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ファミリーチャペル 主日共同の礼拝説教

愛されて愛する

音声は11時礼拝の説教です。

2018年11月11日
成長感謝礼拝  ファミリーチャペル
松本雅弘牧師
ヨハネの手紙一 4章7~12節、19節

Ⅰ.されたようにする

教会と牧師館を行き来する時に幼稚園の中を通ります。私を見つけると、子どもたちは手を振ったり、また、声をかけて来ます。もちろん、一生懸命、もう夢中になって遊んでいる子どももあります。そんな子どもたちの姿を見るのが楽しみです。
子どもたちが大人に向かって話しかけてくる。子どもたち同士が挨拶しあう。それは、そうする子どもが誰かから話しかけられて育っているからです。お父さんやお母さんから「おはよう」、幼稚園の先生から「おはよう」と、語りかけられて一日を始めたからだと思うのです。
今日ここに私の宝物を1つ持ってきました。息子が幼稚園の時、私に贈ってくれた誕生日プレゼントです。私の似顔絵と「40さいになって、よかったね」と、可愛い字でメッセージが添えられています。
この贈り物を眺めながら〈40歳になって良かったことって何だったろう〉と考えてみました。20年も前のことですから思い出すことはできないのですが、ただ〈30代から40代になってしまった〉と思わされた誕生日にちがいなかったでしょう。でも息子からこう言われますと、「ああ、息子がそう言うんだから、40歳になってよかったね」と思えたのだと思います。
実はこの「40歳になって、よかったね」という表現は、お誕生日になった時に、幼稚園で子どもたちを祝福する時の言葉です。息子も幼稚園の先生からそう言われて嬉しかったんだと思います。その嬉しかった言葉を私にも伝えたかった。そのメッセージが「40歳になって、よかったね」という言葉です。私たちはされたようにする、育てられたように育てる、そのことの良い例です。

Ⅱ.「わたしってだれ?」の問い

青山学院大学の先生で、精神科医師の古荘純一先生が、日本の子どもたちの自尊感情が他の国の子どものそれに比べ、とても低いことの原因を究明する本を書いています。幾つかの国の子どもたちを対象に調査したところ、日本の子どもの幸福度は世界最低レベルだったという結果を、衝撃をもって伝えていました。
そうした子どもたちが生活をする家庭や社会を作っているのは私たち大人です。先ほど、「私たちはされたようにする」、「育てられたように育てる」ということをお話しましたが、そうした連鎖、循環のメカニズムからすれば、この結果は、まさに私たち大人自身の自尊感情が乏しく、幸福感を感じられないで生きていることの現れなのかもしれません。
人はあるがままの自分を肯定できない時に、何かが出来る人になれるように、何かを持っている人になれるように、という思いが強くなると言われます。その結果、子どもに対してもそう求めてしまいます。当たり前のことですが、私たちが生きる上で、この自己肯定感は不可欠です。
そこで人は「自分が自分のままであってよいか?」を自問します。そのことに確かな答えや確信が得られない時に不安を感じると言われます。時には、「自分になんか、何の価値もない」と思って、自暴自棄になることさえあります。実は、この「自分が自分のままであってよいか?」という問いに、最初に出会うのが幼稚園の時代なのだそうです。
一般に、3歳の子たちは天真爛漫と言われます。何をするにしても、ちょっとくらい友だちのように出来なくても気にしません。逆にできたら得意顔です。でも、こうした天真爛漫さが4歳頃には消える。何故か? その頃から周囲が見え始めるからだそうです。世界の中心は自分でないと気づく。自分も、大勢いるみんなの中の1人に過ぎないと分かって来る。そしてこの頃から、先ほどの問い、「自分が自分のままであってよいか?」という問いが始まるのだそうです。
つまり、この時期あたりから、人間は「自分は自分でいい」という「自己肯定感」を得たいと求めるようになるというのです。
私たちが「自分は自分のままでいいのか?」という問いを持ち、心配になった時に、一番して欲しいことは「大丈夫、あなたを愛しているよ」という家族や周囲からの肯定的なメッセージです。
「いいんだよ、あなたはあなたで」という《受容》のメッセージを、子どもたちは求めています。そのメッセージで子どもは安心します。これが幼児期の自己肯定の確認方法です。
周囲の人、特にお母さん、あるいはお母さんに代わる人からの自己肯定の保証が、その子の一生の生きる力として人格の中に深く蓄えられると言われます。ただ、現実はどうかと振り返る時「それじゃだめ」とか、「もっとこうでなくちゃ」とか、場合によっては、「なんであなたは、誰々ちゃんのように出来ないの」と、お友達との比較の言葉でダメだしされることもあるでしょう。これでは子どもは救われません。自己肯定が必要な子どもに自己否定を強いてしまうのです。

Ⅲ.子育ての難しさ?

