベル文学賞の受賞者、タゴールは、「迷い出た小鳥たち」という詩を書いています。

批判ばかり受けて育った子は 非難ばかりします
敵意に満ちた中で育った子は だれとでも戦います
ひやかしを受けて育った子は はにかみ屋になります
ねたみを受けて育った子は いつも悪いことをしているような気持ちになります
心が寛大な人の中で育った子は がまん強くなります
はげましをうけて育った子は 自信を持ちます
ほめられる中で育った子は いつも感謝することを知ります
公明正大な中で育った子は 正義感を持ちます
思いやりのある中で育った子は 信仰心を持ちます
人に認めてもらえる中で育った子は 自分を大事にします
仲間の愛の中で育った子は 世界に愛を見つけます

この詩を読みますと、私たちがどのように育てられたか、どのように接せられたかによって、私の人生を大きく左右することを知らされるように思います。
今日は、私たちが生きていく上に必要な、もっとも基本的ニーズの1つ、「安心感を築き上げるもの」について、ご一緒に考えてみたいと思います。

Ⅱ.Kさんの場合

Kという名の若者がいました。彼は19歳になり、物凄い不安感に襲われ、助けを求めてカウンセラーのところにやってきた青年でした。何回かカウンセリングを受けていく内に、Kさんについて幾つかわかってきました。
1つは、彼は全く幸せを感じていなかったということ。2つ目に何度か頑張って困難に立ち向かおうと努力するのですが、いつも弱気になって逃げ出してしまう傾向があること。3つ目に未成年であったにもかかわらず、すでにアルコールに頼り始めていたこと。そして4つ目に、現在彼は、全くの行き詰まりを感じていたということです。
担当したカウンセラーは、そうしたKさんの心の中にある叫びに気づいたと言っていました。その叫びとは、「安心感/心に平安が欲しい」という魂の叫びでした。
面談を重ねる中、彼は自分の生い立ち、特に家庭のことを語り始めていきました。彼は、家の中で両親が仲良くしている姿を一度も見たことがない、というのです。顔を合わせると、決まって口論が始まりました。両親の間には、常に緊張感があったのです。
Kさんにとっては母親も父親も自分の大切な親です。その大切な母親と父親が不仲で、いつもピリピリしている。家庭の中は本当に居心地が悪かったのです。そして、子どもとしての彼の心配は、いつか両親は別れてしまうのではないか、ということだったそうです。
自分の存在、自分の生活を支えてくれるはずの両親が、顔を合わせるたびに言い争っている。そんな姿を見ることほど、子どもにとって辛いことはありません。
さて、Kさんの家庭には、もう1つの特徴がありました。かなり頻繁に引っ越しをする家庭だったということです。仕事の関係で仕方がないことだったのかもしれませんが、このためにKさんは、〈またいつ引っ越すかも分からない〉ということで、落ち着いて友だちを作ることも出来ず、なおかつ、「心のふるさと」と呼べる場所を持つことが出来なかったようなのです。
さらに、面談を通して、こんなことも分かってきました。それは、Kさんの中に、「していいことと、してはいけないこと」の「境界線/バンダリー」が曖昧だった、ということです。
言い方を換えるならば、Kさんは「適切なしつけ」を受けずに育ってしまった、ということです。
両親は、機嫌のいい時には何でも大目に見て、甘やかせるようなことをしましたが、2人が険悪な状態の時には、その怒りのとばっちりがKさんに向かうことがよくあったそうです。
両親が、ルールや制約を設けて子どもと接することは、一見、不自由さや窮屈さを押し付けられたという印象を持ちます。ですから時に、子どもたちは、友だちの家と自分の家を比べて、親への不満をもち、親に要求を押し付けてくることもあります。しかし他方で、こうした、その家のルールがあることによって、子どもたちは、両親が自分に無関心ではなく、自分のことを真面目に考えてくれているという「安心感」の意識が与えられると言われています。

Ⅲ.安心感を築き上げるもの

もう一度、Kさんの話に戻りたいと思います。子どもの頃、Kさんの誕生日、またクリスマスなどに、両親は彼に本当にたくさんのプレゼントを与えたそうです。でも、全然嬉しくありませんでした。彼が一番欲しかったのは、プレゼントよりも、親自身の心、親からの思いやりだったからです。成長するにつれて、そうした親からのプレゼントは彼の心を白けさせていきました。
プレゼントや、友人と比べても多く貰えたお小遣いは、結局のところ、両親自身がKさんに与えることができない愛情、あるいは時間の「代用物」でしかなかったのだ、と気づいていたからです。このようにしてKさんは、小さい頃から不安感を募らせ、自分自身を受け入れることに困難を覚えてきました。その結果、自己否定から来る変身願望の強い子へと「成長」していったのです。

Ⅳ.神さまに愛されているように

いかがでしょうか? 私たち、特に親である私たちは、子どもが健やかに成長していく上に欠かすことのできない「安心感(心の平安)」というものをその心にもたらすために、子どもとどのように関わったらよいのでしょうか。答えはKさんの両親の逆を行くこと。それが正解です。ただ、ここでもう一度、立ちどまって考えて見る時に、実は、もう1つ最大の問題が残されていることに気づきます。それは正解を知っていても、実行に移せない私自身がいるという問題です。
タゴールが彼の詩で言っていること、それは、私たちは扱われたように人と接するということでしょう。今はやりの言葉を使えば「連鎖」ということです。
子どもたちが健やかに生きていく上で、心の安心感が必要なわけですが、そのためには、まず私たち大人が安心感をもって暮らしているかどうか、そのことにかかっているということでしょう。
もしかしたら親である私自身がKさんのような環境で育ってきたかもしれません。そうした者が今、子を持つ親になっているかもしれないのです。どうしたらいいのでしょうか? 今日の聖書の言葉を見ていただきたいのです。「だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけてくださるからです。」
(Ⅰペトロ5:6-7)
神さまが私のことを心にかけてくださっています。だから、様々な不安を神さまに委ねなさいと、聖書は語っているのです。不安の原因が分かれば、それを神さまに委ねましょう。神さまがあなたがたのことを覚えて最善をなしてくださるのですから。
冒頭のタゴールの詩は一般論として真理です。その後半を見ますと、心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります。励ましを受けて育った子は、自信を持ちます。褒められる中で育った子は、いつも感謝することを知るでしょう。公明正大な中で育った子は、正義心を持ちます。思いやりのある中で育った子は、信仰心を持ちます。人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大事に出来るのです。そして、仲間の愛の中で育った子は、世界に愛をみつけることが出来ます。
私は、この詩を読みながら、ああ、私に対して寛大であり、私に対して励ましを与え、私をほめ、祝福し、公明正大であり、思いやりを持って私を見、誰よりも私の味方になってくれた方、それは神さまだと思いました。勿論、私の両親も愛情を注いで育ててくれました。そのことは感謝しています。しかし、やはり神さまの力によって支えられてきたのです。
その神さまの愛に触れ続ける中で、不思議と、まず私自身の心に安心感が与えられていくのです。その結果として、安心感をもって、子どもや周囲の人と接する私へと変えられていることに気づかされるのです。
私たちのことを心にかけてくださる神様に委ね、お任せする中で、私たちの心に「安心感を築き上げていく」ために必要な一つひとつの要素が満たされていくことだと思います。お祈りします。