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主日共同の礼拝説教集

高座教会礼拝堂

報われないように思う時も

2017年11月26日
松本雅弘牧師
エゼキエル書14章21~23節
マタイによる福音書13章51~58節

Ⅰ.主イエスの弟子訓練の仕方

イエスさまは弟子たちと旅をし、生活を共にする中で弟子訓練をされました。ですから、イエスさまが「隣り人を愛せよ」と教えられた時に、互いに隣り人として召されていた弟子たちにとって、実際にそりの合わない者同士は、イエスさまのこの言葉によって本当に試されたと思います。そのようにして、弟子たちは、否が応でも信仰を働かせて御言葉を実生活に適用するというチャレンジをいただき、主に従う者として訓練されたのだと思います。

Ⅱ.天国のことを学んだ学者

そうした弟子たちに対して、一連の「天の国」のたとえ話を話された後で、イエスさまは「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている」と言われたのです。つまり主イエスは「あなたがたはもう学者だ。天国のことを学んだ学者、神の国についての専門家だ」と言われるのです。
では、天国のことを学んだ学者とはどういう者なのでしょうか。イエスさまによれば、本当の学者は「自分の倉から新しいものと古いものを取り出」せるのです。
イエスさまから初めて学んだ「新しいもの」も、主イエスよりも前の人によってすでに語り伝えられて来た「古いもの」も、学者とは、そうした「新しい教え」、「古い教え」すべてが自分の手の中にあって、自由に語り出すことができる。あるいは、そうした事をすべて心得ている者。それがあなたたちだ、というのです。
イエスさまの弟子たちは、律法学者のように立派な教育を受けてはいませんでした。しかし、イエス・キリストという最高の先生から直々に習うことができていたからです。

Ⅲ.つまずき

さて、イエスさまは、その後、そこを去って故郷のナザレにお帰りになりました。ナザレの人々は、「天の国」のたとえを聞いた弟子たちとは対照的な反応を示しました。それはつまずきです。彼らはイエスさまの言葉や業を、神からの権威と結びつけることをしていません。いや、それが出来ませんでした。
イエスさまの生い立ちや家族を知っていることが、かえって彼らのつまずきとなったのです。イエスさまの中に働いている神の力を認めることをせずに、人間的なレベルで、自分たちの考えの枠組みの中で、心の中に生じた驚きを解消しようとしたのです。ですから、「いや、あの大工の息子がそんな人間であるはずがない」という方向へ行ってしまったのです。そのようにして、ナザレの人々はせっかくのチャンスを無駄にしてしまいました。58節には、「人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった」と、厳しい言葉を聖書は記しています。
この福音書を書いたマタイは、イエスさまの故郷ナザレの人々は不信仰だったと伝えます。
驚き、つまずいたこの人々は、この時、主イエスからの教えを会堂で聞いていたのです。ですから信仰のある人々でした。ただ、信仰があっても不信仰の状態が起こり得るということなのです。ここに、不信仰の恐ろしさがあるように思います。
では聖書のいう不信仰とは何でしょう。不信仰とは、自分の考え方の枠組みを変えずに、神の御力や御業を自分の枠組みにはめ込んで受け止めようとする信仰の姿勢のことを言うのです。信仰がないということではないのです。
ナザレの人々は、自分たちの枠組みの中に主イエスを押し込んで、せっかく神さまがそれぞれの心の中におこしてくださった驚きを、無難な仕方で落ち着かせようとする。解消しようとするのです。これが不信仰です。その結果イエスさまのナザレでの奇跡の業は、制限されて行ったということです。「人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。」とある通りです。

