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主日共同の礼拝説教

キリストの割礼

2018年6月24日
和田一郎副牧師
創世記17章9~14節
コロサイの信徒への手紙2章11~12節

1、キリストの割礼

今日の聖書箇所の11節の最初に、パウロは「あなたがたは」と、ありますが、これはコロサイ教会の人々に向けて、パウロが励ましのメッセージを送っているのですが、これはそのまま私たちに向けて、「高座教会のあなたがたは」とも受け取れるメッセージです。
あなたがたは洗礼を受けている。それは「手によらない割礼」です。ここを丁寧に訳すと、「人の手によらない割礼」となります。つまり人間の力ではない、霊的な割礼をあなた方は受けているのです。「割礼」という言葉は、先ほど読みました創世記17章で初めて出てくる言葉です。アブラハムが神様と契約を交わしたアブラハム契約の場面ですが、そこで神様との契約のしるしとして、割礼を施すことを命じられました。割礼は男性の生殖器の包皮を切り取るという痛々しいものですが、これは人間の罪の汚れを取り除いて、神様に受け入れていただく「しるし」を意味していました。「しるし」とは言っても、単なる儀式や外見的なものではありませんでした。預言者エレミヤは「心の割礼」であることを強調していて、割礼は霊的なもの、イスラエルの民が神の民であるのは外見だけではなくて、心の内側にあるものが、きよめられることを意味していました。
それが新約聖書の時代になって、割礼に代わるものが洗礼となりました。11節の後半にある「肉の体を脱ぎ捨てる、キリストの割礼」とは、汚れた人間の罪の性質を脱ぎ捨てるための、キリストによる、新しいしるしです。

2、私たちはキリストと共に「葬られた」

12節には「洗礼によって、キリストと共に葬られ」た、とあります。「葬られた」のは古い自分です。イエス様は十字架に架かられて死んで葬られました。しかし、私たちが、キリストの死と葬りに預かっていることは、あまり意識していないかも知れません。パウロはコロサイの教会や私たちに向けて、古い私たちは死んで葬られたこと、そして、私たちの命は今キリストと共にあることを思い出させてくれます。私たちはキリストと共に十字架にはかかりませんでしたが、キリストの死と葬りに参与しています。違った意味で、私たちは死んで葬られたのです。古い生き方に生きていた頃は、人から評価されることが自分の価値だと思ったり、目に見えないものよりも、目に見えるものに目が奪われて追いかけていました。そういった、かつての自分の価値観を葬ってくださいました。新しい生き方が始まっているのです。
ある青年が心の中で葛藤していました。自分が貪欲で、人の為に何かしようとか優しく振舞おうとしても、それができなくて、反対に人を傷つける言葉や態度をとってしまいました。何で自分は、いつもこうなのだろう。ほとほと自分が嫌になっていた時、田舎に帰って御婆さんに話したそうです。「もう自分が嫌になって、死んじゃいたいよ」。するとお婆さんは、穏やかな顔をして「そうだね、いっそ死んじゃった方がいいかもね」と答えたと言うのです。その青年はビックリしました。「死んでしまったらお終いだよ」とか「生きていればいい事がある」と、言ってくれると思ったのです。現実に悩みを抱えている人からして見ると、生きているということは、まさにそのことが苦しいのに、それでも「生きろ」と言われてしまうとプレッシャーになります。しかし、その青年は「死んじゃった方がいいかもね」と言われた時、不思議と楽になって「生きようと思った」というのです。おそらく御婆さんは本気で「死んだらいい」と言ったのではないと思いますが、青年がしがみ付いていた何かが、お婆さんの言葉で消えて、力が出てきたのです。

3、私たちはキリストと共に「復活」した

パウロは、ここで古い自分はキリストと共に葬られたと言います。古い自分には死んでもらわないと、次には行けないものです。しかし、死んで終わりにはなりません。
12節「キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。」
わたしたちクリスチャンは、イエス様の復活にも、すでに与かっていることにも、どこか実感をもてないかも知れません。イエス様は十字架の死から復活されました。それと同じ力が私たちの中にも働いています。パウロは2コリントの手紙でも同じように語っています。
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」2コリント5:17
わたしたちは洗礼を受けた時に、キリストによって新しくされました。私たちは新しい自分を身に着けて、日々新しくされていきます。これは自分の行いによるものではありません。つまり、神様の力によってであり、それはイエス様を墓から甦らされたのと同じ力です。私たちはこの力をもって、日々、復活した者として進んで行くことができます。イエス様の復活は自分の復活でもあります。同じコロサイ書の3章10には、私たちは、日々新しくされて生きるとパウロは言っています。「造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。」コロサイ3:10。
先ほどは、古い自分に死なないと、次には行けないと言いました。死の次は復活です。
霊的には、イエス様が死んで葬られたように、同じ神の力をもって、日々復活させられるのです。私たちは毎日、聖書の御言葉に生かされます。聖書の言葉に触れる時、古い自分が死んで、新しい自分が生れます。毎日この力をもって、死んだ者だけれども、また復活した者として、また一歩前に踏み出せます。生きている間に「何回死んで、何回生まれ変われるか」ということの中に、キリスト者として生きる醍醐味があるのではないでしょうか。

