和田一郎副牧師
2019年5月26日
出エジプト記3章11-12節/コロサイ4章15-17節
1、3つの町の教会
この手紙が送られたコロサイという町は、現在のトルコ共和国の南西部にあります。そこにはリュコス川という川が流れていて、その流域にヒエラポリスと、ラオディキア、コロサイという町が三角地帯のようになって点在していました。そこにあった教会というのは、いずれも自分の家を開放して、礼拝をしている教会であったようです。コロサイ教会も立派な建物があるわけではなくて、フィレモンという人の家で礼拝していましたし、ラオディキアの教会は今日の聖書箇所にあるようにニンファという人の家で行われていました。教会が会堂のようなものをもつのは3世紀に入ってからのことです。この手紙が書かれた紀元1世紀では、信徒が自分の家を開放して、そこで集まり、礼拝や祈祷会をもっていました。
たとえば、パウロと一緒にテント作りをしながら宣教の働きをしたアキラとプリスカの夫婦も、ローマやエフェソの町で、自分たちの家を開放して集会をもっていました。さらにフィリピの町はリディア、コリント教会はガイオという人の家で集会をもち、それを教会と呼んでいました。ですから、とても家族的な家の教会が地中海周辺に点在していて、パウロはその家の教会に手紙を書き送っていたのです。
2、牧会者パウロ
この手紙はパウロの晩年の手紙ですが、当時はまだ、新約聖書が存在していませんでした。当時は聖書といえば旧約聖書です。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書が書かれるのはパウロの手紙の後ですから、紀元1世紀のクリスチャンにとって、正しい福音を理解するためにパウロの書いた手紙や、パウロという存在はとても大きかったでしょう。それは知識だけではなくて、キリスト教会として、まとめる人が必要だったのです。旅をしながら福音を宣べ伝える伝道者であり、諸国に散らばるさまざまな教会の牧会者でもありました。
牧会というのは一般的には使わない言葉だと思います。羊や山羊を飼う「羊飼い」のイメージです。教会がリーダーを「羊飼い」と言い表すのは,アブラハムやモーセが羊を飼っていた経験の中からでてきたことからだと思います。そして,詩篇23編の「主は羊飼い,わたしには何も欠けることがない」という詩も、羊飼いを指導者のイメージにしています。牧会という言葉は『広辞苑』を開くと、「魂の配慮をし,信仰と生活を導くこと」と説明されていました。まさしくパウロという人は、羊飼いが、羊一匹いっぴきを見守るように、教会の人々の魂の配慮をし,信仰と生活を導く牧会者でした。
たとえば、パウロは町から町へと移動しながら宣教していたのですが、エフェソという町では、長く滞在することがありました。それだけ時間をかけて丁寧な「牧会」が必要であったのでしょう。また、問題のあったコリント教会でもしばらくの間滞在しています。さらにコリント教会を牧会しながら、パウロはまだ伝道していないローマの信徒に向けて、手紙を書いているのです。まさに伝道者でありながら、牧会者としてのパウロの姿を見ることができます。
3、牧会者としてのモーセ
同じ牧会者として、モーセに注目したいと思います。先ほど、モーセも羊飼いだったと話しました。百万人を超えるイスラエルの民をエジプトから救い出したモーセは、偉大な強いリーダーというイメージがありますが、イスラエルの民の、忠実な牧会者だったといえます。
もともとモーセはエジプトの王宮でエリート教育を受けていました。しかし、自分の立場を悪くしてしまって、エジプトから逃げて40年間、羊の世話をする羊飼いの生活をすることになります。王宮生活から、羊飼いへの転身でした。人生の谷間だったとも言えるでしょう。モーセは、そんな人生の谷間で、家畜を飼育する羊飼たちを見て学んだのです。「牧会する」ということです。荒野では熊や猛獣が、羊を狙っているので、外からの攻撃にも配慮しなければなりません、時として戦う力も必要でした。毎日毎日、羊の数を数えるのです。みんな揃っているだろうか、一匹いっぴきを触りながら傷はないか、弱っていないか、と小さなことにも目を配ったのです。明日食べる草はあるだろうか、牧草のありそうな土地はどこだろうか。小さな事に配慮し、広い視野で力強く導くのです。何十、何百もいる羊たちを力ずくで動かすことはできません。牧会者の心得(牧会マインド)の神髄が、羊飼いの働きの中にあったのです。
