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主日共同の礼拝説教

信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら

松本雅弘牧師
宣教73周年記念  創立記念礼拝
士師記2章6―7節、ヘブライへの手紙11章39節―12章2節
2020年1月19日

Ⅰ.はじめに

高座教会は1947年1月19日に最初の礼拝が行われました。満70年が経過し、その間、多くの神の民が起こされ、今も祝福された群れとして歩むことが出来ます幸いを感謝します。

Ⅱ.高座教会の歴史-時宜にかなったお導きを与えてくださった神さま

30周年記念誌『ただキリストの導きの中で』に高座教会誕生の経緯に関わる次のような記述があります。
「思えば30年前、太平洋戦争によって国土は荒廃、絶望と空白、食糧・物資難にあえぎ、虚脱状態の昭和21年夏の頃、厚木基地進駐軍のチャプレン・ストレート師から鷲沢与四二氏へ小さな英文聖書が手渡された。
マッカーサー司令官が占領軍として初めて日本国土を踏んだのが、厚木基地を持つこの土地であった。その頃林間は文字通り防風林として植樹された松林で、農家の牛車が往来し疎開者が林を開墾、芋づくりに励んでいた。アメリカ人はじゃが芋が好物だから強奪されないよう隠匿する必要があるなど、まことしやかに伝えられていた時代でもあった。ある日一台のジープが訪ねて来て、じゃが芋は徴集されなかったが鈴木次男氏が連れていかれた。それは基地の教会にオルガニストを探していた進駐軍が、戦争中も宗教音楽の研究を続けていた鈴木氏のことを、彼のラテン語とグレゴリオ聖歌の先生から聞きつけてクリスマス聖歌の指揮依頼に来たためである。
軍隊合同のクリスマスはカトリック主催でプロテスタント、ユダヤ教も加わっての礼拝であった。この時ストレート師を知ったのであるが、ストレート師は『林間』という地名を『リンカーン』と結び付けて大変気に入り、この地に福音を伝えたいと願っていることを鈴木氏に話された。鈴木氏はそれを親戚関係にあった鷲沢氏に話し、ストレート師を紹介したのが一冊の英文聖書との出会いとなり、高座教会誕生の基となったのである。・・・」
さらに記念誌は最初の礼拝の様子を次のように伝えています。「・・・賑やかなクリスマスを契機に、翌昭和22年1月19日、爾見氏アトリエを会場として最初の聖日の公同礼拝が持たれたのである。参加者は前記のように個性豊かな人たちであったから、礼拝前後の雑談騒々しく、炭を持ち寄って大火鉢を囲みタバコを喫うために、煙だしをしてから礼拝を始めるしまつであった。終わると牧師説教に対する批評まで飛び出すと云う型破りの礼拝も、やはり語り草として残っている。」
「高座教会」という名称は鷲沢さんを中心とした6名のメンバーたちがこの地域の名称、「高座」という名前に心ひかれたそうです。「高座」とは「神が高く座していただくこと」に適当と言うこと、また、「教会は地域の人々の心の拠り所でなければならない」という願いから、「高座コミュニティ教会」という名前に決まり日本基督教団の1つの教会としてスタートをしたわけです。そして3年後の1950年にカンバーランド長老教会に加入していくことになります。
先週、東後勝明さんのお話をしました。高校2年生のときに父親がガンで召されていくときに、「勝明、お前、出世しろよ」という遺言を残した。それ以来、「大切な家族を支えているのは、他でもない自分の稼ぎである。自分が出世すること、自分が偉くなること、それは結果的に、家族の生活にとってプラスになるのだ。そのために、多少、家族にしわ寄せが来てもしょうがない。自分の苦労に比べれば、大したことはない」と突っ走ってきた。しかし、そのしわ寄せが家族の中でも一番、弱い立場にあった子どもに出てしまい。不登校になってしまう。次に奥さんもストレスが原因でくも膜下出血で入院。そして最後は本人も、原因不明の内臓出血で緊急入院。今までやっていけると思っていた、「出世することで幸せが勝ち取れる」という物語では通用しないステージがやってきた。人生を導く「新しい物語」を必要としたのです。それがきっかけで、東後さんは信仰を持つように導かれます。人生の土台を「イエスの物語」「福音の物語」に据えて生きていくように方向転換していったのです。
高座教会の70数年を振り返りますと、私たち教会の歩みもまた、様々な出来事と遭遇し、そのたびに、聖書に立ち返り、あるいは聖書の教えのエッセンスである「信仰告白」に立ち返り、時宜にかなった導きをいただきながら、歩んできたことです。

