2016年5月22日
松本雅弘牧師
レビ記13章45~46節
マタイによる福音書8章1節~4節
Ⅰ.「あの時以来」
イエスさまというお方は、私たちが人としての自分を取り戻すために、様々な語りかけを通して、出会ってくださるお方ですね。今日もそうしたイエスさまとの出会いを経験した人が登場します。
山上の説教を終えられたイエスさまが山を下りると、重い皮膚病を患った人が近寄ってきました。聖書に出てくる「重い皮膚病」は、長い間、今で言うところの「ハンセン病」とされてきました。ハンセン病の感染力は非常に弱いと言われます。なおかつ、それは遺伝病ではありません。しかし、日本でも患者が隔離され、子どもをもうけることも禁じられてきた過去があります。そして現在にいたっても、完治する病気でありながらも、社会的差別がなおも残っているのです。
つい先ごろ、4月25日でしたか、日本において、かつてハンセン病患者の刑事裁判などを、隔離された療養施設などに設けた「特別法廷」で開いていたという問題で、最高裁判所が、その調査報告書を公表し、「社会の偏見や差別の助長につながった。患者の人格と尊厳を傷つけたことを深く反省し、お詫びする」と謝罪した出来事がありました。このように、今の日本においても現在進行形の問題であることを思います。
Ⅱ.和解の手を差し伸べるイエス・キリスト
この人の苦しみ、この人を苦しめていたものは、肉体的苦痛であると共に、「汚れた者」というレッテルを貼られるという意味で、宗教的な断罪であり、そして、社会的な疎外でもありました。そのような意味で、この人は三重の苦しみを背負わされていた人だったと思います。
この同じ出来事を記録したルカによる福音書を見ると、この時の彼の様子を「イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた」(ルカ5:12)という言い方で伝えていました。「居てはいけない人がそこに居た」というニュアンスで、その状況を記録しています。しかも、「そこに居た」ということは、本来、その人にあてがわれた場所から、移動してやってきて、そこに居たということでしょう。
当時、この病の人は「汚れた者、汚れた者」と言い、患部を見せながら、人々と接触をしないように移動しなければならないことになっていましたから、そうした犠牲を払ってやって来たのでしょう。そして、ひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願っています。
ここで、ただ1つ気になることがあります。それは、この時の彼は、単純に「主よ、清めてください!」とは言っていないことです。彼の中に、どうしても心配なことがあったのではないでしょうか。それは、「果たしてイエスさまが私を癒そうと思うかどうか/そうした気持ちになるかどうか」と言う事でした。ですから単純に「主よ、清めてください!」とは言っていないのです。いや、言えなかったのでしょう。その代りに「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願ったのではないかと思います。
厳しい世間によって、彼はどれだけ傷ついてきたことでしょう。やっとつかんだ幸せのときを、また、その世間が奪っていく。そうしたことの繰り返しが彼の毎日でした。ですから、何か起これば過剰に反応してしまいます。もう傷つけられたくありませんから、とても防衛的になってしまう……。イエスさまだけは違うと期待しながらも、でも、もしかしたら、と思ってしまう誘惑との戦いだったのではないでしょうか。見るからに普通の人の肌の色とは違っていました。ですから、聖書に出てくるこの人も、自分の病気は、相手の同情をかきたて、人の心を揺さぶるような病ではなく、見た目にも嫌悪感を抱かせるものだと知っていたと思います。また、現代医学では治せる病で、感染力も弱いことは分かっているわけですが、二千年前のこの時代のことです。
そんなことを考え始めたら、ほんとうに自信が無くなって来るのではないでしょうか。ですから、彼の心の中には、「イエスさまは果たして自分を癒そうと思ってくださるかどうか?」 これが唯一、そして決定的に彼の心を支配していた不安だったと思います。
ところが、イエスさまの前にひざまずいている彼に、イエスさまは手を伸ばして触れられた、のです。口をお開きになる前に手を伸ばし、全身重い皮膚病に犯されている人に触わってしまわれたのです。当時、誰もが近づくことさえ恐れる病人です。イエスの周囲にいた人々は、その人が重い皮膚病を患っていると知った瞬間に、後ずさりしたのではないかと思います。しかしイエスさまだけは、逆に前に進み出ながら、手を差し伸べて、その人に触れたのです。
