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主日共同の礼拝説教

いったいこれはどういう人だ

2018年3月25日
受難節第6主日
和田一郎副牧師
ゼカリヤ書9章9~11節
マタイによる福音書21章1~11節

Ⅰ.はじめに

2千年前、エルサレムでは過越しの祭りが行われようとしていましたが、この時代も混沌とした時代でした。特にユダヤ人にとっては、自分の国をローマ帝国に支配されていましたから、違う神を崇める異邦人によって支配されているという屈辱感がありました。そのような闇の中に光を灯す存在として、来られたのがイエス様でした。多くの人々が、イエス様の話しを聞きたいと願って集まったのです。混沌とした時代に、新しい異質な何かが現れ、希望のもてない生活の中に何か光るものがやって来た。それに多くの人が期待したのです。
それと同時に、これを恐れた人々がいました。ユダヤの律法学者や祭司長たちは、自分たちの立場を危うくする身の危険を、このイエス様に感じました。群衆がこのイエス様をユダヤの救い主である王として支持すれば、権力者たちに認められていた立場がなくなってしまう恐れがありました。このように、群衆の期待と権力者たちの恐れは、イエス様一行がエルサレムに近づくにつれて高まっていきます。そしてイエス様が十字架に架かるまでの、最後の5日間がエルサレム入城で始まります。

Ⅱ.エルサレムの途上で

イエス様がエルサレムに行かれるのは、もちろん初めてではありません。しかし、今回のエルサレムへの旅はそれまでとは違ったものです。ご自分の死と復活を弟子達に予告したうえで、ご自身も十字架に架かることを心に決めて、エルサレムに向かっていました。その予告というのは、こういったものです。「わたしはエルサレムに上っていくが、祭司長や律法学者に引き渡され、死刑を宣告され、異邦人によって十字架につけられる。しかし、わたしは三日目に必ず復活する」というものでした。弟子達はこの受難の予告を理解できませんでしたし、理解しようともしませんでした。これからユダヤの王になると期待しているのに、死刑とか十字架とかわけがわからないことを言わないで欲しいとしか思っていませんでした。エルサレムに一緒に向かって行くイエス様と弟子達の間には、行く方向は同じでも、あまりにも大きな隔たりがあったのです。
イエス様は他にも心に決めていたことがありました。それは、いつ自分が十字架に架かるのかということです。そしてそれは過越しの祭りの日でなければ、なりませんでした。過越しの祭りは出エジプトを記念する祭りです。モーセとイスラエルの民がエジプトから逃れる時、生け贄として小羊を屠り、その小羊の血を家の入口に塗ることでイスラエルの民の命は助かりました。そしてエジプトからの解放は、これから起こる十字架による全人類の解放を預言していました。ですから神の子羊であるキリストが、この祭りの日に死ぬことによって預言は成就します。そのたった一日の過越しの祭りが、次の金曜日に迫っていました。

Ⅲ.子ロバに乗って

イエス様は滞在していたべタニアの村を出て、エルサレムに向かって歩いていかれました。エルサレムまでの距離はおおよそ3キロメートル、歩いて1時間ぐらいでしょうか、その途中にあるベトファゲという村を通りかかると、イエス様は二人の弟子を遣わして子ロバを調達してくるように、告げられました。二人の弟子が行ってみると、まだ誰も乗ったことのない、子ロバと親のロバが木の幹に繋がれています。イエス様は、二人の弟子に「主がお入り用なのです」と言いなさい、と命じました。その通りに言うと、何の疑いももたれずにロバを手に入れることができました。
これは、今日お読みしました旧約聖書ゼカリヤ書9章で、キリストご自身について書かれていることを成就させようと心に決めておられたからです。
「見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って」。(ゼカリヤ書9章9節)
王や将軍でしたら立派な馬に乗って入城するのが相応しいでしょう。歴史を見ても優れた武将であればあるほど、乗っている馬も名馬です。ナポレオンが馬に乗っている姿も絵に描かれていますが、そのような名馬に乗って現れたら、乗っている人も堂々と見えたでしょう。しかし、イエス・キリストがエルサレムに入場する時に乗っていたのはロバです。それも子ロバ、おおよそあらゆる動物の中でも、極めて穏やかで控えめな動物、それも子ロバにのって行かれたのです。
しかし、これもゼカリヤ書に記された預言の成就ですが、その理由がありました。ゼカリヤ書には続いてこうあります。「わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ。」(ゼカリヤ書9章10節)
イエス様は、人間の高ぶりを絶ち、平和を成す人として来られました。高ぶる者としてではなく仕える者として来られました。子ロバに乗ってエルサレムに向かって行かれたのは、平和の主であることのしるしでした。

