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主日共同の礼拝説教

福音の信仰


2016年5月8日 夕礼拝
和田一郎伝道師
イザヤ書43章1節
ガラテヤの信徒への手紙1章1~5節

今日から、第2、第4主日の夕礼拝で「ガラテヤの信徒への手紙」というパウロの手紙から、御言葉を受け取っていきたいと思います。この手紙を書いたパウロという人に、みなさんはどのような印象をもっていらっしゃるでしょうか?

Ⅰ.パウロという人

新約聖書27の文書のうち、13の文書がパウロによって書かれました。おおよそ半分がパウロの書簡です。神学的内容の手紙を書いたことは事実ですが、あくまで宣教する現場で活躍しながら、多くの教会、伝道者を牧会し、次々に生じる課題、問題に取り組んだ人です。
パウロという名はギリシャ語名で、ヘブル語名ではサウロといいます。サウロはイスラエルの最初の王サウルに由来します。パウロはユダヤ人(ヘブル人)で、系図をたどるとベニヤミンの部族の出身です。ベニヤミン族は12部族で最も小さい部族でした。恐らく、パウロとサウロの名前を、状況によって、使い分けていたと思います。エルサレム教会では「サウロ」と呼ばれていただろうし、異邦人教会では「パウロ」と呼ばれていたのではないでしょうか。使徒言行録13章9節でパウロは「サウロ」から「パウロ」に名前を変えた訳ではありません。それは著者のルカが、最初はユダヤ人として描写し、第一次伝道旅行から、ギリシャ語を話す、地中海周辺の伝道に従事するようになったので、呼び名を変えたのです。
聖書ではイエス様の公生涯が終ってから、パウロが登場しますので、以外に思う方もいるかも知れませんが、パウロはイエス様より10歳程若いぐらいで、ほとんど同じ世代を生きた人です。イエス様や12弟子達がユダヤのガリラヤ地方出身だったのに対して、パウロは、現在のトルコの南部タルソスという町の出身でした。タルソスはガリラヤの田舎とは違って、ローマ帝国の中でも文化の発達した3大学術都市と呼ばれた都市の一つです。その土地柄もあって、パウロはヘブル語、ギリシャ語、恐らくラテン語も話せた国際人でした。その後、エルサレムに移り住んで有名な学者ガマリエルの元で律法を学んだエリートです。そして、とても熱心なファリサイ派でした。しかし、パウロはダマスコへの途上で、イエス様が生きて目の前に現れた事実を、受け入れて頭の中で整理する必要に迫られました。イエス様と出会って、目が見えない状態で自ら学んできた旧約聖書の解釈を、再構築するために頭の中で葛藤していたことでしょう。これらの経験を通して、書かれたのがパウロの書いた手紙で、今日お読みしたガラテヤの信徒への手紙もその一つです。
このガラテヤ書はパウロの書いた手紙でも一番早い時期に書かれたものとされています。
ですから、キリスト教が生まれて、まだ間もない頃に起こった問題を、ガラテヤ書は取り上げているのです。その問題が示されているのが、今日お読みした聖書箇所の1章1節に表されています。

Ⅱ.神によって

この1章1節は、なんでもないような、手紙の前文ですけれども、人から任命されたわけではない、人を通して認められたのでもなく使徒とされた、このパウロ。と、強調されている文章です。ここに当時のキリスト教会の問題が示されています。パウロは第1回伝道旅行でガラテヤ地方へ訪問して、建設されたガラテヤの教会が、その後、パウロとは違う、間違った教えを持つ人たちに、教会が影響されてしまった事実が伝わってきました。彼らは、人が救われるには、キリストを信ずる信仰だけではなく、割礼も受けてモーセの律法のすべてを守らなければならないと、ガラテヤ教会の人たちに広めていました(使徒15章1~5節)。さらに、パウロの教えを否定しただけに留まらず、彼らはパウロの「使徒」という称号も否定したのです。彼らの言い分はこうです「パウロは使徒と自称しているが、本物の使徒ではない。彼はエルサレムの教会からも、ペトロや、イエス様の兄弟ヤコブたちからも任命されてはいない。したがってパウロは公認の使徒ではなく、彼の教えている、割礼も律法も必要としない福音には何の権威も裏付けもない。」と言うものでした。しかし、パウロはこの攻撃に対しても動じないで、この手紙を書きました。自分の使徒職はどんな意味においても人間的なものでなくて、神的なものだと強く主張しているのです。ペトロを中心とする十二使徒や、アンテオケ教会のような人々によって任命されたのではない。アナニヤやバルナバのような人を通して任命されたのでもない、パウロは人間的なものは何一つ、自分の任命とは、かかわりがなかった。直接的にも間接的にも人間によるものではなく、ただ神によるものでした。パウロの表現を借りるならば、それは「イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によって」の事である。ここでは「よって」という一つの言葉にパウロの強い主張が込められています。

Ⅲ.福音の真理

1節の文章の「キリストを死者の中から復活させた父である神とによって」という箇所に注目したいのですが、パウロはダマスコで、復活したイエス様と出会いましたが、もともとファリサイ派であったパウロは、この事をどのように理解していたのでしょうか。今日は召天者記念礼拝ですが、このイエス・キリストの復活というのは、パウロにも、私たちにとっても、どんな意味があるのでしょうか。
まず一つ目に挙げられることは、復活することによって、死に打ち勝った勝利者であることです。もし、十字架の死だけで終わっていたならば、いくらイエス様が、自分から父である神様の意志を果たしたとしても、人から見れば失敗として映って、イエス様の存在は歴史から消えてしまっていたことでしょう。しかし、復活という出来事を通し、十字架の死が、完成された救いであることを示されたのです。また、このことはパウロにも、私たちに対して大きな喜びと希望を与えるものとなりました。イエス様が復活されたように、私たちもやがて復活して、永遠の命を得るという希望です。
キリスト教の考えの中には、生まれ変わりという考え方がありませんから、この私が「私」として、いつか復活するということになります。そうなると、今までに亡くなった方とも、また出会えるということです。そうなると、葬儀のとらえ方も違ってくることになるはずです。単なるお別れではないのです。そしてもう一つは、わたしたちが死によって無になってしまったり、別のものに生まれ変わったりしないわけですから、今の生き方に応じて復活した状態も変わってくるということになります。復活するという信仰をもって、今を一生懸命に生きていこうとするのが、私たちキリスト者の生き方です。パウロはフィリピ書で「生と死」について、このように記しています。
「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。」(フィリピ1:21~22)
パウロにとって、この世は決して楽しいだけではありませんでした。むしろ死には、生きる事の苦しみから解放される要素もありました。神様を目の当たりにしていられる場所に行くことの方が利益がある。一方で、この世で生きていれば、やりがいのある仕事もある。どちらがいいか私には分からない、とパウロはいいます。「死んだらおしまい」という観念はパウロにも、私たちキリスト者にもないわけです。それが私たちに与えられた「イエス・キリストが復活した」意味です。復活が私たちの希望となりました。この希望をこの私に与えて下さったのは、誰によるものなのか?と問われれば、パウロの表現を借りればこうなるでしょう。「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって」与えられた希望なのです。復活の恵みは人からではない、神による永遠の希望です。私たちに与えられた福音の真理、変わることがない、永遠の恵みとして。ガラテヤ書1章4節をお読みして終わります。
「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。」