4、そして「復活」は今を生きる希望

キリストの復活は、いつかやがてやってくる、私たちの希望でもあります。昨日は、「天国への引っ越しに備えて」といって、死に備えるというセミナーがありました。キリスト教の考える死には、その先に復活という希望があるのが特徴です。そのことをシンボルとなる花を通して話しをしました。日本を代表する花である桜ほど、日本人に愛されてきた花はないかも知れません。桜はぱっと咲いて、ぱっと散ります。美しさと、はかなさを感じさせます。それが日本人の死生観を表していると言われます。戦争当時は「国家のために命を捨てる日本人」というイデオロギーを意図的に作り上げられました。人の命とは「はかないもの」、それは美しい、という死生観と結びついています。
一方でキリスト教会では、「ゆり」を復活のシンボルとしてきました。冬の長い眠りのあと、土の中の堅い球根から新しい命をみせる様子を復活のシンボルとしてきました。白い花の色はキリストの純潔、花びらを正面から見た形はダビデの星、花の中央のめしべの先には三位一体のしるし、そして全体の形は終末の時に吹かれるラッパの形です。「ゆり」は復活の希望を表しています。決してはかなく散って消えてしまうものではありません。キリストを復活させられた神の力によって、私たちは洗礼を受けた時にも、新しい命に変えられ、日々御言葉によって新しく変えられ、やがて死が訪れても、その先に復活という希望があり、その希望の中を生きています。自分に死んで、キリストに生きることが、私たちの中で成されていく、これが神からの恵みとして与えられました。
今日、皆さんにお願いしたいことは、この一週間も日々、古い自分に死んでもらいたいということです。それは「傲慢な自分」でしょうか、「弱虫な自分」でしょうか。古い自分に死んで新しい自分を生きるために、神様の力に信頼していきましょう。お祈りします。

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パンを渡された二人

2018年4月29日
春の歓迎礼拝
和田一郎副牧師
ルカによる福音書24章13~35節

Ⅰ.復活の後で

今日の聖書の話しは、横にイエス様がいるのに「えっあなた、イエス様だったのですか?」と、気づかなかった人の話しです。それは、イエス様の十字架の出来事から3日後の日曜日の事でした。イエス様が十字架で死なれたあと、弟子達は落胆していました。3年ものあいだ、寝食を共にしていて、自分たちの国を解放してくれると期待していたイエス・キリストは十字架に架けられて死んでしまったのです。愛するものを失った時、私達はロス状態になるのです。この時の弟子達は「イエス様ロス」の状態で、茫然と過ごしていたのです。ところが3日目の日曜日の朝から慌ただしい事がおきました。イエス様が埋葬されている墓に行った女性達は、墓が空になっているのを見ました。そこに天使が現れてイエス様はよみがえられた、と言われるのを聞いてびっくりしました。さっそく帰ってこの事を弟子達に報告したのですが、誰も信じてくれませんでした。ペトロとヨハネは気になって墓に行って、やはりそこに遺体が無いのを見て驚いて戻ってきました。さらに、マグラダのマリアは「私はイエス様と話しをしました」と言い出します。それでは、そのよみがえったイエス様はどこにいるんだ?というと、誰も分からないのです。このように、情報が錯そうしていた日曜日の朝、弟子達の間では大騒ぎになっていました。
ですがよくよく考えてみると、イエス様は死なれる前にこんなことを言ってたのです。「彼らは私を、鞭打ってから殺す。そして、私は三日目に復活する」と復活の予告を弟子達にしていたのです。ルカ福音書では2回、マタイ福音書では5回、マルコ福音書では5回も「わたしは復活しますよ」と弟子達に預言していたのです。ですから、十字架で死んだ後、それを信じて三日後に復活するのを待っている弟子がいてもいいようなものですが、だれ一人として三日目の日曜日に、復活するのを待っている人はいませんでした。しかし私たちも、大事な人が死んだのだけど、三日たったら「生き返ったよ!良かったね」と聞かされたら喜ぶでしょうか?まず信じないのが普通だと思います。どちらかと言うと、生き返ったら気持ち悪いから、復活まではしなくていいと思います。それは彼らも同じ感覚だったのです。普通に死んだ人が復活するはずがないと思っていたのです。「聖書に書かれている2千年前の昔の人は信心深かったのかな」などと思うかも知れませんが、そんなことはないのです。確かにイエス様は弟子達に、「私は復活する」と言っていましたが、彼らはその辺は何となく曖昧にしていましたし、そもそも復活など望んでもいなかったのです。それが、実際に三日たった日曜日になると、墓が空になっていて、これは復活したのではないか?と弟子達は大騒ぎになっていたのです。 そのイエス様はどこに行ったのでしょう?

