2017年2月5日
松本雅弘牧師
サムエル記上3章1~21節
ペトロの手紙一 2章1~2節
Ⅰ.「祈る少年サムエル」
昨年のクリスマス賛美礼拝のポスターは、18世紀の画家ジョシュア・レイノルドによって描かれた『祈る少年サムエル』という作品を模写してデザインされたものでした。この絵に描かれている少年をイエスさまと間違える人も多いそうです。
その表情、肌の色つや、視線、ほんとうに透き通るように、神さまに向けて一直線に思いを集中している幼いサムエルの姿は、神さまの恵みの中で健やかに育った少年の姿を伝えているように思います。
ただ実際には、少年サムエルの成長は必ずしも、ひと筋縄ではいかないものでした。特にサムエルが置かれていた生活環境は子どもの成長にとって決して好ましいものではなかったのです。
Ⅱ.サムエルの育った環境
サムエルがお世話になっていた祭司エリは、当時、シロという町に置かれていた聖所に仕える大祭司でした。祭司エリのもとには、「ならず者」と呼ばれた、エリの2人の息子ホフニとピネハスがいました。つまり、サムエルが預けられた祭司エリの家とは、幼いサムエルにとっては最悪の教育環境だったのです。
E・ピーターソンは著書『若者は、朝露のように』の中で「聖書をよく読んでいくと、意外にも手本とすべき家族が出て来ない」と語ります。世界中どこを捜しても問題のない家族など1つもないというのです。
実は、サムエルが生まれた家庭もそうでした。サムエルを身ごもった時から、母親ハンナは悩んだことだと思います。夫にはもう1人の妻がいたからです。ですから、ハンナは、子どもを授かる前に神さまに祈った祈りを思い起こし、息子をエリのもとに預けました。でも先ほども触れたように、そこにはエリの息子たちがいたのです。
Ⅲ.ある決定的な出来事
ある日、決定的な出来事が起こりました。主の御声がサムエルにくだったのです。サムエルに語られた御言葉の内容は驚くべきものでした。それは祭司エリの家に対する裁きです。
当時、このエリ家はイスラエルにおいて最も重要な家系だったはずです。エリは大祭司であると共に、最後の士師です!!
「士師」とは、サムエル記の前の「ルツ記」その前に出て来る「士師記」の「士師」です。「武士の士」と「教師の師」の2つの「し」をあわせて「士師」と呼ばれ、特別な役割を持つ人のことです。
その役割とは、戦いのある時は野武士のように民をまとめ、敵から守り、平和の時は民の教師として律法の教えに従って民を治める役割を果たしていました。
ご存じのように、当時のイスラエルには、まだ王様はいませんでしたから、宗教的にも政治的にも最高の権威者は大祭司であり、士師であったのです。まさに、このエリという人物がその人でした。
ですから、この日、この晩、その大祭司エリに仕えるサムエルは、はっきりと悟ったことだと思います。大祭司をしのぐ権威者がおられる。また権威がある。それは他でもない主なる神であり、主なる神さまの御言葉であると。
大祭司という役割も、士師という務めも、そしてまたシロにある聖所も、それどころか、その中央に安置される「神の契約の箱」も。そこには十戒を記した2枚の板と、芽を吹いたモーセの杖と、荒野の食物マナの入った壺が収めてあったわけですが、その「神の契約の箱」さえも、神さまの御言葉を離れては何の権威もないということです。
実に歴史を支配し、歴史を動かすお方、それが主なる神さまであり、そのお方の御言葉の権威こそ、サムエルが拠って立つ権威であることを、この出来事を通して、幼いながら、その心の中にはっきりと焼き印されたのです。
この後、サムエル記の出来事は動き始めるわけですが、成人した後のサムエルの果たした役割について、3章20節に次のように記されています。「ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認めた。」
「ダン」とはイスラエル最北端の町、そして「ベエル・シェバ」はイスラエル最南端の町です。たとえて言えば、「北海道から沖縄まで」という意味です。ダンからベエル・シェバまで、イスラエル全域で、そこに住む全てのイスラエルの民が、このサムエルこそが、神がお立てになった預言者であり信頼に足る神の人だと認めたというのです。