Ⅳ.報われないように思う時も

今日の箇所にイエスさまの母親は「マリア」と名前が出て来ます。その後兄弟たちの名前がありますが父親ヨセフの名前が出てこないのです。間接的な仕方で、「大工の息子」と記されているだけです。
男性中心の当時の習慣として、これは不思議であると言われます。ここで、多くの人が想像するのですが、父親のヨセフはイエスさまが12歳の時には生きていたのだけれども、家族を遺して死んでしまったのだろう。それも早い時期にそうなったのではないかと言われます。つまりイエスさまの家は母子家庭で、しかも子だくさん、女手一つで育て上げることは容易なことではなかったように思います。
聖書は、イエスさま誕生の経緯を伝えています。マタイによる福音書によると、婚約者のヨセフはマリアの妊娠の事実を、最初は受け入れられずに苦しみました。しかし、神さまの導きにより、ヨセフは神の御業を受け入れマリアと結婚します。
その後、皇帝アウグストゥスの勅令によりベツレヘムへの長い旅をし、やっとのことでベツレヘムに到着しました。そこはヨセフの故郷です。当然、親戚もいたはずです。ところが、ベツレヘムの人々がヨセフとマリアに対して物凄く冷たかったのです。敷居をまたがせないのです。
そのことについて聖書は「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」と表現しました。聖書学者は、ベツレヘムの人々の冷たさは、すでにベツレヘムにまで届いていたマリアの妊娠をめぐる噂のせいだった、と解釈します。
遠いベツレヘムにおいてさえそうだったとしたら、実際に生活をしていたナザレの人々はどうだったのだろうかと、私たちは想像します。
婚約者であったヨセフですら最初は疑っていたほどです。他人であるナザレの人々が、イエスさまの出生の真実を理解していたかどうかは怪しいものです。
「マリアの妊娠はナザレの村においてスキャンダルとして受けとめられたのではないか」との聖書学者のコメントがあります。「スキャンダル」と言う言葉は、57節にある「人々はイエスにつまずいた」という言葉の「つまずく」のギリシャ語、「スカンダリゾウ」という言葉が語源となっているのです。
イエスさまがベツレヘムで誕生なさった後、すぐにナザレに戻っては来ませんでした。ヘロデの難を逃れ、誕生したばかりのイエスさまは、両親に連れられて、政治難民としてエジプトに寄留したのです。
どれほどの期間エジプトに居たのかは分かりませんが、そうした中でひとつ言えることは、人間の生育にとっての大切な0歳から3歳までの期間、そのすべて、あるいは一部かもしれませんが、イエスさまはエジプトで生活されたのです。主イエスの「育ち」に少なからぬ影響をもたらしたことは間違いないでしょう。大切な幼少期を、必ずしも恵まれた環境とは言えない厳しさの中で送られたのです。
エジプト寄留の期間、イエスさまはご自分の家庭がエジプト人や他の家庭に比べて経済的に貧しいということを肌で感じとって行ったことでしょう。同時に、言葉も文化も異なる外国暮らしの中で、自分を育てるために、普通ではないほどの苦労をして懸命に働くヨセフとマリアの姿を、イエスさまはしっかりと見て育ったのではないでしょうか。
当時、エジプトにもユダヤ人のコミュニティーがあったと思われます。自分たちと同様、外国からやって来た、同じような境遇の人たちが経済的、社会的、精神的にも、とても過酷な暮らしをしている姿を、主は幼いながらもしっかりと見、ご自分の魂に刻んで成長されたのではないかと思います。
そのイエスさまが成人し、メシアとしての活動に入られ、貧しい人々、当時、「罪人」と呼ばれ、社会から疎外されていた人々、障碍を抱え、病に苦しむ人々と接していかれるのですが、そうした彼らに対するイエスさまの言動は、ほんとうに温かで優しい! のです。人々の痛みや苦しみに寄り添って、信じられないような深い愛情を持って関わっている主イエスの姿が、聖書のいたるところに出て来ます。なぜそうした生き方ができたのでしょうか。なぜそこまで温かで優しく接することができたのでしょう。
イエスさまが神の御子だったからでしょうか。そのとおりでしょう。しかし、それに加えて私は思うのです。エジプトでの子ども時代の苦労があったから。苦難の中で、自分のことを大事に育ててくれたお父さんとお母さんの懸命な姿を見ながら大きくなったからだと思うのです。そして、近所の貧しい人々と一緒に暮らしたエジプトでの「生きた経験」があったからこそ、弱い人、外国から来た人、障碍や病いを抱えた人、大きな失敗をしてしまった人々に対して、イエスさまの愛の心が、自然に溢れるように流れ出て行ったのだと思います。すべての経験が決して無駄ではなかった、むしろ、神さまの恵みの中で実を結んだのです。
私たちにも、「何故?」と訴えたくなるような出来事が起こることでしょう。報われないように思う時があります。しかし、それで御終いではありません。私たちの主イエスさまも、そうした経験をなさって来られたのです。その主にあって万事が益と変えられる時がやって来るのです。それが主の約束です。
絨毯の表側に、主が描いてくださった恵みの絵柄を見せていただく時が必ずやってくる。私たちはそのことを信じて歩むことが許されているのです。
報われないように思う時も、恵みの主は、私と共におられるからです。お祈りします。