Ⅲ.教会の歴史とは福音のタスキをつないでいく歴史

こうした高座教会の歴史を振り返る時にいつものように心に思い浮かぶ御言葉が今日のヘブライ人への信徒への手紙の御言葉です。アベルから始め、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセと、信仰の先輩たちの歩みを綴っています。そして今日の聖書の箇所が続くのです。私たち高座教会の歩みは教会史の1ページを綴り、おびただしい証人に雲のように囲まれながら今、この国、この南林間で信仰生活を歩んでいるというのです。当然、声援を送る人々の中には聖書に出てくる先輩たちと共に天に召された高座の仲間たちも加わっている。なぜ彼らが応援し固唾を呑んで私たちの走りを見守っているのでしょう。それは「わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しない」(11:40)とある通りで、ちょうど駅伝のイメージです。
先輩たちから私たちにタスキが渡った。最後ゴールまで途切れることなく繋いでいって欲しい、次の世代にしっかりと手渡して欲しい、ですから応援に力が入る。声援を送り、熱心に執り成してくれている。つまり、私たちが歴史に見られているという側面、このことをヘブライ人への著者は語っているのです。確かに過去にはアブラハム、モーセ、ペトロやパウロ、そしてカルヴァンもいました。でも今、この日本、この地域で福音のタスキをかけて走るようにと召されているのは私たちです。誰も走ってはくれないのです。それを聖書は「わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しない」と表現するのです。私たちの歩みが自分たちの完成と深い関係があることを知っていたからです。ですから高座教会にしかない「走るべき道のり―走るべき区間」を走るように召されているのが私たちです。
私は、高座教会の73年の歴史という出来事の中に、神の民の歴史形成の大切な営みに参与させられている私たちであることを厳かな思いを持って受け止めさせていただきました。
最後になりますが、73年の歴史とは大変なことだと思います。これからも、「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(12:2)、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められ、高座教会に定められている信仰継承のレースを忍耐強く走り抜いていきたいと願います。今日は高座教会の誕生日です。今まで本当に多くの先輩たちの熱い祈りと献身的な奉仕と捧げ物を、神さまが用いて、私たち高座教会をここまでお育てくださいました。
1947年1月19日に教会として誕生しましたから、満73歳となりました。神さまがこの地に誕生させ、導き育ててくださった高座教会の歴史を振り返る時、信仰の先輩たちから受け継いだ福音のタスキを次の世代に手渡す責任を感じます。そして私たちからタスキを受ける次世代の若者たちは、今度は彼ら独自の発想と、もしかしたら今までとは全くちがったやり方で、永遠に変わることのない福音のタスキをかけて走り続け、再び次の世代に繋いでいくのです。そして、私たちも、いつか天の教会のメンバーとして、熱い眼差しと温かく大きな声援を送りながら見守っていくのだと思います。

Ⅳ.信仰の創始者であり完成者であるイエスを見つめつつ

記念誌の作業をしながら、高座教会の70年の歩みを振り返る時、信仰の先輩たちはもちろんですが、神さまご自身の私たちに向けられている熱い眼差し、また慈しみをしみじみと覚えるように思います。そしてまた、確かに一生懸命ではあったのですが、場合によっては自分よがりであったり、的を外し混乱する出来事にも遭遇してきました。しかし、にもかかわらず、神ご自身が慈しみと情熱をもって高座教会という信仰共同体を導き、私たちを祝福の源として用い続けてくださる現実に驚きと深い感謝を覚えるのです。
高座教会を始めてくださった主イエスは完成してくださるお方ですから、これからも、そのお方から決して目を離さず、備えられた信仰の競争を忍耐強く走り抜きたいと思うのです。お祈りいたします。

