カテゴリー
主日共同の礼拝説教

キリストの死の先駆けとして

2018年3月4日
受難節第3主日
松本雅弘牧師
イザヤ書35章3~10節
マタイによる福音書14章1~12節

Ⅰ.ヘロデの誕生パーティー

洗礼者ヨハネが殉教の死を遂げたのは、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの誕生パーティーにおいてでした。
洗礼者ヨハネから、その結婚は律法に適っていないととがめられたヘロデの結婚相手ヘロディアにはサロメという美しい娘がいました。そのサロメがヘロデと招待客の前で踊りを披露したのです。
それを見たヘロデはたいそう喜び、サロメに対して、「願うものは何でもやろう」と、招待客の面前で誓い、約束しました。サロメが母親ヘロディアに相談すると、へロディアはすぐさま「洗礼者ヨハネの首を願うように」と、娘を「唆(そそのか)した」のです。この願いを聞いたヘロデは「心を痛め」ました。しかし、よくよく考えてみたら、実は今までやりたかったことが出来るチャンスが到来したのだと受け止め、結果として、ヘロデは娘のせいにして、やりたくてもやれずにいたことを成し遂げたのでした。
はねられた首が盆に載せられ、踊りをおどったサロメのところに運ばれてきました。サロメは急いで母のところへ持って行きました。想像するだけでもゾッとするような場面です。パーティーは一瞬のうちに凍り付き、招待客はみな、逆らえばこうなると思い知らされた残酷な出来事でした。
そしてヨハネにとって、実にあっけない人生の幕引きです。預言者の中の預言者、エリヤの再来…、そのように言われた洗礼者ヨハネです。そのヨハネがこんなにも簡単に殺され、そして生涯を閉じてしまったのです。

Ⅱ.「ヨハネ殺し」と「イエス殺し」の共通性

洗礼者ヨハネに与えられていた使命は、主イエスの先駆けとなることでした。
「荒れ野で叫ぶ者の声」として主の道を整え、その道筋をまっすぐにする。語ることにおいても、行うことにおいても主イエスの先駆けです。
そして、その死の様においても、ヨハネは主イエスを指さしていたことが分かります。それはヨハネと主イエスの死の間には、幾つかの共通点があるからです。
第1に、「ヨハネ殺し」を誘導したのはヘロディア、そして「イエス殺し」を誘導したのはユダヤの祭司長たちと最高法院でした。ヘロディアもユダヤの指導者たちもどちらも自分の手を汚さず、陰で操っています。さらに、ヘロディアの誘導に乗ってしまった娘のサロメ、「イエス殺し」の誘導に乗ったのは群衆でした。
3つ目の共通点、そこには見て見ぬ振りをする人々がいました。パーティーには大勢の客が招かれていました。でも残念ながら誰1人、それを止めることが出来なかったのです。止める勇気を持ち合わせていませんでした。十字架の場面も同じです。群衆が「十字架に付けろ!」と叫び続ける中、〈これはおかしい。怪しい。間違っている〉と感づいていた人もいたはずです。でもみんな沈黙した。そして結果的に「イエス殺し」の行為そのものを肯定していくのです。
そして最後に、ヨハネの死に決定的な命令をくだしたのはヘロデでした。
「願うものは何でもやろう」と、軽々しく誓い、約束すること、それ自体が問題ではありますが、より大きな罪に手を染めないため、そこから引き返すことも出来たかもしれないのです。
主イエスの時はどうでしょう。最終命令をくだしたのはピラトです。ピラトの場合、その決定はピラトにとって不本意なことで、彼は手を洗いながら、「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」(マタイ27:24)と言い放ちます。
ピラトの言い訳、いや言い分はそうだったでしょう。しかし残念ながら歴史はそう見ていません。「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け」と世界中で、毎日曜日、クリスチャンたちはピラトの名前を口にして主への信仰を告白しています。歴史は、ピラトその人こそが、あの場面での最大の責任者だと証言するのです。
確かにヘロデもピラトも権力を誇示しました。でも周りを見ながらびくびくしていたのも彼らでした。
その証拠にヨハネを処刑した後、ヘロデは「ヨハネの亡霊」に苦しめられます。主イエスの評判を聞いた時、彼は言いました。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている」(マタイ14:2)と。
今日の箇所には一切、主イエスは登場しません。でもヨハネの生き様、死に様を通し、主イエスが鮮やかに証しされているのです。ヨハネの存在が時の権力者ヘロデを恐れさせたのです。