ある時、主イエスは、「パンを求める子に石を与える親はいない」と教えてくださいました。子どもたちがパンを求めるように、「自己肯定して欲しい」と求めたら、私たちは素直に、「大丈夫、あなたを愛しているよ」とか、「いいんだよ、あなたはあなたのままで」と言ってあげたいし、言ってあげることが大事です。
しかし、現実はどうかと言えば、子育てに大切なことは分かっていても、それを実行することはなかなか難しく、そのようにできない自分との闘いです。
では、こうした心の内側にある闘いとどう向き合ったらよいのか、最後に、そのことに触れてお話の締めくくりとしたいと思います。

Ⅳ.愛のメカニズム―愛されて愛する

幼稚園が認定こども園になった時に、福島から講師を迎え講演会を開きました。冒頭、講師の先生が、アメリカで子どもを持つお父さんを対象に行われたアンケート調査のお話をされました。
それは「もう一度、父親をやり直せたら」というアンケートです。結果としてダントツに多かった答え、それは「妻をもっと愛することをすればよかった」、「家族をもっと大切にすればよかった」でした。
それを聞いて、私は深くうなずかされました。「妻をもっと愛する」、「家族をもっと大切にする」、それはまさに「大丈夫、あなたを愛しているよ」、「いいんだよ、あなたはあなたのままで」と語りかけるのと同じこと、「愛する」ということでしょう。
意識的にこうした会話をすると、家庭に温かな空気が流れてくるでしょう。それがいつの間にか、その家庭の文化になっていくのです。そうした家庭の空気を吸って生活する子どもは、自分に対しても温かな目で見ることが出来るでしょうし、友だちに対してもそう接するに違いありません。
私たちは人にほめてもらうから、人をほめることができるようになります。自分が受け入れられているという実感ができてくると、人を受け入れることができるようになってくる。自分の良さを見つけてもらって育つから、人の良さも見つけることができるのです。
ですから、まず子どもたちをたくさん愛してあげて欲しいと思います。そうしたら必ず子どもは人を愛することができる人になります。すると、不思議なことにお母さんやお父さん自身も、我が子から愛をもらっていることに気づくようになるでしょう。愛は決して一方通行のものでなく、キャッチボールのように返って来るものだからです。
そしてもう1つ、私たち人間は、されたようにする存在です。愛される経験があるから愛する力が生まれます。これが愛のメカニズムです。そしてこのメカニズムを働かせるには、まず自分が愛されている存在だと実感できることがとても大事です。それが人を愛する力になるからです。
ただ1つ問題があります。正しい知識を持っていることと、その知識に従って行動できるかどうかは別問題だということです。
「愛のメカニズム」によれば、自分の中にあるものしか相手に提供できません。私たちの「心のタンク」が満たされていなければ肯定的なアプローチを与えることは難しいのです。素直に「大丈夫、あなたはあなたのままで」と言ってあげたいのにそうできないのです。どうしたらよいのでしょう?
その秘訣がヨハネの手紙1の4章19節にあります。「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。」
聖書は、誰よりも先にまず神が、ありのままのあなたを愛してくださっていると教えます。神があなたをご覧になり、「大丈夫、あなたを愛しているよ」、「いいんだよ、あなたはあなたのままで」と肯定しておられます。それが分かって来ると子どもたちや他の人に対してそうできるようになるのです。素晴らしいことだと思います。
そして、こうした神さまからの愛を確認する場、それがこの礼拝の時なのです。聖書を通して語りかけてくださる神さまの愛の言葉に耳を傾け、心のタンクを満たしていただきましょう。そのようにして、子どもたちや周りの人たちと接していきたいと願います。お祈りします。