Ⅱ.エルサレムから離れていった二人

そんな騒ぎの中で、違うところにいる他の弟子達がいました。それはクレオパと、もうひとりの弟子の二人だったのですが、彼らはエルサレムからエマオという村へ向かって歩いていました。彼らの顔つきは大変暗いものでした。それもそうです、イエス様がつい数日前に死んでしまわれて、自分達の希望は失われてしまったのですから。それはもう、ひどいイエス様ロス状態だったと思います。このふたりの道中の話題はもちろん、イエス様の十字架と死についてでした。ところがそこに、あるひとりの人が近づいて来たのです。そして何食わぬ顔で、「もしもし、一体何の話をしているのですか?」と言う訳です。これを聞いたクレオパ達は、なかばあきれ返ってしまいました。というのはイエス様が十字架に架かったのは、エルサレム中を騒がした大事件で、知らない人は誰もいないほどだったのです。そんな話しをしていても、相手がイエス様だと二人は気づかないのです。二人はエルサレムに残っている弟子達のように「イエス様が復活したのだろうか?」と慌てているのとは別に、エマオの町にある自分たちの家に向かっていました。イエス様が復活したのかどうか、もうそんなことよりも自分の生活に気持ちが戻ってしまったのでしょう。信仰の目が失われてしまって、目に見える現実に心が移ってしまっていました。二人は、横にいるイエス様のことも、ただの人にしか見えなかったのです。信仰の目というのは、目に見えない大切なものを見ようとする心の目です。二人にはイエス様の、目には見えない大切な価値が見えませんでした。
私たちは仕事や勉強、子どもの世話、人付き合い、身内の病気や親の介護。わたしたちを取り巻く生活は、このようなことが沢山あって自分が埋もれてしまいそうになります。
エマオに向かっているこの二人も、エルサレムから離れて、自分の家に向かっていたということは、自分の生活にもどって、イエス様の復活よりも大切に思える何かの用事が沢山あったのでしょう。話しをしている相手がイエス様だと気づかずに、二人は歩いていました。
ところが段々と思いがけない雰囲気になっていきます。それはこの人が聖書にやたらと詳しいのです。キリストは苦しみを受けてから蘇られるっていう事を、聖書の中から順番に解き明かしていかれたのです。それを聞いたこの二人の弟子はもう、その話しに夢中になってしまって、とうとうその人に、「今夜は一緒に泊まってください」とお願いするまでになってしまいました。

Ⅲ.あの時のイエス

エマオという町の二人の家で、イエス様は食事をとることになりました。エルサレムに行ってしばらく留守にしていた家には、たいした食べ物はありません。しかし、イエス様が手を伸ばして、パンを取りました。するとパンを手に持ちながら賛美の祈りを唱え始めたのです。二人はどこかでこの光景を見たように思いました。そうです、あの五千人もの人が山の上でイエス様の話しを聞いていた時、みんなお腹をすかして困ってしまった時に、イエスは少年が差し出した五つのパンと二匹の魚で、そこにいた五千人を満腹させる奇跡をなさいました。あの時のイエス様の仕草や声と同じです。イエス様はあの時と同じように、パンを裂いて、裂いたパンを二人に手渡しました。その手には痛々しい釘の傷跡が残っていたはずです。この時も自分たちが差し出した僅かな食事を、より豊かなものとして与えてくださった。「あなたはイエス様ですね? 本当に復活されたのですね?」それが分かった途端、イエス様の姿は消えて見えなくなったのです。
イエス様だと分かった後の二人の反応を見て欲しいと思うのです。時を移さず出発して、仲間がいるエルサレムに戻っていったのです。もう夜になっていました。どれだけ二人にとって衝撃的だったのか?ということです。衝撃の理由は「復活したイエス様」に出会ったということです。人間がもっとも恐れる死というものを打ち破って、復活して生きている方となったのです。 それは当時の人にとって望み通りの救い主ではなくて、想像をはるかに超えた偉大な力、終わることのない恵みを意味していたのです。
復活は蘇生することとは違います。一旦生き返って、またいつか亡くなるということではなく、永遠に続く命のお方がずっと生きていて、今も生きて日々パンを裂いて私たちの必要を満たしてくださる。私たちの日々の生活の中で、一緒に歩くべき道を歩き、導いてくださる方が、復活されたイエスキリストです。

Ⅳ.一緒に歩いている人を見失わない

今日みなさんにお願いしたいことは、自分の人生は自分一人で歩いていると、思わないで欲しいということです。今日の話しで、エマオの町に向かって行く二人に対して「イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。」とあるように、イエス様は向こうの方から来て一緒に歩いて下さる方です。ですから自分しかいない、自分だけでいい、最後は自分だけが頼りだと思わないで欲しいのです。一歩外にでると、私たちは周りの声に惑わされます。「どうせ自分しかいないんだぞ」という声を聞くと、それに引っ張られて、一緒に歩いている、イエス様を見失ってしまいます。しかし、すぐ近くにいて、それもいつまでも、永遠にそばにいてくださるのが、復活の主イエス・キリストです。イエス様の方から離れて行くことは決してありません。この方が与えてくださる日々の恵みに感謝して、離れずに繋がり続けて、人生を歩んで欲しいと願います。 お祈りをします。