Ⅳ.「みんな」と一緒

エルサレムの東側には、オリーブ山というこんもりとした丘がありました。ロバに乗ったイエス様の一行が、オリーブ山の山頂を通ってエルサレムの町へと下っていきます。「イエス様がエルサレムにやって来る」その噂を聞きつけた人々は、ナツメヤシの枝を持って待っていました。ナツメヤシのことを棕梠と訳します。
過越しの祭りの為に、いつもでしたら6万人程のエルサレムの住民でしたが、その十倍以上の人々で膨れ上がり、人、人、人でごった返していました。その群衆が押し寄せてきて、今か、今かとイエス様が来るのを待っていたのです。オリーブ山から降りてくるイエス様を見て、人々は熱狂しました。子ロバに乗ってエルサレムに近づいてくると群衆は、ナツメヤシの枝を道に敷き始めました。それどころか上着を脱いで、上着までも道に敷きました。かくしてメシアが通る道ができると、群衆は賛美をし始めました。
「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」。ホサナは「主よ我を救いたまえ」の意味です。イエス様を救い主として、群衆は熱狂的に迎えました。

Ⅴ.「いったいこれはどういう人だ」

熱狂する群衆に圧倒されるように、肩を落としているのがユダヤ人の権力者たちでした。彼らは「見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。」と苦々しい思いで見つめていました。過越しの祭りに集まった人々の期待、歓喜、不安、疑い、落胆、これらが入り混じった凄まじいエネルギーがエルサレムを覆っていました。その空気に戸惑うある人たちは「いったいこれはどういう人だ」、と口にしたのです。群衆は「預言者だ」「救い主だ」「ユダヤの王だ」と叫んでいました。しかし、この数日後には、彼らがイエス様を「十字架につけよ」と、手のひらを返すように叫ぶことを私たちは知っています、そしてイエス様もそれを知っていました。エルサレムにいた人たちは、十字架の出来事の後でもそう言ったのではないでしょうか。「いったいこれはどういう人だ」と。
そして、わたしたちも同じです。イエス・キリストをどのように考えればいいでしょうか」。恐らく私たちは、あの群衆の中の一人です。イエス様のことを期待し、喜び、不安になり、疑いをもったり落胆する。いったいこの人は、自分の人生にどう関わる人だろうか?と。
わたしたちは一人で生きていけません。この世にいる「みんな」の中で生きています。
「みんな」の中にいることは安心があります。時として「みんな」は、正しいという考えがあります。寄らば大樹の陰とか、みんなでやればそれが正しいなどと思ってしまいます。そしてこれは民主主義の大きな欠点でもあります。
「みんな」の意見であれば納得することはできても、真理はいつも少数派によって主張されてきたことを歴史は物語っています。群衆の意見が正しいという考えをもつと、群衆におもねるようになり、群衆を操作しようとすることが行われていきます。そして、今の時代は、「共感」さえすれば「みんな」は集まるようです。
そのような「みんな」からの称賛も、あざけりにも真理はありません。しかし、あのエルサレムの熱狂の中で、一人心が冷めている人がいました。それはイエス様です。大群衆の歓喜も称賛もイエス様に向けられていましたが、そのイエス様は人々の称賛に溺れなかった。それは、このお方に真理があったからです。わたしはこの揺るぎないイエス様に、自分の人生に関わって欲しいと思うのです。わたしだけではなく、家族や大切な人たちも、揺るぎないイエス様と関わり続けて欲しいと思うのです。それはこの方の真理が揺るぎないものであると思えるからです。イエス様は「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」と言われました。そして、この道を歩きなさいと招いてくださっています。あのエルサレムに入城された時も、二千年たった今も、この道を一人でも多くの人たちと歩むことを、イエス様は望んでおられます。今日から受難週を迎えます。主イエスの受難を覚えて、この一週間を共に十字架へ向かって歩んでいきましょう。お祈りをします。

