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主日共同の礼拝説教集

高座教会礼拝堂

親よりも、子どもよりも夫婦― 夫婦関係の排他性

2017年3月12日
ファミリーチャペル
松本雅弘牧師
創世記2章18~25節

Ⅰ.夫婦関係の排他性

創世記2章24節には夫婦関係における排他性が教えられています。
結婚の目的が、一緒に生きるということならば、もしかしたら、ここで「男は父母を離れて女と結ばれ」と書かれている箇所は単に「男は女と結ばれ」だけでもいいように思いますが、聖書はわざわざ念を押すように、「父母を離れて」という言葉を挿入し、「父母を離れること」が幸いな結婚生活に不可欠な条件だ、と教えているのです。
これは、今日は説教の副題の「夫婦関係における排他性」ということです。「排他性」とは厳しい響きがあります。これは夫婦の間に他のどんなものも入り込ませてはならない、ということを意味しているのですから。
しかし、聖書を読めば読むほど、まさに、そうしたことを大切にするように教えられていることが明らかにされていきます。つまり、夫婦の間には、夫婦以外のどんなものも入り込ませてはならない。もし何かが入って来たならば、夫婦関係は簡単に崩れて行きますよ、という意味なのです。
先週、「マリッジコース」という集会がありました。その時のテーマは「衝突を解決する」というもので、私たち夫婦が進行役を務めさせていただきました。
テキストに「どんな夫婦でも衝突することがあるのはどうしてか?」と問いかけがあり、その理由は、「夫婦は互いに、違う者同士だから」、と教えられていました。
私たち夫婦も結婚当初は、よく衝突しました。それぞれ育った家庭環境が全く違います。妻の父親は、アメリカ生まれの日系二世です。また母親の方も、妻から見れば祖父にあたる父親は若い頃、ロシアでバレエをしていた人でした。
その母親の実家に遊びに行ったことがありますが、建物自体も古い洋館で、すべてが洋風な家庭でした。男性が優しい、というか、女性が強いのです。レディー・ファースト、なのです。それに対して私が育った家庭は、亭主関白。典型的な日本の家庭でした。妻と私の実家、それぞれの家庭の中で夫婦の関係が真逆なのです。それで、妻はいちいち私の言うことにつっかかって来る。
私の方の母はと言えば、父親の言うことに何も言わずに従うタイプでしたのに、妻は、私に口答えしてくる、意見が対立するのです。場合によっては議論で負けてしまうのです。
ある時、私は妻に、「こんな喧嘩は嫌だ」と強く伝えました。すると妻はびっくりした顔をして、「雅弘さん、これはケンカではありません。話し合いです」と言ったのです。私も単純なので、「話し合いだったらいいか」と思い、それ以来、話し合いが続いています。
当たり前なのですが、結婚した後、想像以上に自分の育った家庭の文化を引きずっているのです。何で衝突するのかといえば、どちらか一方が自分の生まれ育った家庭の文化を相手に押し付けようとするからです。
結婚式場に行くと、一般に「誰々家、誰々家 結婚式場」と看板に書かれています。しかし聖書の考え方による結婚式では、例えば、私たちの場合でしたら「松本雅弘、中山徳子 結婚式場」となります。
つまり家と家の結婚ではなく、それぞれの家から離れた男女が結ばれ、新しく2人の家庭を作ることのスタートの式ですから、「誰々と誰々の結婚式」となるのです。
結婚の前提として「父母を離れる」と言うのはそういう意味です。そして、これは父母だけの問題ではなく、夫婦の間には、他の男性女性は勿論、仕事関係や友人との付き合いなど、そうしたもの全てが、決して間に入ってはいけないのです。ただ、その中でも一番入って来やすいのが、父母なのだ、というのが聖書の主張です。

Ⅱ.夫婦の関係は相手があって初めて成り立つ関係

ところで、結婚関係、この夫婦の関係は、相手があって初めて成り立つ関係です。当たり前ですが、夫は自分1人では夫になれませんし、妻も夫がいるから妻なわけです。「自分には夫はいませんが、私は妻です」という言い方は成り立たたないわけで、必ず「誰々さんの夫」、妻は「誰々さんの妻」です。こうした性格を持つ夫婦という関係を保つには、互いに対してしっかりと向き合っていることが大事になります。
ところが、現実はどうかと言うと、結婚してしばらくすると、この基本が危うくなるのです。ここでまさに「父母を離れる」という「親離れ」が問われてきます。別の言い方をすれば、夫婦の間に、別の何かが入り込むことが起こるのです。