預言者とはどのような人でしょうか。預言者とは、その字のごとくに、神から御言葉を預かって伝える人のことです。そして伝えるためには、まず預かる御言葉を聴かなければなりません。サムエルは預言者として、全身全霊をもって神さまの御言葉を聴きました。そして、それを人々に聞かせる人として生き抜いた人でした。その出発点が、今日ご一緒に見て来た「この晩の出来事」に始まったのです。
Ⅳ.「主よ、お話しください。僕は聞いております」
さて、今日は「信仰生活の5つの基本」の第3番目「御言葉と祈りに生きる」を考える上で、サムエル記上3章を読んできましたが、サムエルは、「主よ、お話しください。僕は聞いております」と祈り始め、その後、だれにも勝って神さまに聴く人となり、そしてまた、人々に対しても、王に対しても、御言葉に聴くことを求めた人であったといえます。
ある聖書の専門家が、聖書に綴られているイスラエルの民の歴史を、「Human confusion and Divine providence(人間の混乱と神の摂理)」と呼びました。
1つひとつの出来事は混乱の連続です。サムエルが生まれた家庭も複雑な人間関係がありました。サムエルが預けられた祭司エリの家にはホフニとピネハスという「ならず者」がいました。完璧な家庭、最高の環境などありえないのです。どこにも様々な混乱があるのです。
私たちの目は批判力旺盛です。問題点や欠点、足りないところを見つけるように、と言われれば、次から次へと指摘することができるでしょう。そして、「人間の混乱」しか目に入らず、その結果、自分が置かれている環境は最悪で、どうにもならないと絶望的になったりします。
けれでも、そうした中で、「主よ、お話しください。僕は聞いております」と祈るようにと、聖書は私たちに勧めるのです。
そのようにして、聖書と祈りによって、神さまから新しい視点が与えられる時、混乱としか見えない中に、実は、すでに愛と慈しみに富む神さまの摂理の御手の業が始められていることをしっかりと見ていくことが出来るのです。
絨毯を思い出していただきたいのです。絨毯の裏側を見ている時、その絵柄はまさに「混乱」そのものではないでしょうか。しかし、御言葉と祈りの生活を通して、神さまの視点、神さまの価値観、神さまの物の見方を教えられ、そのレンズを通して物事を見ていく時に、本当に不思議なのですが、混乱の中に神さまの摂理の御業、愛の御業を見出すことができる。つまり、絨毯の表、神さまの愛と恵みが織りなす、素晴らしい絵柄を見せていただくことができるのです。
いかがでしょう?! 日々の生活は「こんなはずではなかった」と思う出来事の連続です。今日のサムエルもそうでした。そしていつも例に出しますが、あの創世記のヨセフの人生を思い出していただきたいのです。ヨセフは、兄弟の反感を買いエジプトに売られ、売られた先の主人から信頼されたところまではよかったのですが、暇を持て余した主人の妻に、濡れ衣を着せられ、投獄されてしまいます。
獄で出会った高官の夢解きの報いに、獄から解放されると思っていたのに、解放された高官がヨセフのことを忘れてしまう。その結果さらに2年間、獄からの解放はお預けとなりました。
〈やってられない!〉とふて腐れてもおかしくない状況です。でもヨセフは「ふて腐れる」という選択肢を選びませんでした。別の選択肢を選んだ。それが御言葉と祈りの生活です。
私たちクリスチャンにとっての特権は「こんなはずではなかった」と思う出来事の背後に、摂理の神さまの確かな御手があることを確信できることなのです。絨毯を裏側からいくら眺めても、そこには無秩序な模様しかありません。でも絨毯を表から見せてくださる時が必ずやってくるのです。
「こんなはずではなかった」と思えるような出来事の背後で、摂理の神さまは確実に働いておられる。そしていつか最高のタイミングで、全ての糸がつながり織りなされ、鮮やかな恵みの御業を目の当たりにさせられるのです。
その結果、私たちは、その神さまを賛美したい。その神さまに感謝したい。その神さまの恵みに応えて生きていきたいという思いが必ず与えられていくのです。
御言葉に聴く中で価値観が変わり、時間やお金の使い方、人との接し方、物事の判断の仕方が変わっていくのです。つまり人生そのものが変えられていくということです。
その最初の一歩が、少年サムエルが祈った、「主よ、お話しください。僕は聞いております」から始まるのです。
私たちもサムエルのように、「主よ、お話しください。僕は聞いております」と、祈りをもって御言葉を聴き、ぶどうの木であるキリストにしっかりとつながって歩んでまいりましょう!
お祈りします。