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平和と喜びの食事

2018年3月18日
受難節第5主日
松本雅弘牧師
イザヤ書35章3~10節
マタイによる福音書14章13~21節

Ⅰ.「イエスはこれを聞くと…」

今日お読みした聖書の箇所は、こういう言葉で始まっています。「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた」。この時イエスさまは、いったい何を聞かれたのか。何を耳にされたのでしょうか。
前後関係を考えて読むと、イエスさまが聞かれた「これ」とは、明らかにヘロデの御自分に対する殺意と考えられます。
ヘロデが自分を殺そうとしているという噂を聞いて、イエスさまは「舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた」と、マタイは伝えています。そのようにして人里離れたところに行かれたイエスさまでしたが、群衆は、イエスさまをひとりにさせてはくれません。
後を追ってついてきた群衆をご覧になった主イエスは、彼らを「深く憐れみ、その中の病人をいやされた」のです。
主イエスのこうした姿を初代教会の兄弟姉妹が覚えて、使徒言行録の中で「聖なる僕、イエス」と告白し祈っています(4:27,30)。イエスさまの姿は、まさにその通り「聖なる僕」のお姿だったのです。
ですから、この「5千人の給食」の場面でも主イエスは「僕」として群衆と共におられました。彼らのために仕え尽くされたのです。そして、やがて主イエスはその彼らに捨てられ、支配者たちの手に渡され殺されます。そのようにして、主は先駆者ヨハネの後を追って行かれました。
しかし、ヨハネは甦ることはありませんでしたが、イエスは復活したとマタイは伝えていきます。こうした大きな文脈の中で「5つのパンと2匹の魚」の奇跡が語られているのです。

Ⅱ.みなが満足する平和と喜びの食事

さて、夕方になっても主イエスは病人の癒しをやめられません。心配した弟子たちが、群衆を解散させ、自分で村へ食べ物を買いに行くように言って欲しいと、主に願います。ところが、主は弟子たちに対して「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」と言われ、彼らの手元にあった5つのパンと2匹の魚で人々を養われたのです。食べた人々は全て満足しました。

Ⅲ.ヘロデのパーティーとイエスのパーティー

多くの説教者がこの出来事をヘロデの誕生パーティーと比較して見ています。
最初のパーティーの主人はヘロデです。そこには限られた人だけしか招待されません。客は誰もが選りすぐりの人たちです。食事、もてなしは超高級でした。ただどんなに豪華であっても楽しめた人は少なかったことでしょう。宴の後半に、ヨハネの首が盆に載せられて運ばれてきたのですから。
一方の野外パーティーは極端に質素です。ご馳走は5つのパンと2匹の魚だけです。でも不思議なことに、みんなが心行くまで食べ喜びに満たされました。心からの笑いがあり、子どもたちも走り回り、女性たちも喜んでいたことでしょう。
ヘロデのパーティーには客と給仕役がいました。でも野外パーティーの方は全てが招待された人、と同時に全てが給仕の奉仕に関わった。つまり「隔て」がありませんでした。
ヘロデのパーティーの主人はヘロデ、陰ではヘロディアが操っていたかもしれません。それに対して野外パーティーの主人は主イエスです。何も強制せず、見返りを求めず、与える一方です。ですから食卓は喜びに溢れ、自由に包まれていたのです。

