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主日共同の礼拝説教集

高座教会礼拝堂

仕える者として ― クリスチャン・スチュワードシップに生きる

2018年12月30日
和田一郎副牧師
出エジプト記16章12~29節
ペトロの手紙一 4章10節

1、はじめに

明日で2018年が終わろうとしています。今年の高座教会は、信仰生活の5つの基本の1つ、「クリスチャン・スチュワードシップに生きる」ことを大切にしてきました。
クリスチャン・スチュワードシップとは、「キリスト者の管理の務め」と訳されています。私たちの命、この世で生きる時間、そして物質的なものも、すべては神様によって造られ、与えられたものです。いわば預かりものですから、それら与えられたものを、責任をもって守り、用いることを「クリスチャン・スチュワードシップ」といいます。
今年は、ペトロの手紙一4章10節を主題聖句として歩んできました。
この手紙が書かれた時代に12人の使徒たちは、エルサレムを離れて世界へと出ていき、迫害に遭遇します。ペトロ自身も迫害を受けていましたが、各地の教会の信仰者たちを慰め、励ますためにこの手紙を書きました。
世の中の移り変わりが厳しくとも、いつも自分を引き締め、身を慎んでいなさい。そして、世の中の変化が激しければ激しいほど、信仰生活をしっかり守ること、それが、世の中に翻弄されずに生きることなのだと、ペトロはそのようにこの手紙で励ましています。

2、賜物を生かす

特に今日の聖書箇所では、「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、その賜物を生かして互いに仕えなさい」と言われています。「賜物」とは「神様からのギフト」と言ってよいかと思います。
私たちには、神様から一人一人に違った形で与えられている個性があります。自分が築き上げた個性だと思いがちですが、そのための努力や鍛錬できるということさえも、すべて神様からのギフトだということです。
はじめて教会に来られた方は、「私は神様からギフトなどもらっていない」と思うかも知れません。しかし、聖書は、人はみな例外なく神様からギフトを与えられていると記しています。それは、私たちの時間や財産、また、この身体の内に与えられているものです。
しかし、「自分のこういう所が嫌いだ」という事もあります。ところが、神様はその弱みさえも、賜物として与えていてくださると言っています。欠けだらけのように思える自分でも、その欠けたところを通して、世の中で役立っていくという、不思議なことを神様はされるのです。
自分に与えられているギフトを知ることは大切なことです。教会学校では、たくさんの子どもたちに聖書のことを教えています。子どもたちに、それぞれの賜物を気づかせてあげるお手伝いをしていると言えるかも知れません。賜物を引き出して、伸ばしてあげるお手伝いです。
皆、同じ人間です。でも「神様はあなたにこんな賜物をくださっているんだよね」、「その賜物は素晴らしいよ」と、自分の賜物に気づき、伸す手伝いをしています。
この子どもたちが将来、人生に喜びを感じるとするならば、神様から与えられている賜物を見いだして、それを最大限に生かすことができる。そのような日々を送ることだと思うのです。
「クリスチャン・スチュワードシップ」とは、この『賜物』の管理者の務めのことです。つまり、神様に与えられた賜物に気づき、成長させて生かす務めです。
そして、大事なことは私たちは賜物の「所有者」ではなく、「管理する者」であるということです。私たちがもっている賜物の所有者は、あくまでも神様です。私たちは、それを神様からお預かりしているのです。神様が「これをあなたに預けるから、地上の人生で生かしなさい」と言われるものを、教会や世の中で生かしていかなければならないのです。