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キリストの後ろ姿

2018年4月22日
春の歓迎礼拝
和田一郎副牧師
ルカによる福音書23章13~27節

Ⅰ.イエスに出会った二人の人

今日の聖書箇所は2千年前のユダヤの国が舞台です。そこではイエス・キリストという救世主が、人々の心や体の病気を癒し、神様とはどんなお方なのかを人々に教えながら、町から町へと旅をしていました。イエス・キリストを救世主と先ほど言いましたが、旧約聖書には数千年に渡って「ある一人の救世主が現れます」との預言が書かれています。その救世主であるイエスキリストが現れたのです。しかし、その影響力に恐れを抱いたユダヤの宗教的な指導者たちは、イエス様を殺す計画をたてました。そして無理やりとらえて裁判にかけたのです。今日の聖書箇所は、その裁判にかけられたシーンから始まります。判決を下すはずの総督がこのように言いました22節「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか?この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからない」。イエス様はまったく罪を犯していませんでしたが、総督は有罪にしてしまいました。それは有罪にして十字架にかけないと群衆が暴動をおこしそうだったからです。判決が下された総督の官邸から、十字架の処刑が行われたゴルゴタと呼ばれる所までイエス様が引かれていきます。十字架の死刑の判決を受けた囚人は、自分が架けられる十字架を担いで処刑場まで歩かなければなりませんでした。その前に鞭で打たれ、兵士からの暴行によって、心も体も傷だらけになっていました。
今日の聖書箇所にはイエスに出会った二人の人がいました。一人はローマ帝国の総督ピラト、もう一人はキレネ人のシモンという人です。この二人はこの日初めてイエス様と出会いました。そしてこの日が最後でした。人生において星の数ほどもある出会いの中の一つ、一期一会の出会いでした。ピラトはユダヤに住んでいましたが、ユダヤ人ではありません。ユダヤを支配していたローマ帝国から送られてきた外国人です。植民地であるユダヤを統治する総督として約10年間この地にいました。その期間に、たまたま裁判という場でイエス様に出会ったのです。ピラトは尋問の中でイエス様のことを知る機会があったのです。「わたしは真理について証しをするために生まれたのだ。そのためにこの世に来たのだ。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」。これは、同じ出来事を記したヨハネ福音書に書かれています。しかし、ピラトはその真理とは何であるかを、深く知ろうとはしませんでした。そして、群衆の圧力に屈するようなかたちで、イエス様に死刑の判決を下したのです。

Ⅱ.イエスのうしろから

もう一人、この日イエス様と出会った人は、キレネ人のシモンという人です。この人は「田舎から出て来た」とありますから、もともとエルサレムに住んでいた人ではありません。何のためにエルサレムに出て来ていたのかというと、その時に行われていたユダヤ人の最大の祭りである過越祭のために巡礼に来ていたようです。そしてせっかく来たエルサレムの町ですから、あちこち見て回っていると、イエス様が十字架を背負って引かれていくところに出くわしたのです。おそらくシモンはイエス様のことを噂で聞いていたのではないでしょうか。ユダヤ中で評判のイエス様がエルサレムに来ると、過越祭のために巡礼に来ていた人々にとって注目の的になっていたからです。そのイエス様が目の前で鞭打ちによって体力を消耗し切って、もう十字架を担ぐ力が残っていませんでした。たまたまそこにいたシモンは、ローマの兵士に呼び止められます。「おい、この人に代わってお前が十字架を担げ」。ローマ兵に命じられては、歯向かう事はできません。彼にとってとんでもない災難でした。なぜ自分がこんなことをしなければならないのか。シモンは重い十字架を背負わされて、歯を食いしばって立ち上がりました。前を見ると、その先にあったのはキリストの後ろ姿です。ボロボロに傷ついて血にまみれた背中が見えました。シモンが聞いていた評判の人イエスという人は、人々を癒す力がある救世主でした。ローマ帝国の支配から解放する、強い力の持ち主しでした。ところが目の前を歩くこのイエスは、なんと惨めな可哀想なやつだろうか。シモンはこの後、ゴルゴタでイエス様が十字架に架けられ、息を引き取るところまで見届けた事でしょう。イエス様が死んだその時、全地は真っ暗で、地震で大地が揺れ動き、岩が裂け、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けました。ローマ兵の百人隊長が「本当にこの人は神の子だった」と口にしました。それから三日後、キリストは復活して40日間に渡って人々の前に現れて話しをしてくださったのです。そこにはもう、あの悲惨で惨めな姿はありません。人間が最も恐れる死というものを打ち破って、永遠の命をご自分だけではなく、キリストを自分自身の救世主であると信じる者であれば、だれであっても、この永遠の命に与れるという希望を伝えられたのです。そして、これが「真理」であり、この真理をあなた達は、世界中に行って伝えなさいと言われました。わたしは天に上げられるが、聖霊を地上に送る。聖霊を受けたあなたたちは力を得る、そうして、わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいると。キレネ人シモンが、どこまで見届けたのかは分かりません。しかし、これらのイエス様の出来事を証しする伝道者として生きる道を選んだのです。

