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主日共同の礼拝説教

キリストにあって歩く

2018年5月27日
和田一郎副牧師
詩編37編23~29節
コロサイの信徒への手紙2章6~7節

Ⅰ.わたしたちの日常と歩き方

今日のコロサイの信徒への手紙の箇所は「キリストに結ばれて歩みなさい。」(6節)という言葉から始まっています。歩きなさい、というのは生き方、人生の歩き方と言ってもよいかと思います。
先週は大学のアメリカンフットボールで、無防備の相手選手に、怪我をさせることが目的でタックルするという出来事がありました。それが命令には絶対服従の組織の中でコーチや監督からの指示だったということです。タックルをした選手は率直に「たとえ上からの指示があったとしても、自分はすべきではなかった」と話していました。しかし、その時は、指示に従うしかなかったのです。彼にとって、従うべきものがフットボール部の組織でしかないと、考えるしかなかったのだと思います。
しかし、私たちキリスト者は、どこにいても「主イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい」と言われています。「歩みなさい」というのは、そのように生きること、そのように生活することです。

Ⅱ.キリストに結ばれた信仰生活

6節には「あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから」とあります。
「受け入れた」というのは、ただ聖書の教理を受け入れたというのではなくて、キリストという方の人格を受け入れるということです。この自分の人格を、キリストの人格に重ね合わせて、近づいていく、キリストに似た者になっていく、そのように受け入れるということです。イエス様は山上の説教で、どのように生活すべきかを、教えてくださいました。
仲たがいをしている人とは、和解しなさい。腹を立てて怒ったりしてはいけない。仕返しなどはしてはいけない。右の頬を打たれたら、左の頬を向けなさいと言われました。敵を愛しなさい、とも言いました。どんな強い人でも、敵を愛するなんて難しいことですが、そうしなさい、とイエス様は教えました。「私はあなたのことを本気で愛しているんだよ、だから、あなたも敵を愛してごらんなさい」と教えてくださいました。
私を受け入れたのだから、私の道を歩きなさい、そのように生活しなさいというのです。
それは、どういうことなのか。7節「キリストに根を下ろして造り上げられ」なさいとあります。砂や泥の中に根を下ろしても、危なっかしくて頼りにならないものです。でも砂や泥は柔らかいので、根っこを伸ばしやすいと思うのです。ところで、鹿児島には屋久島という島があって、そこで育った屋久杉は樹齢千年以上もある強い杉です。しかし屋久島の地盤は固い岩です。ですから成長するのは遅いのです。地盤が強い分しっかりとした強い木が育つのです。キリストを受け入れた人は、どこに住んでいても、どこで働いていても、このキリストという固い岩に根っこを下ろすことになります。そして、そこで「造り上げられなさい」(7節)と言われるのですから、その固い岩盤から成長していきなさいというのです。洗礼をうけたらゴールじゃないのです。洗礼を受けたところから、キリストにしっかり根っこを下ろして、成長しなさいと言われるのです。どんなに歳をとっても成長するのです。イエス様に似ていくまでには時間がかかります。時間がかかった方が良いと思います。すぐに出来上がったものは、すぐに崩れます。すぐにできると、人には驕り(おごり)が生れます。しかし、屋久杉のように、ゆっくりと成長する人は、しっかりと強く豊かに育まれていくのです。
7節の後半には、「教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい」とあるように、キリストに似ていくと、感謝の思いが増えていくのです。私の友人は、クリスチャンになって良い事が起こったのか?というと、そうでもないというのです。相変わらず嫌なことも続いてあるといいます。しかし、感謝することは増えてきたと言うのです。キリスト教の信仰は、御利益のあるといった御利益信仰ではないのです。クリスチャンになったら受験に受かったり、商売が繁盛するといったことではないのです。しかし、生活の環境は変わらなくても、信仰が成長していくと感謝することが増えていきます。そして、感謝は人生を確実に変えていきます。
今日のコロサイの手紙の6節7節は、キリストを受け入れて洗礼を受けてから、しっかりと成長してゆき感謝が溢れていくという、信仰生活を歩ゆむ道について短く語っています。このキリストが一人一人に与えて下さっている「道」をみつけて、その道を歩んでいきたいと思うのです。