Ⅳ.本当の平和と喜び

ところでヘロデのパーティーには踊りを披露したヘロディアの娘がいました。サロメです。今回初めて知ったのですが聖書には「サロメ」という名前が一度も出てこないのです。確かにマタイには出て来ません。でもマルコかルカにはサロメの名前が出て来るのだろうと思い込んでいました。しかし調べて見ましたら、そこにサロメの名前はないのです。ではどこに出て来るかといえば歴史の資料です。そこに「ヘロディアの娘はサロメであった」と書かれてあるのです。ですから当然のことのように、この娘をサロメと呼んでお話をさせていただきました。
では聖書は何故、もしかしたら彼女の名前はサロメであるということを知っていながら、それでも書こうとしなかったのか、と思います。答えは分かりません。でも1つ、興味深いことがありました。それは、この「サロメ」という名前がヘブライ語の「シャローム」という言葉に由来しているというのです。「シャローム」とは平和、平安、繁栄を意味する言葉です。
ヘロデが主宰した豪華なパーティーは、ある種の繁栄、シャロームの象徴でもあったでしょう。自分に逆らう者を押さえつけ、場合によっては殺しまでして成り立つ「サロメ/シャローム」です。それに対して、主イエスが主宰したパーティーは、繁栄というには程遠いのですが、でも誰もが感じることの出来る「まことのシャローム」がそこにはありました。
それはとても質素なパーティーです。しかし、はっきり言えることは、ヘロデのパーティーにはない豊かさがありました。お金で買えない豊かさです。神さまがくださるシャローム、イエスさまが与えて下さるシャロームとは、誰かが誰かを押さえつけて成り立つものではなく、共に生きる中で成り立つ平和であることを改めて教えられるのです。
先週私たちは、森友学園の用地売却を巡る財務省内での文書書き換えの事件に遭遇しました。テレビを観ていましたら、元財務官僚の女性が省内での「常識」について話していました。省内では出身大学は聞かない。その代りに出身高校を聞くそうです。何故ならほとんどの人が東大出身だからです。
周りの出演者は苦笑していました。彼女の話を聞きながら、大学時代の友人を思い出していました。彼から似たような話を何度も聞きました。クリスチャンになりたての私は聖書の価値観を学び始めた頃で、その世界観がよく分かっていませんでした。また私自身も受験競争で疲れ傷ついていて、友人の価値観を共有していた部分がありました。
ですから話を聞く度に〈自分は何てつまらない人間なんだろう、何て価値のない者なのか〉と感じさせられたのです。
ちょうどその頃、1979年の話です。東ドイツからヘンニヒという名の女性牧師が来日しました。東西冷戦の時代でしたが鎌倉の教会の礼拝に出席し、彼女を囲んで食事会が行われました。
ある教会員が「自分は何人もの宣教師たちから、東ドイツのような共産主義、社会主義の世界において、キリスト者は、生きることができないと聞いていたけれども、しかし、あなたのお話を聞くと違いますね」と尋ねたところ、彼女はこう答えたのです。「今あなたは〈生きる〉という言葉を使われた。〈生きる〉とは何でしょうか。もしも〈生きる〉ということが、立派な学校で学び、立派な履歴を作り、良い地位に就き、財産を得、豊かな生活をすることであり、
権力を握ることであるならば、私の国では、キリスト者は生きることはできません。しかし、ささやかな、生きるに足るだけの糧を得ることができ、教会に集まって神をほめたたえて礼拝をし、人々に仕え、そのようにして〈生きる〉ことは、私たちの国でも許されています。誰も私たちから奪うことができないものです」と。
私はこのヘン二ヒ牧師の返答を知り、再びヘロデのパーティーと主イエスのパーティーとの違いに心が行きました。ヘロデのパーティーは選ばれたエリート夫婦のみが集うことが許されていました。それこそ立派な学びをおさめ、立派な履歴を持ち、良い地位に就き、それなりの財産を得たのでそこに招かれたのでしょう。
ですからヘロデのパーティーは当時のユダヤ社会の勝ち組の集い、そうした空気が充満していましたが、そこには本当のシャロームはなかったのです。
それに対して、イエスのパーティーはパンと魚だけですからささやかです。でも集まった誰もが神の国の喜び、シャロームを経験し、心満たされました。彼らからその恵みを奪うことが出来る人など誰もいません。
ヘンニヒ牧師は「私たちは〈生きる〉ことを許されている」と語りました。世界を統べ治めておられる創り主、全ての価値を定める究極の価値なるお方が、「あなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」と宣言し、生きることを許して下さっている。ですから私たちは生きるのです。
主イエスは、権力者ヘロデが無理やりつくりだそうとする喜びではなくて、逆にその権力者ヘロデに追われるようにして、舟に乗って人里離れたところに退かれたのです。そして、そこでも悩みの中にある群衆に取り囲まれ、主イエスご自身は、疲れ果てた肉体と、その魂の全てを注いで愛の業に生きられました。
そのイエスさまが用意してくださったパーティー、主の食卓に、私たちは本当の幸せと、何ものにも代えがたい喜びを見いだすことが許されているのです。
それを味わい知った者の集いこそが教会です。ここにこそ神の国があります。何にも代えがたい恵みがあるのです。
その恵みに与かる姿を通して、私たちは、主を証しする者として遣わされて行きたいと願います。
お祈りします。

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主により頼む幸いを知らされて―ヤコブ  

2018年3月11日
受難節第4主日
松本雅弘牧師
創世記32章22~32節
コリントの信徒への手紙Ⅱ12章9~10節

Ⅰ.神を拝み倒す?