Ⅲ.キリストの十字架の特殊性

私たちは受難節の季節を過ごしています。ヨハネの殉教を通して、今一度、主イエスの受難の場面を想い起こします。
先ほど2人の死を取り巻く共通点を見ましたが、そうした中でもイエスの死はヨハネの死を越えたものがあります。
ヨハネの場合、彼はあくまでも主イエスの先駆けでしたが、主イエスは指さされる側、証しされるべき、救い主そのものであられたということです。
公生涯を始めた主イエスと初めて出会った時にヨハネは宣言しました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と。
神が全人類の贖いのために備えられた小羊がイエス・キリストでした。それ故、主イエスの死には本当に特別な意味があったのです。
バルセロナの聖家族教会にある十字架のキリスト像は真っ裸です。訪れる人がたくさんいる中で、ある人たちはその姿を見てクスクス笑う。しかし、その作者、スビラックス曰く、「この像こそ、キリストがしのばれたひどい恥を表す」と。
主イエスの場合、時の権力者の敵意だけではありません。民衆からも敵視され、狂気が盛り上がる中、密かにではなく、公衆の面前で恥をさらし、あざけられながら時間をかけて殺されていったのです。
肉体は勿論、精神的にも、父なる神から拒絶されるという、霊的な意味においても、すべての苦しみを味わい抜いて死なれました。そして洗礼者ヨハネの死をもしっかりと受けとめ、その死を引き受けておられるのだと思うのです。

Ⅳ.証し人としての歩み

ヨハネは何においてもイエスがキリストであることの証人として生きた人です。実は、聖書の言語、ギリシャ語では「証人」という語は、後に「殉教者」を意味する言葉となっていきます。
数年前に、『キリスト教とローマ帝国―小さなメシア運動が帝国に広がった理由』という本が出版され話題になりました。著者はアメリカ人社会学者のロドニー・スタークで、キリスト教が急激に成長していった理由が何かを突き止めるべく研究し書物にまとめたのです。その結論は、「クリスチャンの生き方が魅力的だった」ということでした。
当時、奴隷が病気になると見捨てられたそうです。でも教会の人々は社会が見捨て、誰も世話をしない人々の世話をしていきました。
女性や子どもは数に数えられなかった時代です。しかし教会は、女性や子どもを大切にしたのです。体が弱かったり、問題を抱えていたり、病気がちな子どもを平気で捨てていた時代、トイレの遺跡から無数の嬰児の遺骨が出土したそうです。そのような中にあって、クリスチャンたちは、子どもたちを大切にしていった、彼らを受け入れていったのです。男性優位の社会の中で、福音に触れた人々が、妻や子どもたちを愛し大事にした。
その結果、家庭が変えられ、家族関係に変化が生じ、神の国の価値観に生きるクリスチャンたちが形成する家庭、「クリスチャンホーム」を目の当たりにした人々、中でも、特に自らの家庭に問題を抱えていた人々が、そうしたクリスチャンホームに憧れるようになっていきました。
そのようなクリスチャンたちの生き方自体が、時代の中で「型破り」だったため迫害も受けました。でもイエスさまへの愛と信仰において、また兄弟姉妹が互いに愛し合うことにおいて一歩も譲らなかったのです。
著者のスタークは、これこそキリスト教がローマ帝国をひっくり返した要因だと結論づけました。
私たちの証しは、洗礼者ヨハネのような殉教を求められるようなものではないかもしれない。いや、ないでしょう。でも証しすることは求められています。主イエスが教えてくださった生き方を祈り求めていく時に、主イエスを知らない家族、友、職場の仲間たちが私たちの生き方に魅力を感じ、「彼らが持っているものを、私たちも欲しい」と、私たちの交わりに加わりたいと願う。そうしたインパクトのある共同体、そうした歩みとさせていただきたいと願います。
アッシジの聖フランシスコは語ったそうです。「常に福音を宣べ伝えなさい。必要であれば言葉を使いなさい」。
考えてみれば、これはすごい言葉です。福音を宣べ伝えると言った場合、普通は言葉で語ることを思い浮かべます。でもフランシスコは、「常に福音を宣べ伝えなさい。必要であれば言葉を使いなさい」と語り、ライフスタイルで主を証ししなさいと教えているのです。
普通は語ることで伝えます。しかし、その人の生き方を見れば、彼が何を大事にしているかが分かることでしょう。そのような意味で、主の前にへりくだり、共におられる主の臨在のうちに歩ませていただきましょう。
そして洗礼者ヨハネのように、少しでも主イエスを証しする証人としての務めを果たす者とされたいと願います。
お祈りします。