3、互いに仕える

今日の御言葉は、賜物を生かすこと、そして、互いに仕えることを求めています。神様は最初の人アダムを創られた時に「人が独りでいるのは良くない」(創世記2:18)と言われました。そこでパートナーとして、女のエバを創られたのです。
人は一人で生きるように造られてはいないのです。私たちは、誰かのために生きることによって、そこに生きがいと喜びを見出すことができるように造られています。ですから、人間本来の生き方に従って、自分の賜物を互いのために役立てるのです。
そして、「仕えなさい」とあります。イエス様は、仕えられるためではなく、仕えるために来たのだと、ご自分のことをおっしゃいました(マタイ20章28)。
イエス様のような仕えるリーダーを、サーバントリーダーと呼んでいます。リーダーというと、部下に強く指示・命令して動かすような支配型リーダーが典型的だったと思いますが、今は仕える精神をもって、リーダー中心ではなく、チームの賜物を引き出して生かすリーダーとして、「仕えるリーダー」が注目されるようになりました。
今年はスポーツの指導者を通して、リーダーの在り方を問われた年でもあるのではないでしょうか。相撲界、ボクシング界、アメリカンフットボールの大学などなど、支配的な指導者の在り方が話題になりました。その中で、女子テニスの大坂なおみ選手の才能を伸ばしたコーチの存在も今年話題になりました。
大坂なおみ選手は、才能はあるけれど成績が伸びない選手でしたが、指導者が変わって大きく飛躍しました。大坂選手の個性をよく見て、励ましているコーチの姿が話題になりました。日本の漫画が大好きな大坂選手、それに合わせて、コーチもその漫画を相当な時間をかけて読んだそうです。信頼関係を作るために自分の時間を捧げて、そうして大坂選手の賜物を引き出していったのです。大坂選手はとてもユニークで繊細なキャラクターですね。支配的なコーチだったら潰れてしまったのではないでしょうか。仕えるリーダーは、彼女にぴったりの「仕え方」で賜物を伸ばしていったのです。
究極のリーダーの在り方として、聖書は、その生涯をとおして仕える者であったイエス様の姿を示しています。
イエス・キリストは、神であるにもかかわらず、十字架の上で死なれました。それは、自分自身を犠牲にして他者に仕えるためです。他者に仕えるために、十字架に架かって下さいました。それが神の愛です。私たちのために仕えてくださったのです。
キリストが人に仕えた生涯と、十字架の出来事を知れば知るほど、また、その方に似せて造られた、わたしたちの本来の性質を理解すればするほど「仕える」ということが、より私たちの在り方として、ふさわしいと分かっていくのではないでしょうか。
一年の終わりを迎え、この年、大切な人を天国に見送ったという方も多いと思います。わたしも今年、叔父を天国に見送りました。横浜の教会で長らく牧師を務めて、もう90歳を越えて引退していましたが、生涯を通して教会に仕える人でした。厳しい人でしたが、わたしにとっては、クリスチャン・スチュワードシップに生きた人だったなと思います。
わたしが神学校に行くと伝えた時、その叔父が、榎本保郎牧師が書いた『一日一章』という本をくれました。その本の中には、鉛筆で線が引いてありました。叔父が大切だと思ったところに線を引いたようです。本をくれた時に、一緒に消しゴムもくれたのです。わたしは「消しゴムは持っているから大丈夫です」と言ったのですが、「いや、これも一緒に」といって渡してくれました。
叔父が亡くなってから思ったのですが、あの消しゴムは、自分が本に書いた線を、消しなさいという意味だったのかな? と気づかされました。自分が引いた線は消して、あらたに自分の線を引くようにという意味が込められていたのかな? いやそうに違いないと、今は思っています。
私たちの歩む道には、誰かがつけた道筋があります。気づかないうちに、実は大切な人のたどった道筋を、自分が歩いているのではないかと思います。大切な人を天国に見送ったあと、少しずつ時間が経つとともに、その人が残した道筋が「ああ、ここにもあったな」と、気づくことがあります。
わたしは、叔父からもらった本の線を消さないことにしました。厳しかった叔父から「お前は甘い、人の引いた線を消して、自分の線を引くんだよ」と叱られるかも知れません。
確かにわたしには、人の情に流され易い甘さがあります。しかし、その「甘さ」さえも、神様から与えられた、この自分の賜物です。道筋をつけてくれた先人から、学ぶことを大切にして、仕える者でありたいと思っています。
今年の主題聖句「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの、善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」。
この御言葉を心に刻んで、年の終わりを過ごしましょう。お祈りをします。