学生の頃、「神を拝み倒す」という言葉を聞いたことがありました。願い事を神さまに訴え続ける。聞かれるまで一生懸命に祈り屈服させ、神さまに願いをかなえていただく。でもそんなこと可能なのでしょうか。
29節に「お前は神と人と闘って勝ったからだ」とありますが、そもそも「神に勝つ」ということは何を意味しているのでしょう。
こうしたことを念頭に置きながら創世記32章22節からのところをご一緒に読み進めていきたいと思います。

Ⅱ.ヤコブの生育歴に見られる「偽りの物語(天は自ら助くる者を助く)」

ある晩、何者かがヤコブに格闘を仕掛けて来ました。それにしても何故神さまは「何者」を用いてヤコブに格闘を仕掛けたのでしょう。
彼の生育歴をたどるとき、1つ浮かび上がってくるものがあります。それは彼が常に誰かと競い、戦ってきたという事実です。神が良くしてくださることを信じ切れず、神の約束を自らの力で実現するために一生懸命の人生でした。
始まりは誕生の時からです。お腹の中で争う双子の将来に不安を覚えたリベカが主の御心を尋ねると、「兄が弟に仕えるようになる」(創世記25:23)との約束をいただきます。
そして、これが彼女の息子たちに対する見方を決定づけたのだと思います。たぶん、夫イサクにも話したはずです。ところが彼は無頓着です。逆に、イサクは長男エサウを溺愛します。
創世記は、イサクとリベカの夫婦は様々な課題を抱える2人であったことを伝えます。夫婦でよく相談して育てるのではなく、夫婦が競い合う状態です。夫は長男エサウを寵愛し、対抗するように妻リベカは次男ヤコブを可愛がる。
聖書を読み進めていく中で1つ気になることがあります。それは、リベカも息子のヤコブも「兄が弟に仕える」という、神様の約束を、相応しい仕方で受けとめていなかったように思えてならないのです。権利意識だけが肥大化してしまい、信仰にとって、もう1つ決定的に大事な点である神への信頼が欠落しているのです。
「兄が弟に仕える」という神のシナリオが、神のタイミングで実現していく、そのことに信頼し、委ねて待つのではなく、自分の知恵に頼り、策略を練り、自分の力で勝ち取るために、リベカはリベカで動き、ヤコブはその半生を戦いの内に生きていったのです。
リベカとヤコブの2人、その中でも特にヤコブを動かしていた「偽りの物語」は、「天は自ら助くる者を助く」という物語だったということです。
「最終的に信じることが出来るのは神ではない。ましてや人でもない。この私だけなんだ」という「信仰」です。
この「物語」に動かされているヤコブの姿が、創世記の随所に出て来ます。神が最初からヤコブに与えようとしていた恵みや祝福がありました。しかし、彼は神を信頼して待つことが出来なかったのです。そのために、彼は自分の知恵や力によって、自分だけを信じて奪い取っていくことになりました。場合によっては手段をも選ばない。これがヤコブの行動パターンでした。

Ⅲ.不安な生涯

このような出来事がありました。父イサク臨終の場面です。兄エサウが猟から戻って来た時、すでに父親が騙され、祝福が弟に横取りされたことをエサウは知るのです。
怒りは一気に頂点に達しました。このままではヤコブが殺されると案じたリベカは、ヤコブを自らの実家、兄ラバンの許に送り出します。
ラバンの家に行った後も様々な経験をするヤコブですが、そこで彼がとった行動パターンは、それまでと変わりませんでした。
思いつく限りの仕方で、自分にとって好都合、自分にとって得な状況を、自分の知恵と力に頼み、強引に引き寄せる歩みをしていきました。まさに「天は自ら助くる者を助く」に生きる生き方そのものでした。
当然、叔父のラバンと衝突します。ラバンも負けてはいません。2人の間に騙し合い、駆け引きが始まりました。ヤコブもあの手この手を尽くします。神を信じていながら、まじないにまで手を染めた彼の姿がここには出て来ます。
結局、家畜を殖やすことでヤコブに軍配が上がりましたが、その一方で家庭生活は決して楽しいものではありませんでした。仕事から疲れて戻った家庭は2人の妻が常に争い合っています。「幸せな主人」と呼ばれるには程遠い現実がありました。経済的には恵まれていたのですが、安らぎのない、焦りが支配する毎日だったのです。ヤコブはもう限界に来ていました。
神も、そう見ておられましたから、ヤコブを故郷に帰るようにと導かれます。ただ、その時も、あの神の約束、「わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで、決して見捨てない」(28:15)の御言葉を信じ切れていない彼の姿がありました。
説教の準備をしながら改めて思いました。この時、ヤコブは神さまの守りの内に置かれていた。それゆえ安全だったのです。でも彼はそれに気づいていません。
神が共におられ、ヤコブを守っておられる確かな現実を見損なっている彼の目に映っていたのはラバンです。彼の存在が物凄く大きなストレスでした。神さまが見えない時には、人が気になり始めるものです。そして焦り、心配してしまう。
そのような中にあって改めて〈凄いな〉と思うのです。神様は夢の中でラバンに対し、ヤコブに手を出すなと釘をさしておられるのです。ですから逃亡するヤコブはラバンに追いつかれますが、神様に釘を刺されていたラバンは、ヤコブが故郷に戻ることを了解するのです。
しかし、一難去ってまた一難です。これから向かおうとする故郷にはエサウがいるのです。聖書によればここでもヤコブは「共におられる神」に思いを向けるのではなく自らの知恵に頼ります。
家畜の群れと家族の配置換えを指示し、待ち構えるエサウに、贈物を携えた召し使い達が先に進み、続いて妻や子どもたちが続くという配列で、「私はあなたの僕です」と白旗を上げて、エサウの怒りをなだめる作戦でした。そのようにして召使と家族を次々とヤボクの渡しを渡します。そして、その晩ヤコブが一人っきりになった時に起こった出来事、それが「ペヌエルの格闘」の出来事でした。