Ⅲ.出会いが残したもの

この日、イエス様と出会ったピラトはキリストと「真理」について言葉を交わしましたが、そのことを知ろうとも、受け入れようともしませんでした。ピラトの心には恐れがあるからです。ピラトは総督という地位に自分の存在価値を置いていました。目に見えるものに自分の存在価値をおいている人には、「恐れ」が付きまとうものです。私たちが恐れるものは、自分自身の限られた力にしか目を向けていないからです。それに対して、神という目に見えない真理に信頼する時、神の尽きることのない力に目を向けることになります。キリストが、そのあり余る力をもって自分を愛してくださることを信じるならば、恐れは平安へ、そして希望へと導かれて行きます。ピラトはそのことが出来ませんでした。彼はその後、西暦36年にユダヤ人の暴動の責任を問われてローマに送還され、その後自殺したと伝えられています。
キレネ人シモンは、次のように伝えられています。シモンの二人の息子、アレクサンドロとルフォスは、イエス様の弟子達と共に、初代教会の主力メンバーとなったと言われています。シモンの妻も、使徒パウロが、実にお世話になったのだとローマの手紙に記されています。つまり家族でクリスチャンとなり世界へと伝道していったのです。シモンのようにイエスに出会って生き方が変わったという人が、いわゆるクリスチャンと呼ばれる人たちです。シモンは、エルサレムに巡礼に行った時にたまたまイエス様に出会ったことで、生き方が変えられました。しかし、実はこれは、たまたまではありません。彼がエルサレムへ行ったのは、神様からの視点で見れば、意味があったのです。大群衆の中で「おいお前」と、ローマ兵に声をかけられたのも偶然ではないのです。十字架を担がされた時は貧乏くじを引いたと思いましたが、それはどれも意味があって、キリストと出会い、生き方が変えられ、家族もまた新しい生き方へと変えられていったのです。
みなさんも、ゴルゴタの丘に向かって歩いて行く、キリストの後ろ姿を、思い浮かべて、心に留めていただきたいと思います。キリストの背中には痛々しい傷があります。血にまみれた背中です。わたしたち人間の中にある、「自分の力でやっていける」「神なんていらない」そうして傲慢になっていく、人間の罪のために、キリストは苦しみを負ってくださいました。その痛々しい後ろ姿に、今日イエス様に出会った事の意味を、受け取っていただきたいと思います。お祈りをいたします。

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いったいこれはどういう人だ

2018年3月25日
受難節第6主日
和田一郎副牧師
ゼカリヤ書9章9~11節
マタイによる福音書21章1~11節

Ⅰ.はじめに

2千年前、エルサレムでは過越しの祭りが行われようとしていましたが、この時代も混沌とした時代でした。特にユダヤ人にとっては、自分の国をローマ帝国に支配されていましたから、違う神を崇める異邦人によって支配されているという屈辱感がありました。そのような闇の中に光を灯す存在として、来られたのがイエス様でした。多くの人々が、イエス様の話しを聞きたいと願って集まったのです。混沌とした時代に、新しい異質な何かが現れ、希望のもてない生活の中に何か光るものがやって来た。それに多くの人が期待したのです。
それと同時に、これを恐れた人々がいました。ユダヤの律法学者や祭司長たちは、自分たちの立場を危うくする身の危険を、このイエス様に感じました。群衆がこのイエス様をユダヤの救い主である王として支持すれば、権力者たちに認められていた立場がなくなってしまう恐れがありました。このように、群衆の期待と権力者たちの恐れは、イエス様一行がエルサレムに近づくにつれて高まっていきます。そしてイエス様が十字架に架かるまでの、最後の5日間がエルサレム入城で始まります。