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主日共同の礼拝説教

確かな土台を求めて―若者が幻を見るために

松本雅弘牧師
ヨエル書3章1―5節、マタイによる福音書7章24―27節
2020年1月12日

Ⅰ.「何よりも大切な家族」を支えてきた「経済」という土台の崩壊

少し前のデータですが、「精神的な充足や心のよりどころの模索」という調査で「あなたにとって一番大切なものは何ですか」と尋ねたところ、「家族」と答えた人が断トツに多かったそうです。その割合は46パーセントで、およそ2人に1人がそう答えています。
つまり生命、健康、財産よりも、家族が大切だと考える人が多い。この点について社会学者の山田昌弘さんは著書『迷走する家族』で、日本人は戦後、国家主義的な「クニ」とか、伝統的な「ムラ」に代わって、家族への所属意識が高まったからだと分析していました。
山田さんの主張は続きます。日本社会は90年代以降のバブル崩壊後、何よりも大切である家族や家庭生活を支えてきた、経済という基盤が崩壊しつつある。言い換えれば、経済はもはや私たちを本当の意味で支える基盤とはなり得なくなって来ているというのです。つまり、何よりも大切と考える家族を支える「経済という土台が」揺らぎ始めてきた。山田さんはこの状態を「迷走」と表現していました。

Ⅱ.経済に代わる「確かな土台」とは?

では経済に代わる確かな土台って何でしょうか? イエスさまは、「山上の説教」の結論のところで、「家と土台」の譬え話を御語りになりました。ここでイエスさまは、私たちの日々の歩みを、「家」に譬えておられます。あるいはこの「家」を私たちの家庭生活、家族との生活と理解しても間違いではないように思います。
イエスさまが言われるには、どの家族にも例外なく雨が降ったり、川が溢れ、風が吹くような逆境の時がある。でも結果は、片方は大いにダメージを受けるが、もう片方は守られる。その違いは「土台」にあるとおっしゃるのです。
しばらく前、東後勝明さんの証し、『ありのままを生きる』を読みました。東後さんは自らこの大きな倒れ方を経験されたのです。皆さんの中には「東後勝明」と聞かれ、「覚えのある名前だ」と思われる方もあるかもしれません。「東後勝明」と言えば、私が学生の頃、NHKのラジオ「英語会話」の人気講師でした。東後さんは50代で人生の危機にぶち当たります。NHKのラジオ「英語会話」も大ブレークし大活躍。色々なところに講演に呼ばれ、とても忙しい日々を過ごしていましたが、突然、お子さんが不登校になります。そして奥様がくも膜下出血で倒れ、ご自身も原因不明の内臓出血で緊急入院。それらを契機に自分の生き方を考えさせられることが起こったのです。つまり今までの自分や家族が「よって立っていた土台」というものを考え直す機会をいただいたのです。
それまでは、「大切な家族を支えているのは、他でもない自分の稼ぎである」と考えていました。「自分が出世すること、自分が偉くなること、それは結果的に、家族の生活にとってプラスになるのだ。そのために、多少、家族にしわ寄せが来てもしょうがない。自分の苦労に比べれば、大したことはない」と考え一生懸命やってこられました。ところが、彼が考えていた土台は本当の土台ではなく、彼の人生という立派な建物が、ものの見事に倒れてしまったわけです。しかも倒れ方はひどいものでした。
しかし本当に幸いなことですが、神さまの憐れみによって彼はイエスさまと出会い、洗礼を受けてクリスチャンになりました。聖書の言葉を人生の土台とし、神さまとの関係の中で、自らの人生の改築を始めていかれたのです。その結果、少しずつ東後さん自身が変えられていきました。今まで家族はもちろん、猫までもが彼のそばに寄りつかなかったのですが、クリスチャンになった後、その猫が彼の膝に飛び乗ってきたそうです。猫に認められた東後さんの姿を見て、初めて家族も彼が変えられてきたことを受け入れ始めたそうです。
実は、東後さんは高校2年生の時に、尊敬していたお父さんをガンで亡くされたのです。お父さんは、息を引き取る直前に、息子さんの東後さんを枕元に呼んで、絞り出すような声で言ったそうです。「勝明、お前、出世しろよ!」とっさに、「出世する」ということがどういうことか分からずに、「出世するって、どういうこと? 偉くなること?お金を儲けること? 有名になること? 地位を得ること?」と、矢継ぎ早に訊ねたそうです。でもお父さんはその問いに答えず、息を引き取ったそうです。その時から心の中に「出世するために、とにかく頑張らなくては」、「なんとかしなくては」という思いが支配し始め、何をするにも、「このままではいけない」と自分を駆り立てるようになり、なりふりかまわず、出世街道をまっしぐらに進んで来た、と回想しておられました。
そんなある時、講演会の後、学生が手を挙げて、「先生のそのエネルギーの元は何ですか?」と質問したそうです。するとすかさず「怒りだ」と答えました。さらに質問が続き「何に対する怒りですか?」。東後さんは天を仰いで答えに窮してしまい、「うーん、すべてのもの・・・かな?」と答えたそうです。
本の中で、「その正体の知れない怒りは、ある種のマイナスエネルギーであり、そのマイナスエネルギーによってこころの歯車は狂い始めていた」と述懐していました。
NHK講師、大学教授、様々な華々しい活動を東後さんの家族は支え切れなくなってしまった。そして、その家族を支えてきたと思っていた経済的なものも、実は本当の意味で、家族生活を支えるものではなかったことに気づかされた。そして深い悔い改めと共に、神さまを信じて、新しい土台の上に、残りの人生を立て直して行こうと決意されたそうです。
「土台」って何でしょうか? それは価値観のことです。何を大事にするか。何を選び、何を捨てるかという選択の基準です。
東後さんは、人生の節目々々で、経済を土台として、出世や自らの実績を幸せの土台として考えてきたのですが、実は、それが間違っていた。しかもその土台自体が、東後さんの生き方や大切な家族の生活というものを支え切れずに倒れてしまい、それもひどい倒れ方を経験されたのです。