ここで1つ、覚えておきたいことがあります。福音書を見ますと、イエスさまは多くの病人を癒されました。ただ、誰かを癒される時に、常にその人に触れて癒されるわけではない、ということなのです。
例えば、この出来事の後、百人隊長の僕が癒される出来事が紹介されますが、そこでは約束の言葉を与えただけ、僕の姿を見てもいません。主イエスさまは、言葉だけで癒すことができた、ということを福音書は伝えているのです。ところが、この時は、わざわざ重い皮膚病を患った彼の体に触れておられるのです。
それには理由があったと思います。それは、この人の体に触れることが、この人にとってどんなに大事なことかを、イエスさまは良く知っておられたからだと思うのです。思うに、彼の負っていた病、また深い傷は、単に体の病気によるものだけではありませんでした。誰からも相手にされず無視される。バカにされる。
しかも先ほどのレビ記にありましたように、自分自身に対しても「わたしは汚れた者です」と言わねばならない。いや、叫ばねばならない。そのような者として自覚し、そうしたアイデンティティーを刷り込まれていた人です。そこに、彼の心の傷、痛みがあったと思います。
私たちの主イエスさまは、そうした彼の深く痛む傷を、力強く、そして優しく、温かな主の手を置いて癒そうとなさった。癒してくださったのです。
いかがでしょう。この人からすれば、もう、何年も、いや、もしかしたら何十年も経験できなかった感触だったと思います。この彼にイエスさまの手が触れた時、本当に久しぶりの手の感触に、病に犯された彼の肌はどのように反応したのでしょうか?! きっと鳥肌が立ったのではないかと思います。
そして、「よろしい。清くなれ」と言われたイエスさまの言葉。この「よろしい」という言葉の意味は「私はそれを欲する」という意味です。「あなたが欲しさえすれば」という、彼の言葉に対する主イエスさまの答えです。
それだけではありません。「手を差し伸べてその人に触れる」ということは、ユダヤの習慣では仲直りの行為でした。「和解の手を差し伸べる」という意味のある言葉です。
何年もの間、聖なる所から一番遠い場所に閉じ込められていました。人間として生きる権利を奪われるような生活でした。生命と身体はあるのです。いや、心もありました。もしかしたら、彼の心は普通の人とは比べものにならない程、敏感によく働いたかもしれません。でも、そうした心を持っている人間であったにもかかわらず、身の置き場がなかったのです。
そうした彼に、感染するかもしれないのに触ってくれた。友が仲直りの手を差し伸べるように、彼を虐げていた人間社会を代表するかのように、「赦してくれ」と、イエスさまの方から和解の手を差し伸べてくださったのです。そうした上で、彼の手を取って、神さまの恵みの中心へと彼を招き入れてくださったわけなのです。その結果、重い皮膚病はたちまち癒されます。
Ⅲ.山を下りられるイエスさま
ボンヘッファーは、「苦しむ神だけが助けを与えることができる」と言いました。主イエスさまは、誰もが触れない彼に触れられた。和解の手を差し伸べられた。そのようにして、神との間の仲保者になり和解をなしとげてくださったのです。
この憐れみの極地が十字架の死でした。キリストは体を張って、私たちの生きる「居場所」を備えてくださったのです。ご自分の命と引き換えに、私たちに命を与えてくださいました。
最後に8章1節に注目しましょう。「イエスが山を下りられると」と出て来ます。聖書の世界では、山とは神さまに近い場所を意味すると言われます。逆に、海は世俗の世界を象徴します。
ある先生が、「この『イエスが山を下りられる』というひと言の中に、すでに大きな福音があると思います」と語っていましたが、まさにそうだと思います。
学生の時、信州の山の上で行われた修養会に参加し、本当に恵まれた時を過ごしました。上野に戻り、人々の雑踏を通り抜けるに従い、その「恵み」が色あせて来るのを感じたことです。確かに「山の上」は恵まれている。御言葉を聞くことができる。でも私たちは必ず「日常」へと戻って行くのです。
主イエスさまも自分1人が山に留まるのではなく、山から日常に戻る私たちと共に、この世の真っただ中へと進んで行かれるのです。大変さや辛さや、誘惑の多い日常のただ中に、です。
このイエスさまが、そのところで私たちと出会い、出会った私たちは、その出会いを通して本当の自分を取り戻すことができる。そして、安心して主に従う歩みを進めることができるのです。
お祈りします。