Ⅳ.主により頼むことの幸い

ここで突然ヤコブは組み打ちを仕掛けられました。ヤコブは防戦一方です。格闘を仕掛けてきた相手は最後にヤコブの勝利を告げたのです。神は何をヤコブに悟らせるために、「何者」かを用いて仕掛けられたのでしょうか。
実はそれが今日の説教のポイントです。ヤコブは信仰の家庭に育ちました。しかし、彼はまだ「(祖父)アブラハムの神、(父)イサクの神」としてしか神さまを体験していなかったのではないか。「ヤコブ(私)の神」として神を信じ切れていなかったように思うのです。むしろ、彼が信用できたのは、残念ながら神さまではなく、自分でした。「最後頼りになるのは自分だけ」という信仰です。神さまは、この「信仰」、この信念を砕かなければどうにもならないと思われたのです。
ヤコブは腿の関節を外されます。激痛が走り、戦うどころではありません。相手にしがみつきながら上体を維持するだけで精一杯。痛みと恐怖で、もうろうとしたヤコブの耳に、その時、聞こえたのです。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」(35:27)。
ヤコブはとっさに思いました〈去らせるわけにはいかない〉と。そして崩れないように、さらに相手にしがみつくようにして体を預けたのです。その時でした。ヤコブはグッと受けとめられました。喘ぎながら寄りかかった自分を受けとめた胸、それが父なる神さまなのだという恐るべき認識に、ヤコブは捕えられました。そして「祝福してください。祝福してくださるまで離しません!」と叫びます。
この言葉こそ、神が40年以上も待ち続けた言葉でした。もっと早く気付いて欲しかった。胸に飛び込んで来て欲しかった。これが神さまの御思いでした。
自分の足、自分の知恵や力ではなく、神を信頼し、そのお方に依り頼むこと、その意味をこの時ヤコブは体験したのです。
私たちはどうでしょう。仕事も人間関係も良好です。では神との関係はどうでしょう。平安はありますか。いや心の奥を探ると苛立ちがあり、不安や焦りが詰まっているかもしれません。
何故、その状況をコントロールしたいと思って焦ったり、思い通りに動かさなければ気が済まないと考えてしまうのでしょう。それはヤコブと同じように、「最後に頼りになるのは自分だけ」と考えているからです。
でも、私たちの神は惜しみなくお与えくださるお方、万事を益とされ、最高のタイミングを計っておられるお方です。
このお方が共にいて下さる。嵐が吹き荒れる海の上で、私の「舟」は大揺れかもしれない。でも「舟」には主イエスが乗っておられる。御子がおられるのに、舟が沈没するのを、神が許されるはずがない。
ヤコブはそのことに気付いたのです。翌朝、彼は変えられていました。「ヤコブはそれから、先頭に進み出て」(33:3)とあります。
後ろからこそこそ行くヤコブから、丸腰の状態で、自ら先頭に立ち、兄と対面する勇気ある人に変えられていったのです。神との出会いがそうさせたのです。
お祈りします。