Ⅲ.キリストを受け入れた時

この「道」ということに焦点を当てて見たいと思うのですが、先日この礼拝堂で「三浦綾子読書会」代表の森下先生の講演会がありました。三浦綾子さんの代表作の一つに「道ありき」という本があります。この本は三浦綾子の青春時代を描いた自伝の本ですが、彼女がクリスチャンになる前と、後の様子が描かれている本です。
三浦綾子さんは、大正11年北海道の旭川市に生まれて16歳で小学校の先生になったそうです。その頃に日本は戦争に向かっていました。彼女は何の疑いもなく「あなたたちはお国のために、天皇陛下のために戦争に行くのですよ、それが日本人として素晴らしいことですよ」と、真剣に子どもたちに教え続けました。しかし、昭和20年敗戦の日を境に、それまでの軍国主義は間違っていたとされました。それまでの価値観を捨てさせられて、綾子さんは「私はもう子どもたちを教えることはできない」と思い、小学校の先生を辞めます。それからも世の中なんて信じられない、自分も信じられない、自分を愛せない。そうした心が凍えてもう生きていけないというという思いを、後にある小説の題名にしました。それが『氷点』だそうです。
やがて彼女は、二人の男性と同時に口約束で二重婚約をします。先に結納を持ってきた方と結婚すればいいや、などとふざけたことを考えました。ところが、そのうちの一人が結納を持ってきた日に、突然彼女は高熱を出して倒れたのです、それが、13年に及ぶ肺結核との闘病生活の始まりでした。当時、結核は死の病でしたが、そんな病気にかかった自分に向かって「ざまあみろ、私にはちょうどいいわ」と自分に言ったそうです。それほど、自分を愛することができないで生きていたのです。この時の綾子さんは、イエス様と出会う前でした。自分が歩むべき道が、まだ分からなかった時期です。
ある日、オホーツク海に面した町に、婚約をしたまま先延ばしにしていた、西中さんという人に結納金を返しに行ったのです。西中さんは綾子さんを責めたりしませんでした。綾子さんがどんなに傷つき、どんな気持ちで、婚約を解消しに来たか、痛いほど分かっていたからです。綾子さんはその晩、「もう生きていくのは辛い」と思って、夜中に家を抜け出し、砂浜まで歩いていきます。そして冷たい海の中に入っていきました。そこで後ろからガチっと肩を掴む手があった。そして、背中に背負って砂浜に連れていかれました。それは西中さんでした。綾子さんは背中で「夜の海を見てみたかったの」と言い訳を言いますが、西中さんは「海ならここからでも見えるよ」と言って、陸から暗闇を一緒にながめていました。翌朝、西中さんは結納金を受け取らずに、綾子さんを送り出してくれたそうです。
後になって、綾子さんは、あの「真っ暗な海の中で、西中さんの背中に背負われた時、私の中から死に神が離れて行ったような気がした」そして「わたしは不思議と素直になっていた」と書いています。この後、綾子さんは前川正さんという、同じ結核患者だったクリスチャンと出会って、彼女もクリスチャンとして「信じて歩むべき道を」見つけることになります。そして、この出来事を『道ありき』という自伝小説に書くのです。『道ありき』というのは、「道があった」という事です。あの時から道はあったのだという意味です。あのオホーツク海の、冷たい海に入って「わたしは、死にたい」と真っ暗な海の中にいた時、肩を掴んだ手は誰だったのか。この自分を背負ってくれたのは誰だったのか。西中さんという人の愛を通して、神様の愛がはっきりと現われている。すべてを赦し、すべてをそのままで受け止めて送り出してくれた。あの時から「道」はあったのだ、自分の人生には『道ありき』ということを、三浦綾子さんは書き残したのだそうです。

Ⅳ.キリストにあって歩く

今日みなさんにお願いしたいことは、キリストに結ばれた道があったことを思い起こして頂きたいのです。あの時、差し出してくれた手、語り掛けてくれた言葉、あの人との出会いの中で、「あの時、イエス様がいたのだ」、そして今も一緒に歩んでいる。そのことを、日々忘れずに、キリストに結ばれて、結びつきに確信をもって、この道を歩んでいきたいと思うのです。私たちの道は、キリストに根っこを下ろして成長し、キリストの教えをしっかりと守り続ける、という道です。その先には喜びがあります。感謝しましょう。お祈りします。