Ⅲ.私たちの中にある罪の現実

大分前の話ですが、アメリカでこんなことがありました。ある男性が桟橋を歩いている時に突然にロープに躓き、下の水に落ちてしまったそうです。浮かび上がった時、助けを求めて叫んだのですが、再び水の中に沈んでいってしまいました。その人は泳ぐことも、再び浮かび上がってくることもありませんでした。彼の友人たちがかすかな叫びを遠くで聞いたのですが、遠すぎてとても助けに行くこともできませんでした。でも、僅か数メートルのところにデッキチェアがあり、日光浴をしていた若者がいたのです。その若者は無関心に眺めているだけ。「助けてくれ! 泳げない!」と叫び、助けを求めても、若者は見ていただけでした。
後になり遺族がこの若者を訴えたのですが結果は敗訴でした。確かに人をあやめたり危害を加えていなければ、法律的には責任を問われることはありませんが、神を知る者として、神さまのかたちに造られた人間としても道に外れた行為です。私たちが家族を大切にしたいと思う時に、この罪の問題を神さまに解決していただかなければ難しいのです。では、どうしたらよいでしょうか。

Ⅳ.若者が幻を見るために

今日のヨエル書3章1節をもう一度、読んでみたいと思います。聖霊が降ると若者が夢を抱き、希望を持つことができるというのです。
ただこの約束が現実になるための1つの条件があります。主イエスも、「わたしを離れてはあなたがたは何もできないから」(ヨハネ15:5)と言われます。
ですから、私たちがすべきことは、聖霊が生き生き働かれるための環境を整えることです。すなわちぶどうの木であるキリストにつながることです。使徒パウロも、ローマの信徒への手紙7章、8章で次のように語っています。「わたしは自分の望む善を行わず、望まない悪を行っている。・・・わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」と、罪の力の現実の前に叫びました。しかし、その後があるのです。
パウロは続けています。「死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。私たちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。・・・従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」と。
今、社会の人々が感じているように、家族は本当に大切なものです。私たちはそうした方々に対して、経済に代わるより確かな土台である、「聖書の価値観」を証しする責任を託されています。と同時に、その価値観に生きる私たちクリスチャンが、御言葉と祈りの生活を通して、ぶどうの木であるキリストにしっかりと繋がり、内側からも聖霊によって注がれる新しい命に生かされていくように。今日、成人を迎える方々も、ぜひ、このことを心に留めていただきたいと思うのです。お祈りします。