Ⅲ.夫婦の関係が祝されると家庭も祝福を受ける

結婚してしばらくすると、夫も妻もそれぞれの役割が増えて来ます。夫は会社が忙しくなり、また、子どもが与えられれば、妻は母親としての働きが求められてきます。夫の会社での責任が増え、妻との時間がなかなか持てない。次第に妻にとって夫が物理的にも精神的にも疎遠な存在になってしまう。
その結果、妻は自分を「妻」として意識する機会が少なくなります。ふと、「私は一体、何なのかしら?」と思って周りを見回してみた時に、そこに子どもが居たことに改めて気づかされる。その瞬間、突然スイッチが入り、よい母親であることに自分の存在価値を見出すようになっていく。勿論、母親であることの自覚は当然で尊いことです。決して間違っていません。ただ、問題は、夫と妻という関係の中で初めて満たされるべき心のニーズを、夫の存在が希薄であるがために、どうしても、子どもとの関係の中で満たそうとする。そのところに、問題が起こるということだと思うのです。
以前、ファミリーチャペルの時に、結婚カウンセラーで津田塾大学の講師をされている村瀬幸治さんの書いた文章を紹介させていただきました。村瀬さんは、最近の親の、子どもへの過干渉に触れ、「なぜ親はそんなに子どもに執着するのか」、と問題提起し、その理由は「親が1人の大人として、安心して生きていないからではないか。子どもとのかかわりのなかでしか、自分の存在感を感じることが出来ないとか、・・」と語っていました。
村瀬さんに言わせると、そうした家庭は夫婦が共に生活しているというよりも、「夫という名の会社員」と「妻という名の母親」が同居している状態に過ぎないのではないか、というのです。
自分が子どもの頃のことを思い出す時、何が安心で幸せかと言えば、お父さんとお母さんが互いを大切にし合っている姿を見る時だったと思います。そうした、夫婦が中心の家庭の中で子どもは安らぎを感じるのです。
このようなお話をしますと、そんなことをしたら子どもがひがむのではないかと反論する人もいますが、そうではありません。
逆に妻が妻であることを忘れ、子ども一辺倒の母親として世話を焼き、子どもを可愛がったとしても、たぶん子どもは幸せを感じないでしょう。「ボクはいいから、お父さんを大事にして」と思うのではないでしょうか。
また「俺が稼がなければ、お前たちは食べていけないんだから」と言って、いつも仕事のことしか考えていない。罪滅ぼしのように物を買い与え家の中を整えたとしても、誰が幸せを感じるでしょう。お金で建てられるのは「ハウス」であっても「ホーム」ではない。それは夫と妻で協力して形成するものです。ハウスがあっても、ホーム(家庭)がなければ誰が幸せになれるでしょう。そんな家の子どもに訊けば、「親父、お袋をかまってやってくれよ。そうでなければ、安心して、あんたたち二人を置いて、オレ、結婚もできやしないじゃないか」と心の中で訴えているのではないかと思うのです。

Ⅳ.親よりも、子どもよりも、夫婦が大切

先日、物干しに干してある洗濯物の少ないのを見て、子どもたちは巣立っていくんだなぁ、と改めて実感しました。どんなに手がかかっても、いつかは巣立って行きます。仕事も同じです。どんなにやりがいのある仕事であっても、いつか後輩にバトンタッチしていくものです。でも夫婦関係は違います。どちらかが天に召されるまでずっと続きます。私たちの失敗は、変わるものに目を奪われすぎることです。そしてもう1つ、変わらないもの、変えてはいけないものを軽く扱ってしまうこと、おろそかにしてしまうことです。
聖書は語ります。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」。
最後に、皆さんに質問して終わりにしたいと思います。もし、奥さまに、「私と両親とどっちが大事なの!?」と訊かれたら何と答えますか。旦那さんに、「俺と子どもとどっちが大切なんだ!?」と質問されたら、どう答えるでしょうか? そう、躊躇なく、「もちろん、君だよ」、「もちろん、あなたよ」と答えていただきたいと思います。まずは夫婦の関係を優先して生きる時、結果として、父母との関係も親子の関係も祝福されるからです。お祈りします。