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主日共同の礼拝説教集

高座教会礼拝堂

キリストがすべて

和田一郎副牧師
2019年6月23日

マラキ書1章9-12節  コロサイ4章18節

1、キリストの神性

『コロサイの信徒への手紙』を2年前から続けて説教をしてきましたが、今日はその最後の箇所です。4章にわたって書かれた手紙の最後の1節は、何の変哲もないような挨拶で締めくくっているようにみえますが、パウロがこの手紙を書いた思いが込められていると思います。
パウロの手紙のほとんどは、パウロが話したことを、横で聞いている誰かが書いたものです。この手紙も誰かに書かせた手紙ですが、最後の挨拶の文章だけはパウロの自筆で書いているというのです。パウロは目が悪かったとも言われていますし、この時ローマの牢獄に入れられていましたから、鎖に繋がれていたのかも知れません。そのような状況で口述筆記で手紙が書かれていたのですが、最後の文章だけは自筆で書きたいと思ったようです。そこには「わたしが捕らわれの身であることを、心に留めてください」と書いています。捕らわれの身であってでも、伝えたいことがこの4章にわたる手紙に記されているのです。パウロはこの手紙で何を伝えたかったのでしょうか。
コロサイ書1章には、「万物は御子によって、御子のために造られました」とあって、キリストによる天地創造が書かれています。つまりキリストが神であることが書かれています。あるわたしの友人は、キリストが偉大な存在だとは分かるが、神であるとは思えないと言う人がいました。それと同じことを感じていた人が、コロサイにもいたのです。コロサイだけではなくてエルサレムやローマや地中海周辺には、「一体そのイエス・キリストという人は何者なのだ?」という、核心のところで、あいまいになる人がいたのです。今もいますし、いつの時代でもいるのです。
それに対してパウロは言いたかったのです。イエス・キリストは、天地が創造される前からおられた神だということです。キリストは、父なる神と同じ神の性質をもっています、聖霊も同じ神の性質をもっています。それが三位一体の真理です。三位一体説ではなくて三位一体は真理です。
ちなみに、わたしの友人は、このことを説明しましたがキリストが神であることや、三位一体の神のことを「分かった」とは言いませんでした。依然として疑問が残っているようでした。しかし、それでいいと思いましたし、そのように言いました。神様の存在とか性質というのは、人間の知恵や理屈で説明して分かるというものではありません。信じる時が与えられるのを待つしかないでしょう。

2、キリストによる一致

もう一つ、パウロがこの手紙で強調したかったことは、イエス・キリストを神として信じた者同士は一つになれるということです。地中海周辺諸国には、文化の違いがありましたが、神の救いはユダヤ人だけではなく、キリストの十字架によって、すべての人のものになり、すべての人が一つになれるという御業です。これはコロサイ書の3章で強調されていることです。「そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。」(コロサイ3:11)
イエス・キリストを信じることによって、身分や民族に関係なく、神の家族という温かい関係になれるのです。
しかし、人が一つになることの難しさは現在も課題です。わたしは今月、アメリカのアラバマ州で行われたカンバーランド長老教会の、GAと呼ばれる総会に行ってきました。わたしたちカンバーランド長老教会という教団はCPC (カンバーランド・プレスビテリアン・チャーチ)と呼んでいますが、それとは別の組織でCPCA(カンバーランド・プレスビテリアン・チャーチ・イン・アメリカ)という黒人教会があるのです。この二つの組織はもともとは一つのカンバーランド教会でした。しかし、アメリカには人種差別の問題もあって黒人教会とは別になっていました。それを合同する為に2021年に向けて合同しようという議案がありました。これまでも合同するという話は何度かもたれていたのですが、なかなか話はまとまりませんでした。それは人種差別と同時に、黒人教会の方が圧倒的に数が少ないので、その人達が自分たちの大切にしてきた伝統が合同によってのみ込まれてしまうのではないか?自分たちの良さが失われてしまうのではないか?という恐れがあると聞きました。逆に言えば、こちらの側が安心して合同できるアプローチが足りなかったのかも知れません。
GA総会があった地域は、アメリカ南東部のいわゆる「バイブルベルト」とよばれる地域です。そこでは18世紀から19世紀にかけて、キリスト教信仰が熱心に広がったリバイバル運動がありました。カンバーランド長老教会も、その中で生まれました。また、この地域は黒人にも白人にも「反知性主義」という傾向があるという話を聞きました。かつて、リバイバル運動が起こる前の教会は「ハーバードかイエール大学を卒業した者でなければ、教会では説教できない」と定められていたそうです。しかし、リバイバル運動では野外で説教をするなどして、資格も問われずに自由でした。彼らは聖書に「神様は福音の真理を『知恵ある者や賢い者』ではなくて、『幼ない子どものような人』にあらわされると書いてある。「学歴や知性を振りかざす、あなた方は、イエス様が批判した律法学者やパリサイ派の類いではないか」。これが反知性主義と呼ばれる人々の思いだと言うのです。信仰を持つ人の中には「人工的に築き上げられた高慢な知性よりも、素朴で謙虚な無知の方が尊い」という基本的な感覚があるのではないでしょうか。インテリだけが分かる真理ではなく、誰にでも分かる真理でなければならない。とりわけバイブルベルトの地域は、ヨーロッパと比較して、自分たちを考えるといいます。「ヨーロッパは知的で文化的だが、堕落した罪の世界である。自分たちはそこを脱して新しい世界を作ったのだ」という主張です。そこには、律法学者やパリサイ人を、正面から批判したイエス様の言葉に、原点があるように感じました。
アラバマ州の総会が終わって、ケンタッキー州のルイビルに移動しました。ルイビルの中心地には大きな川が流れていて、向こう岸まで何百メートルもあります。濁った水の大きな川の名前はオハイオ川で、少し下流にいけばミシシッピー川に合流して、そこはトムソーヤの冒険の舞台となった所です。川岸の公園にリンカーン大統領の銅像があったのです。案内板を見ると、かつて奴隷を解放させたリンカーンが活躍した時代に、この川を越えると奴隷たちは自由を得ることができる、その境界線となっていたそうです。自由を求めて、この川を命がけで越えたそうです。そこにも黒人と白人、奴隷と主人という身分の違いがあった歴史を見ました。今もその傷跡は残っているといえます。

3、キリストがすべて

リンカーン大統領の銅像がある隣の公園では、賑やかなパレードが行われていました。みんな派手な服装とペインティングをして賑やかでしたが、それは同性愛者のパレード、LGBTを讃えるパレードだったのです。かつては黒人が自分たちの自由を、今はセクシャリティの自由を求める人がいる。実はGA総会でもう一つ、熱く議論されたのが、教会におけるセクシャリティの問題でした。同性愛者の牧師や長老を認めるかどうか? これは採決されずに今後の課題となっていますが、今、アメリカの教会で分裂を招く恐れのある一番大きな要因とされています。かつて、白人と黒人の分裂があったように、今、セクシャリティの問題が教会を分裂させるかも知れません。対立や分裂する要素が今の時代もあります。一致する難しさがあります。一人一人違っていいという価値観の中で、心を一つにすることが難しい時代のように思いました。
しかし、パウロがそのようなわたしたちにも語りかけるのです、「キリストがすべて」だと。人間の知恵ではなく、キリストによる神の知恵、上からの知恵を信じることで人は一つになれます。そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、奴隷と自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべての者のうちにキリストがおられる。
分断したものを一つに結びつけるのはキリストです。キリストを信じる信仰によって、人は一つになれる。この確信に立って、この一週間を歩んでいきたいと思います。
お祈りいたします。