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何をしてほしいのか

松本雅弘牧師
マタイ福音書20章29節―34節
2020年1月5日

Ⅰ.「何をしてほしいのか」と問われたら

今朝、私たちに与えられている聖書の箇所は、主イエスのエルサレム入城から始まる最後の一週間に先立つひとつのエピソード、二人の盲人の癒しです。「何をしてほしいのか」という主イエスの問いかけに対して、「目を開けていただきたいのです」と願い、主イエスは彼らの目を癒されました。すると彼らは主イエスに従う者、弟子になったのです。
実は、この出来事に先立ち、三年にわたり従ってきていた弟子たちにも、「何をしてほしいのか」と、同じ問いかけをしましたが、その願いは聞き入れられませんでした。ここに一つのコントラストがあります。

Ⅱ.まことの愛に生きるために目を開いてほしい

ガリラヤの故郷からずっと主イエスに従ってきた弟子たちです。主イエスのそば近くにいるように召され、直接、御言葉に養われ、様々な訓練を受けてきました。
その彼らが「何をしてほしいのか」と問われたときに、母親を通じてではありますが、主イエスの両どなりに座りたい、平たく言えば、出世したい、偉くなりたいのだと答えたのです。
イエスさまからしたら、「主よ、私たちの信仰の目を開いてください。あなたのお姿をよく見ることができる目をお与えください。あなたは何度も十字架にかかることをお語りになりました。その恐ろしいお言葉の意味が分かりません。いや、そう言われるあなたが理解できません。ですから、どうぞ分からせてください。あなたを見ることができるように私たちの目を開いていただきたいのです」。そう答えて欲しかったのではないかと思わされます。

Ⅲ.主に向かって叫ぶ二人の盲人

さて、主イエスの一行がエリコを出ていくときのことです。エリコはエルサレムの北東22キロほどのところに位置する町、旧約聖書の時代から名前のよく出てくる、交通の要所でした。
ヨルダン川の方からやって来ると、ここを通ってエルサレムへ上っていく最後の宿場町がこのエリコです。
たぶん主イエスは早朝、エリコを出発したことでしょう。ちょうど過ぎ越し祭の時期でもあり、大勢の巡礼者たちと一緒になって都を目指したことだと思います。
巡礼者たちは巡礼が済めば、再び自分たちの村や町に帰っていくのですが、この時の主イエスは違います。ガリラヤに戻るのではなく、あくまでもエルサレムで苦難を受けるためにやって来ているのです。
エルサレム入場の前日の晩をエリコで過ごし、そのエリコを発ってエルサレムに向かう。つまり受難週に向けての最後の旅の始まりの時だったのです。
そして福音書を書いたマタイは、この時すでにイエスを「主よ」と、それも三回も呼んだ人がいたことを伝えます。しかも、その内の二回は「主よ、ダビデの子よ」と呼ぶのです。
この後、ロバの子に乗ってエルサレム入城をなさったとき、群衆は熱狂し「ダビデの子にホサナ」と叫び、主イエスを迎えます。
でもこの時点ですでに、その群衆に先立って、盲人の彼ら二人が、「ダビデの子よ」と主に呼びかけているのです。
「ダビデの子」とは「イスラエルの王」という意味の呼びかけです。この時、彼らが声を挙げることがなければ、主イエスはそのまま通過なさったでしょう。実際、主イエスの思いはエルサレムに向けて一直線の状況だったわけですから。
ところが悲壮感の漂う主イエス、エルサレムに向かう主イエスの足に、彼らはストップをかけるのです。
主イエスは、本当に優しいお方です。その彼らに応えて足を止めてくださった。そして「何をしてほしいのか」と、静かに問われました。彼らは、「主よ、目を開けていただきたいのです」と答えました。