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主日共同の礼拝説教

キリストの死の先駆けとして

2018年3月4日
受難節第3主日
松本雅弘牧師
イザヤ書35章3~10節
マタイによる福音書14章1~12節

Ⅰ.ヘロデの誕生パーティー

洗礼者ヨハネが殉教の死を遂げたのは、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの誕生パーティーにおいてでした。
洗礼者ヨハネから、その結婚は律法に適っていないととがめられたヘロデの結婚相手ヘロディアにはサロメという美しい娘がいました。そのサロメがヘロデと招待客の前で踊りを披露したのです。
それを見たヘロデはたいそう喜び、サロメに対して、「願うものは何でもやろう」と、招待客の面前で誓い、約束しました。サロメが母親ヘロディアに相談すると、へロディアはすぐさま「洗礼者ヨハネの首を願うように」と、娘を「唆(そそのか)した」のです。この願いを聞いたヘロデは「心を痛め」ました。しかし、よくよく考えてみたら、実は今までやりたかったことが出来るチャンスが到来したのだと受け止め、結果として、ヘロデは娘のせいにして、やりたくてもやれずにいたことを成し遂げたのでした。
はねられた首が盆に載せられ、踊りをおどったサロメのところに運ばれてきました。サロメは急いで母のところへ持って行きました。想像するだけでもゾッとするような場面です。パーティーは一瞬のうちに凍り付き、招待客はみな、逆らえばこうなると思い知らされた残酷な出来事でした。
そしてヨハネにとって、実にあっけない人生の幕引きです。預言者の中の預言者、エリヤの再来…、そのように言われた洗礼者ヨハネです。そのヨハネがこんなにも簡単に殺され、そして生涯を閉じてしまったのです。

Ⅱ.「ヨハネ殺し」と「イエス殺し」の共通性

洗礼者ヨハネに与えられていた使命は、主イエスの先駆けとなることでした。
「荒れ野で叫ぶ者の声」として主の道を整え、その道筋をまっすぐにする。語ることにおいても、行うことにおいても主イエスの先駆けです。
そして、その死の様においても、ヨハネは主イエスを指さしていたことが分かります。それはヨハネと主イエスの死の間には、幾つかの共通点があるからです。
第1に、「ヨハネ殺し」を誘導したのはヘロディア、そして「イエス殺し」を誘導したのはユダヤの祭司長たちと最高法院でした。ヘロディアもユダヤの指導者たちもどちらも自分の手を汚さず、陰で操っています。さらに、ヘロディアの誘導に乗ってしまった娘のサロメ、「イエス殺し」の誘導に乗ったのは群衆でした。
3つ目の共通点、そこには見て見ぬ振りをする人々がいました。パーティーには大勢の客が招かれていました。でも残念ながら誰1人、それを止めることが出来なかったのです。止める勇気を持ち合わせていませんでした。十字架の場面も同じです。群衆が「十字架に付けろ!」と叫び続ける中、〈これはおかしい。怪しい。間違っている〉と感づいていた人もいたはずです。でもみんな沈黙した。そして結果的に「イエス殺し」の行為そのものを肯定していくのです。
そして最後に、ヨハネの死に決定的な命令をくだしたのはヘロデでした。
「願うものは何でもやろう」と、軽々しく誓い、約束すること、それ自体が問題ではありますが、より大きな罪に手を染めないため、そこから引き返すことも出来たかもしれないのです。
主イエスの時はどうでしょう。最終命令をくだしたのはピラトです。ピラトの場合、その決定はピラトにとって不本意なことで、彼は手を洗いながら、「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」(マタイ27:24)と言い放ちます。
ピラトの言い訳、いや言い分はそうだったでしょう。しかし残念ながら歴史はそう見ていません。「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け」と世界中で、毎日曜日、クリスチャンたちはピラトの名前を口にして主への信仰を告白しています。歴史は、ピラトその人こそが、あの場面での最大の責任者だと証言するのです。
確かにヘロデもピラトも権力を誇示しました。でも周りを見ながらびくびくしていたのも彼らでした。
その証拠にヨハネを処刑した後、ヘロデは「ヨハネの亡霊」に苦しめられます。主イエスの評判を聞いた時、彼は言いました。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている」(マタイ14:2)と。
今日の箇所には一切、主イエスは登場しません。でもヨハネの生き様、死に様を通し、主イエスが鮮やかに証しされているのです。ヨハネの存在が時の権力者ヘロデを恐れさせたのです。