Ⅱ.エルサレムの途上で

イエス様がエルサレムに行かれるのは、もちろん初めてではありません。しかし、今回のエルサレムへの旅はそれまでとは違ったものです。ご自分の死と復活を弟子達に予告したうえで、ご自身も十字架に架かることを心に決めて、エルサレムに向かっていました。その予告というのは、こういったものです。「わたしはエルサレムに上っていくが、祭司長や律法学者に引き渡され、死刑を宣告され、異邦人によって十字架につけられる。しかし、わたしは三日目に必ず復活する」というものでした。弟子達はこの受難の予告を理解できませんでしたし、理解しようともしませんでした。これからユダヤの王になると期待しているのに、死刑とか十字架とかわけがわからないことを言わないで欲しいとしか思っていませんでした。エルサレムに一緒に向かって行くイエス様と弟子達の間には、行く方向は同じでも、あまりにも大きな隔たりがあったのです。
イエス様は他にも心に決めていたことがありました。それは、いつ自分が十字架に架かるのかということです。そしてそれは過越しの祭りの日でなければ、なりませんでした。過越しの祭りは出エジプトを記念する祭りです。モーセとイスラエルの民がエジプトから逃れる時、生け贄として小羊を屠り、その小羊の血を家の入口に塗ることでイスラエルの民の命は助かりました。そしてエジプトからの解放は、これから起こる十字架による全人類の解放を預言していました。ですから神の子羊であるキリストが、この祭りの日に死ぬことによって預言は成就します。そのたった一日の過越しの祭りが、次の金曜日に迫っていました。

Ⅲ.子ロバに乗って

イエス様は滞在していたべタニアの村を出て、エルサレムに向かって歩いていかれました。エルサレムまでの距離はおおよそ3キロメートル、歩いて1時間ぐらいでしょうか、その途中にあるベトファゲという村を通りかかると、イエス様は二人の弟子を遣わして子ロバを調達してくるように、告げられました。二人の弟子が行ってみると、まだ誰も乗ったことのない、子ロバと親のロバが木の幹に繋がれています。イエス様は、二人の弟子に「主がお入り用なのです」と言いなさい、と命じました。その通りに言うと、何の疑いももたれずにロバを手に入れることができました。
これは、今日お読みしました旧約聖書ゼカリヤ書9章で、キリストご自身について書かれていることを成就させようと心に決めておられたからです。
「見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って」。(ゼカリヤ書9章9節)
王や将軍でしたら立派な馬に乗って入城するのが相応しいでしょう。歴史を見ても優れた武将であればあるほど、乗っている馬も名馬です。ナポレオンが馬に乗っている姿も絵に描かれていますが、そのような名馬に乗って現れたら、乗っている人も堂々と見えたでしょう。しかし、イエス・キリストがエルサレムに入場する時に乗っていたのはロバです。それも子ロバ、おおよそあらゆる動物の中でも、極めて穏やかで控えめな動物、それも子ロバにのって行かれたのです。
しかし、これもゼカリヤ書に記された預言の成就ですが、その理由がありました。ゼカリヤ書には続いてこうあります。「わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ。」(ゼカリヤ書9章10節)
イエス様は、人間の高ぶりを絶ち、平和を成す人として来られました。高ぶる者としてではなく仕える者として来られました。子ロバに乗ってエルサレムに向かって行かれたのは、平和の主であることのしるしでした。

Ⅳ.「みんな」と一緒

エルサレムの東側には、オリーブ山というこんもりとした丘がありました。ロバに乗ったイエス様の一行が、オリーブ山の山頂を通ってエルサレムの町へと下っていきます。「イエス様がエルサレムにやって来る」その噂を聞きつけた人々は、ナツメヤシの枝を持って待っていました。ナツメヤシのことを棕梠と訳します。
過越しの祭りの為に、いつもでしたら6万人程のエルサレムの住民でしたが、その十倍以上の人々で膨れ上がり、人、人、人でごった返していました。その群衆が押し寄せてきて、今か、今かとイエス様が来るのを待っていたのです。オリーブ山から降りてくるイエス様を見て、人々は熱狂しました。子ロバに乗ってエルサレムに近づいてくると群衆は、ナツメヤシの枝を道に敷き始めました。それどころか上着を脱いで、上着までも道に敷きました。かくしてメシアが通る道ができると、群衆は賛美をし始めました。
「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」。ホサナは「主よ我を救いたまえ」の意味です。イエス様を救い主として、群衆は熱狂的に迎えました。