Ⅳ.「主よ、目を開けていただきたいのです」

さて、福音書記者マタイは、主イエスが「目」のことをとても大切に考えていたことを伝えてきました。「山上の説教」では、「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身は明るいが、濁っていれば、全身は暗い」と教え、あなたがたの目が暗く、見えなかったら、全身が暗い。全精神、全人格、全生涯が暗いのだと語られたのです。
「ぶどう園の労働者のたとえ」の終わりでも、「自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか」と締めくくられました。「ねたむ」とは原文では「目が悪い」という意味で、神の気前のよさをねたましく思うのは目が悪いことの証拠、そうだとすれば、どうして神の愛の光の中に立つことができるのかと警告されています。
今日は、今年最初の主日共同の礼拝です。とても新鮮な思いで礼拝に集ってきたとともに、過ぎ去った年を振り返る思いも持たされています。そうしたとき、幾度、自分の目の悪さ、暗さ、それが具体的にはねたみを抱き、人を斜めに見てしまう、そうした私の中にある現実に気づかされたことか。ある人の言葉を使えば、私の目は、何と「癖が悪い」ことかと残念に思う。それに気づくのは聖霊の働きです。聖霊によって気づかされ、そうした自らの目の癖の悪さを悲しむのですが、でも今日の御言葉を通して私たちがすべきことは、ただ悲しむだけではなく、「主よ、私を憐れんでください。あなた以外に、この目を開けてくださるお方はいないのです」と、主に祈る必要があるということでしょう。二人の盲人のように、通り過ぎる主イエスに向かい、「主よ、待ってください、この私に恵みを与えないで通り過ぎていかないでください」と祈るように導かれている。いや祈らずにはおれないのではないでしょうか。
私たちは、昨年のお正月をつい先日のように感じるものです。詩篇九〇編の詩人は、「人生はため息のようだ。あっという間に過ぎ去るものである」と、「私たちの人生のはかなさ」をしみじみとうたっています。でも「人生のはかなさ」を憂い、いとおしむような日本的な感覚に共感を求めるのではなく、だからこそ「生涯の日を正しく数えるように教えてください」と主なる神さまに向かって叫ぶ。「どうぞ、知恵ある心を得ることができますように」と祈るのです。この叫び、この祈りもまさに、「主よ、目を開けていただきたいのです」との二人の盲人の祈りと響き合うのではないでしょうか。
私たちが、すでに、いま、ここにおられる主に出会うとき、そのお方は必ず「何をしてほしいのか」と問うてくださる。結果的にはとんちんかんな願いをした、あのゼベダイの子たちの母に向かってもそうでした。そして二人の盲人に対しても同じです。この二人は、「主よ、目を開けていただきたいのです」とはっきり答えている。私たちも、今も生きて働いておられる主の力強い御手の動き、気前よく、慈しみにあふれる主の御業をしかと目の当たりにできる目を、この年、いや今、必要としているのではないだろうか。困難な中、様々な問題に囲まれ、主がおられるのだろうかと疑ってしまうような現実の中で、実に生きて働いておられる主なる神をしっかりと見ていくことができるように、です。
私は、創世記に出てくるヨセフのことを思い出しました。エジプトに売られ、投獄され、お世話してあげたはずの給仕役の長にすっかり忘れられてしまった。そのため、さらに二年間も牢獄での生活は続きました。ヨセフにしてみれば、何が何だか分からない。絨毯の裏側から模様を眺めている状況です。しかし、それでもなおヨセフは、「主よ、目を開けてください。あなたのお働きを目の当たりにする目、あなたの視点で物事を見る目をお与えください」と祈り続けたのではないだろうか。そして最善のタイミングで絨毯の表面の絵柄を見せていただく恵みに与ったのです。そしてその絵柄を紡ぎ出すために、今までの一つひとつの出来事が無駄ではなく、万事が益とされることを改めて知らされていった。その恵みに、私たちの信仰の先輩ヨセフは与ることができたのです。
マタイ福音書は、目を開けてもらった盲人は二人だったと伝えています。それまで互いに助け合い、困難や悲しみに耐えてきた。周囲の人々に蔑まれたりしながらも同じ境遇を知っている者同士として支え合ってやって来た。そうした二人が共に、同時に、目を開いていただいたのです。どんなに大きな喜びだったことでしょう!
その二人が再び一緒になって主イエスの後について行く。群衆に混じりながら、でもその中の誰よりも大きな、深い喜びに溢れて、主に従っていったのです。教会の交わり、クリスチャンの交わりはこういうものなのではないだろうか。一人ではない。共に主を見上げる。いただいた喜びを独り占めするのでもありません。共に喜び合う。「二人でも三人でもわたしの名によって集うところにわたしも居る」と約束された、愛の主イエスが、私たちのただ中におられるからです。お祈りします。