Ⅲ.キリストの十字架の特殊性

私たちは受難節の季節を過ごしています。ヨハネの殉教を通して、今一度、主イエスの受難の場面を想い起こします。
先ほど2人の死を取り巻く共通点を見ましたが、そうした中でもイエスの死はヨハネの死を越えたものがあります。
ヨハネの場合、彼はあくまでも主イエスの先駆けでしたが、主イエスは指さされる側、証しされるべき、救い主そのものであられたということです。
公生涯を始めた主イエスと初めて出会った時にヨハネは宣言しました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と。
神が全人類の贖いのために備えられた小羊がイエス・キリストでした。それ故、主イエスの死には本当に特別な意味があったのです。
バルセロナの聖家族教会にある十字架のキリスト像は真っ裸です。訪れる人がたくさんいる中で、ある人たちはその姿を見てクスクス笑う。しかし、その作者、スビラックス曰く、「この像こそ、キリストがしのばれたひどい恥を表す」と。
主イエスの場合、時の権力者の敵意だけではありません。民衆からも敵視され、狂気が盛り上がる中、密かにではなく、公衆の面前で恥をさらし、あざけられながら時間をかけて殺されていったのです。
肉体は勿論、精神的にも、父なる神から拒絶されるという、霊的な意味においても、すべての苦しみを味わい抜いて死なれました。そして洗礼者ヨハネの死をもしっかりと受けとめ、その死を引き受けておられるのだと思うのです。

Ⅳ.証し人としての歩み

ヨハネは何においてもイエスがキリストであることの証人として生きた人です。実は、聖書の言語、ギリシャ語では「証人」という語は、後に「殉教者」を意味する言葉となっていきます。
数年前に、『キリスト教とローマ帝国―小さなメシア運動が帝国に広がった理由』という本が出版され話題になりました。著者はアメリカ人社会学者のロドニー・スタークで、キリスト教が急激に成長していった理由が何かを突き止めるべく研究し書物にまとめたのです。その結論は、「クリスチャンの生き方が魅力的だった」ということでした。
当時、奴隷が病気になると見捨てられたそうです。でも教会の人々は社会が見捨て、誰も世話をしない人々の世話をしていきました。
女性や子どもは数に数えられなかった時代です。しかし教会は、女性や子どもを大切にしたのです。体が弱かったり、問題を抱えていたり、病気がちな子どもを平気で捨てていた時代、トイレの遺跡から無数の嬰児の遺骨が出土したそうです。そのような中にあって、クリスチャンたちは、子どもたちを大切にしていった、彼らを受け入れていったのです。男性優位の社会の中で、福音に触れた人々が、妻や子どもたちを愛し大事にした。
その結果、家庭が変えられ、家族関係に変化が生じ、神の国の価値観に生きるクリスチャンたちが形成する家庭、「クリスチャンホーム」を目の当たりにした人々、中でも、特に自らの家庭に問題を抱えていた人々が、そうしたクリスチャンホームに憧れるようになっていきました。
そのようなクリスチャンたちの生き方自体が、時代の中で「型破り」だったため迫害も受けました。でもイエスさまへの愛と信仰において、また兄弟姉妹が互いに愛し合うことにおいて一歩も譲らなかったのです。
著者のスタークは、これこそキリスト教がローマ帝国をひっくり返した要因だと結論づけました。
私たちの証しは、洗礼者ヨハネのような殉教を求められるようなものではないかもしれない。いや、ないでしょう。でも証しすることは求められています。主イエスが教えてくださった生き方を祈り求めていく時に、主イエスを知らない家族、友、職場の仲間たちが私たちの生き方に魅力を感じ、「彼らが持っているものを、私たちも欲しい」と、私たちの交わりに加わりたいと願う。そうしたインパクトのある共同体、そうした歩みとさせていただきたいと願います。
アッシジの聖フランシスコは語ったそうです。「常に福音を宣べ伝えなさい。必要であれば言葉を使いなさい」。
考えてみれば、これはすごい言葉です。福音を宣べ伝えると言った場合、普通は言葉で語ることを思い浮かべます。でもフランシスコは、「常に福音を宣べ伝えなさい。必要であれば言葉を使いなさい」と語り、ライフスタイルで主を証ししなさいと教えているのです。
普通は語ることで伝えます。しかし、その人の生き方を見れば、彼が何を大事にしているかが分かることでしょう。そのような意味で、主の前にへりくだり、共におられる主の臨在のうちに歩ませていただきましょう。
そして洗礼者ヨハネのように、少しでも主イエスを証しする証人としての務めを果たす者とされたいと願います。
お祈りします。