Ⅴ.「いったいこれはどういう人だ」

熱狂する群衆に圧倒されるように、肩を落としているのがユダヤ人の権力者たちでした。彼らは「見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。」と苦々しい思いで見つめていました。過越しの祭りに集まった人々の期待、歓喜、不安、疑い、落胆、これらが入り混じった凄まじいエネルギーがエルサレムを覆っていました。その空気に戸惑うある人たちは「いったいこれはどういう人だ」、と口にしたのです。群衆は「預言者だ」「救い主だ」「ユダヤの王だ」と叫んでいました。しかし、この数日後には、彼らがイエス様を「十字架につけよ」と、手のひらを返すように叫ぶことを私たちは知っています、そしてイエス様もそれを知っていました。エルサレムにいた人たちは、十字架の出来事の後でもそう言ったのではないでしょうか。「いったいこれはどういう人だ」と。
そして、わたしたちも同じです。イエス・キリストをどのように考えればいいでしょうか」。恐らく私たちは、あの群衆の中の一人です。イエス様のことを期待し、喜び、不安になり、疑いをもったり落胆する。いったいこの人は、自分の人生にどう関わる人だろうか?と。
わたしたちは一人で生きていけません。この世にいる「みんな」の中で生きています。
「みんな」の中にいることは安心があります。時として「みんな」は、正しいという考えがあります。寄らば大樹の陰とか、みんなでやればそれが正しいなどと思ってしまいます。そしてこれは民主主義の大きな欠点でもあります。
「みんな」の意見であれば納得することはできても、真理はいつも少数派によって主張されてきたことを歴史は物語っています。群衆の意見が正しいという考えをもつと、群衆におもねるようになり、群衆を操作しようとすることが行われていきます。そして、今の時代は、「共感」さえすれば「みんな」は集まるようです。
そのような「みんな」からの称賛も、あざけりにも真理はありません。しかし、あのエルサレムの熱狂の中で、一人心が冷めている人がいました。それはイエス様です。大群衆の歓喜も称賛もイエス様に向けられていましたが、そのイエス様は人々の称賛に溺れなかった。それは、このお方に真理があったからです。わたしはこの揺るぎないイエス様に、自分の人生に関わって欲しいと思うのです。わたしだけではなく、家族や大切な人たちも、揺るぎないイエス様と関わり続けて欲しいと思うのです。それはこの方の真理が揺るぎないものであると思えるからです。イエス様は「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」と言われました。そして、この道を歩きなさいと招いてくださっています。あのエルサレムに入城された時も、二千年たった今も、この道を一人でも多くの人たちと歩むことを、イエス様は望んでおられます。今日から受難週を迎えます。主イエスの受難を覚えて、この一週間を共に十字架へ向かって歩んでいきましょう。お祈りをします。

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主日共同の礼拝説教

交わりへの招待

2018年2月25日
和田一郎伝道師
出エジプト記18章5~12節
ヨハネの手紙一 1章3~4節

1 宣教の目的

「交わり」という言葉は、いわゆる人と人との付き合いや、交友関係を意味しています。今日の聖書箇所でも「交わり」という言葉が3回出てきますが、ここで使われる原語の言葉は、よく耳にする「コイノニア」というギリシャ語です。
たとえば、礼拝の最後で祈る祝祷も「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが・・・」という、「交わり」もコイノニアです。わたしたちの信仰において、神との関係、人と人の関係は意味深いものですから、一般的な付き合いとか交流とは少し区別して、コイノニアという言葉を「交わり」と訳して使います。
このヨハネの手紙を書いたヨハネという人は、イエス様と、特に深い繋がりのあった人でした。イエス様の公生涯で12弟子の一人としてイエス様と過ごしましたし、ヨハネの福音書やヨハネの黙示録を書いた人です。有名なのはレオナルドダヴィンチの最後の晩餐の絵の中で、イエス様と寄り添っていた人です。イエス様もこのヨハネに、自分の母親の世話を頼むほどに信頼を寄せていたようですから、この手紙の冒頭で書かれていることは、リアリティがあります。
ヨハネの手紙一1章1節には、「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。」とあります。ヨハネは弟子として、イエス様とユダヤの町々を旅して生活をしていましたから、その頃に自分が聞いた、目で見た、そして手で触れて一緒にいた。そのイエス様について証しして伝えると言うのです。
ここではイエス様のことを「いのちのことばについて」と表現しています。ヨハネは福音書でも、同じようにイエス様の事を「言葉」と表現しています。そして、そのイエス様が、「初めからあったもの」とあるように、「天地創造以前の初めから」いた方であること。天におられた存在なのに、地上に降りて来られ、しかも私たちと同じ人間となられたイエス・キリストという人を言い表しています。
ヨハネも一緒に過ごしていて、自分のような罪人であるにもかかわらず、直接触れ合っていた方に「本当の命」がある、私たちを救う「永遠の命」があることが分かった、「だから今、このイエス様のことを、あなたがたにも伝えます」と言っているんです。
注目したいのは、ヨハネが、なぜ私たちにイエス様のことを伝えようとしているのか?その理由です。3節「わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも、わたしたちとの交わりを持つようになるためです」。ここで交わりという言葉がでてきます(コイノニア)。イエス様のことを伝えるのは、「交わりのため」と言うのです。私ヨハネは、イエス様と親しい交わりの関係にありました。素晴らしい交わりです。ですから、あなたがたもこの交わりの中に招き入れたい、そのためにキリストを伝えるのですと言うわけです。その交わりとは、一体どんなものでしょうか。