その後、モーセは、イスラエルの民が不平不満ばかりを言って、神様に滅ぼされそうになった時も、執り成しの祈りをしました。神様だけではなく、民衆の魂にも耳を傾ける人でした。「モーセという人は、地上のだれにもまさって謙遜であった」(民数記第12章3節)それが、神様から見たモーセの牧会者としての賜物だったのです。
4、牧会者の心
わたしが、牧会者の心というものを感じたのは、神学校に行った時でした。入学した神学校は東京基督教大学(TCU)です。TCUは全寮制の大学なのですが、問題を起こす生徒も中にはいて、途中で退学する学生もいたのです。普通の学校でしたら退学したら、そこで学校の対応は終わりです。しかし、TCUの先生は退学した学生の地元へ飛行機で行って相談にのっていると聞いて驚きました。退学した学生が所属する教会の牧師とも相談して、新しい進路を模索する道筋を相談してきたというのです。別の一件では、問題を起こした学生が、退学した後も傷ついて家に籠っているということでしたが。退学した後も2年程、先生たちはフォローしている話を聞きました。そうした状況を、寮にいる学生を集めて、退学した学生のその後の事を、報告してくださいました。そして、「どうしてこういうことをしているのかを、考えて欲しい」と先生は言われました。TCUは、教会の働きを担う人が学びにきています。わたしは、「TCUという学校は教会のような所だな、教会と同じような所だな、教会と同じように牧会しているのだな」と思いました。そこで牧会の意味が少し分ったように思いました。
問題を起こした学生は罰として退学させたのではないのです。彼の回復を願ってそうしたのです。表向きは退学は退学です。しかし、辞めさせて終わりではない。その人が正しい道へ回復することを本気で願っている。それが牧会マインドだと思いました。
その時に話をしてくださった先生が、自宅に招いてくださって食事を頂いた思い出があります。大学でありながら、教会的であり家族的でした。先生は退学した生徒の報告をしながら、わたしたちに「牧会者の心」を教えようとしたのだと思います。
コロサイの手紙に戻りますが、今日の聖書箇所では、パウロの牧会者としての配慮を見ることができます。この手紙は、コロサイ教会の課題についても書かれています。この手紙をラオディキアの教会でも読んで欲しい、そしてラオディキア教会に送った手紙も、コロサイの人達で読んで欲しいというのです。ヒエラポリスの教会も同じでしょう。近隣の教会が、お互いの課題を知り、相互に牧会ができるように、そこにもパウロの牧会マインドを見ることができます。
今の世界は、強いリーダーを求める傾向があります。イエス様の時代もそうでした。民衆は強い指導者を求め、強いリーダーに惹かれます。しかし、聖書が示す指導者のイメージは「羊飼い」です。ですから、牧会マインドをもって、持ち場持ち場に遣わされて行きたいと思うのです。モーセは100万人を超えるイスラエルの民のリーダーとなることを躊躇していました。「どうしてわたしがリーダーなのですか?わたしには無理です」と拒みました。しかし、神様が「わたしは必ずあなたと共にいる・・・わたしがあなたを遣わす」(出エジプト3章11-12)、という言葉に励まされて、数百万人に寄り添う牧会者となったのです。モーセは数百万の牧会者ですが、ちなみに、我が家は妻と息子の3人家族です。私はこの家族に牧会マインドをもって仕えたいと思います。皆さんの牧会マインドは、どこに向けられるでしょうか。
わたしたちを、いつも牧会してくださる、永遠の牧会者はイエス・キリストです。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは 羊のために命を捨てる。」ヨハネ福音書10章11節。
イエス様は、この言葉の通りに生きて、この言葉の通りに死ぬことで、羊飼いとしての使命をまっとうしてくださいました。この羊飼いに、私たちは生かされています。
そして、このよい羊飼いの大きな腕の中で、私たち自身も、イエス・キリストを鏡として、小さな羊飼いとして、続くようにと招かれています。この招きに応えていきましょう。お祈りをいたしましょう。