2 「交わり」という神のビジョン

私たちは、人と人との繋がりを大切にしているつもりですが。クリスチャンは「大切なのは自分と神様の個人的な問題だ」と思いやすいので、交わりは優先順位の低いことと考えてしまう時があるのではないでしょうか。しかし、神様は教会の交わりというのは、決して二次的なものではなく、むしろそれは、神様ご自身が求めている大事な「ビジョン」であると、新約聖書の様子から見ることができます。
ヨハネの手紙を書いた頃のヨハネは、随分高齢になっていましたが、若かりし日々のヨハネが、まだエルサレムにいた頃ですが、使徒言行録で「交わり」についての神様のビジョンを見ることができます。それは、キリスト教会が誕生した時、教会は、ペトロの説教で信仰告白をした3千人の人々によって始められましたが、彼らがキリストを信じて洗礼を受けた後、直ちに取り掛かったことは何でしょうか。それは「交わり」です。もちろん、礼拝も、聖書の学びも、祈りもしました。ですが、それと同時に行なっていたのは「交わり」です。
「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」(使徒2:42)とあります。使徒の教えは、使徒たちによる証しや教えです。パンを裂くことは現在の聖餐式の原型ですが、儀式のようなものではなくて、食べたり飲んだりしながら、最後の晩餐を思い起こして楽しいものだったでしょう。
続いて46節「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。」(使徒言行録2:46-47)
ここに描かれている様子そのものが、「交わり」なのです。礼拝すること、学ぶこと、祈ること、すべてが「交わり」と共にありました。若かりしヨハネ達がそんなふうに「交わり」を熱心にしていたことによって、ある現象が起こりました。47節「主は救われる人々を、日々仲間に加え一つにされた」。
エルサレムにいた人々は、喜びに満ちたクリスチャンの交わりに、引き寄せられるように、教会に繋がっていったのです。
この時から50~60年が過ぎて、ヨハネがこの手紙を書くころには、地中海周辺の諸国でクリスチャンが急激に増えていきました。その要因はいくつかあるようですが、その一つはここにあるように、教会の交わりが豊かにあって、周囲の人に影響を与えていったというものです。当時の社会は差別が当たり前のようにありました。男女の違い、身分の違い、病気や障害への差別、小さな子ども達は虐げられていた。その中で教会の交わりには、差別ではなく「喜びと真心をもって一緒に食事をした」とあります。世の中には格差や差別がありましたが、教会の交わりには喜びがあり、そうして教会は各地に広がっていったのです。

3 交わりの核心にあるのは 「喜び」

教会の交わりの大切さは、どなたでも認識していると思うのです。教会の礼拝や集会に集まること、「集まること」はその人の信仰告白だと言えます。しかし、義務感や責任感で集会に集まるというのは、使徒言行録にある「交わり」に照らしてみると違うようです。
「交わり」の核心にあるのは「喜び」という要素があって、それが差別に苦しんでいた人々を教会に惹きつけたというのが「コイノニアの力」です。それは交わりの中に喜びをもたらす神様の性質を現わしているのです。
私たちの信じる神様は、三位一体の神様です。三位一体というのは、父・子・聖霊の三つの神が交わって初めて一つの「神」であるのです。「交わりの神」である、という信仰を私たちは持っています。その神様の性質には、時として怒りや憤り、悲しみという感情もあります。しかし、それは一時的な反応であって、神の中心的な性質は「愛」です。愛が満たされている所に「喜び」があります。天地を創造された神様は、1週間を毎日「夕べがあり、朝があった。」そして「良しとされた」と、喜びをもって一日を終えていました。私たちのように繰り返される毎日を「ああそんなの当たり前」と片付けずに、良いものを良いと喜ばれる方です。その神様に似た者として造られた人間が、神様と同じように「喜ぶ者」として生きられることを神様は願っています。
イエス様も「ぶどうの木」の話しをされましたが「わたしはぶどうの木、あなた方はその枝である・・・わたしに繋がっていなさい」と話された時も、「これらのことを話したのは・・・あなたがたの喜びが満たされるためである。」(ヨハネ福音書15:11) と、「喜ぶこと」が目的だと言われました。「交わり」の核心には「喜び」という要素があることが分かります。
このぶどうの木の話しを、書き残したのはやはりヨハネですが、今日の聖書箇所の4節でも、同じように「喜びが満ちあふれるため」と記しています。ヨハネはイエス様との喜びのある交わりの中にいました。この交わりの中にあなたも入りなさい。とヨハネは実体験から、私たちに語りかけてくるのです。
それでも、痛みや苦しみのあるこの世の中で、いったいどうやって喜べばいいんですか?という疑問もあると思います。それに対して、カール・バルトという神学者はこう言いました。「喜びは、苦しみや恨みに『それにもかかわらず』と言って待ったをかける、挑戦的なものだ」。
自然に喜びが湧いて来るのを待っていたら、なかなか喜べません。困難があったとしても、それにもかかわらず今ある恵みに気付くのか、気付かないのか?この信仰の挑戦の向こうに喜びが浮かんできます。
今日は信仰生活で大切にしたい、「主にある交わりに生きる」ことについて、御言葉から考えてきました。神様の視点からこの「交わり」というものを考えてみると、そこに「喜び」という神様の性質と、「喜びなさい」という私たちへの「愛」が反映されています。
私が喜ぶこと。友が喜ぶこと。神様が喜ぶこと。この事を交わりの中心に添えて、この一年の交わりを味わって行きたいと願います。お祈りをいたします。