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主日共同の礼拝説教集

高座教会礼拝堂

ほんとうに求めていた生き方

松本雅弘牧師
マタイによる福音書6章19~24節
2019年10月13日

Ⅰ.人生を動かすこころの物語

『きっと、うまくいく』を観ました。インド屈指の難解工科大学に通う学生たちの生活を描いた作品です。入学式で学長がカッコー鳥のはく製を、巣の上に乗せて、新入生たちの前に立って演説するシーンが出て来ます。
「諸君、この鳥は何か分かるかね? カッコーだ。カッコーは巣を決して巣を作らない。他の鳥の巣に卵を忍ばせるんだ。ヒナが生まれる時に、彼らが始めてやることが分かるか?」と言って、巣にあった本物の卵を地面に落とすのです。
当たり前のこと、落ちた卵はグチャグチャに割れてしまいます。それを見て驚いている新入生に向かって間髪入れずに、「いいか。こうして他の鳥の卵を蹴落とすんだ。それで競争は終わり。カッコーの人生は殺しで始まる。戦うか、死ぬか。それが自然の法則だ」と語り、「人生は競走なのだ」と。
こんなシーンもありました。学長が学生に「月面に初めて立った人物は誰かね」と質問します。学生の1人が「ニール・アームストロングです」と答えます。それを受けて「紛れもなくアームストロングだ。これは誰もが知っていることだ。でも2番目に月面に立った人物を君たち覚えているかね。2番目の人物なんて誰も覚えてやしないものだ」と語るのです。
このように「人生は競争」、そして「競争するからには1番にならなければ意味がない」という物語を学生たちの心に植え付けていくのです。その映画を観ながら、日本の私たちにとって、私たちを動かしている物語・価値観って何だろうか、と考えさせられました。日本人と共通する「物語」があったからだと思うのです。

Ⅱ.平安の根拠は?

今日の聖書の箇所には、ダヤ社会にはびこっていた「お金がすべて、蓄えさえあれば安心」という物の考え方に対して主イエスがチャレンジしています。ここで主イエスは「あなたがたは地上に富を積んではならない。むしろ、その富は天に積みなさい。…あなたの富のあるところに、あなたの心もある」と言われました。
別訳聖書では「富」が「宝」と訳され、「あなたの宝物があるところに、あなたの心があるものだ」とおっしゃったのです。
ところで、ここにある「富」とは元々は「宝箱」を意味する言葉が使われていて、使い古した思い出の万年筆や、ましてや息子が作った土団子のようなものではなく、実際にお店に並べたら、しっかりと高値がつくような、貨幣価値がある財産を意味するものです。
しかも、元々のギリシャ語では、わざわざ複数形で書かれていますので、価値あるものがたくさん詰まっている宝箱、たいへんな財産、という意味でしょう。ここで主イエスは、そうした富や宝を、「地上に富を積んではならない」と教えています。理由は、「そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする」から。つまり、どんなに価値ある物も、ずっとそのままの価値を保つことなどありえない。富みには限界があり、最終的に頼りになるものではないのだ、と主イエスは教えるのです。

Ⅲ.富に関わる「新しい物語」

富に関して主イエスが話された次のたとえ話を思い出します。「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(ルカ12:16-21)
ここで主イエスは富に頼ることの愚かさに加え、「神の前に豊かになる生き方」を説いています。先週、「油」の話をしました。本当の意味で大事なもの、「神の前に豊かになる生き方」とは、「本当に大事なことを大事にする生き方」と言い換えてもよいかと思うのです。
私たちの周りには様々な良き物で溢れています。聖書は、それら1つひとつは、神からの贈り物であると教えます。
この美しい自然、豊かな食物、家族や友、私たちの手元にある様々な品物も全てが神さまからの贈物です。
ある男女が婚約したとします。婚約のしるしに男性はダイヤの婚約指輪を贈り、女性は高価な時計をプレゼントします。大切な相手から贈られた記念の品です。ところが、男性が婚約者の女性以上に時計を大事にしたとすればどうでしょう?本末転倒になります。時計、あるいは指輪も、婚約者に対する愛を表わすシンボルであって、いくら高価な品物であっても婚約者にとって代わるものでは決してないからです。
以前、『人生の四季を生きる―教会のおとなたちに贈る34のワーク集』というテキストを読んでいましたら、そこにこんなワークシートがありました。「あなたは、持ち物を全部船に乗せ、『人生洋』という大海原を航海しています。『春の海』を出帆して、楽しい海の旅が続きました。ところが、予想もしなかった大嵐に遭遇! あなたの船は、大波にもまれて今にも沈みそうです。あなたの生命を守るために、船を軽くすることが必要です。あなたが大切にしている積み荷を、どれから順に海に投げ捨てるか決めてください。捨てた荷物は、二度とあなたのものにはなりません。」
そして「積み荷のコンテナは、10あります」とあって、その10が、「①健康、②生きがい、③若さ、④魅力、⑤家族、⑥名誉、⑦仕事、⑧能力、⑨快適な生活、そして⑩財産。」これは究極の選択だと思いました。
みなさんは、どうお応えになりますか?
ここに挙げられた10項目はどれも大切です。しかも、これらには共通点がある。それはこのいずれも神からの贈物、そしていつか神にお返しする時が必ずやって来るということです。ですから、ある種の距離感を持って生きる。握りしめずに、いつでも手放すことができるような距離感が必要だということでしょう。
何故なら本当の意味で私を支えてくれるのは、ここにある10の事柄ではなく、それを与えて下さる神ご自身だからです。ですから「距離感を持って生きる」という生き方は主イエスの賢い生き方であり、正に贈り物の与え主である、神さまのことを覚える生き方だ、と主イエスは説いておられます。

Ⅳ.新しい福音の物語

『きっと、うまくいく』に、印象的なシーンがあります。自殺した学生を葬る場面です。死んだ学生は「競争に勝つ、それも1番になる」という「物語」で救われませんでした。当然ですが、学生が100人居たら救われるのはその内の1人だからです。他の99人は救われない。その証拠に、映画には学生が自ら命を絶とうとする場面が2回もあり、「90人に1人が自殺する」というような、現代インドの学生事情を表わすセリフもありました。明らかに学生はその物語に縛られ苦しんでいる。その苦しみとは救われない苦しみもさることながら、本当に心の底から求めている人間らしく生きることの出来ない苦しみでしょう。ただ埋葬シーンで、ハッとしたのですが、十字架の刺繍のあるストールを掛けた牧師の姿が出て来るのです。古くからのカースト制、他人よりも多くモノを獲得しお金を稼ぎ出世することが幸せと考える物語に代わる新しい物語を求めている、現代インドの若者を描くこの映画の中で、今までの延長線上ではない何か新しい物の見方、価値観を伝える場面のように見えました。
確かにお金は必要です。仕事も大切です。でも「死の床で、どれだけの人が『人生をもっと職場で過ごしたかった』と思うだろうか。『もっとお金を貯めたかった』と考えるだろか」という言葉を読んだことがあります。
聖書は、私たち人は、神のかたちに造られ、神にしか満たすことの出来ない隙間、神にしか癒すことの出来ない渇きがある、と教えます。そのような意味で、私自身が深いところで憧れる生き方、私を生かす新しい物語を必要としている。今、これまで自分を動かしてきた物語に代わる、新しい物語を聞くことを私の心は切に求めているのではないだろうか。聖書はその物語のことを「福音の物語」と呼びます。福音の物語とは人の価値はその人が成したことによらない。神は私という存在をそのあるがままの私を愛しておられるというメッセージです。
ぜひ歓迎礼拝に来られたことを機会に、この新しい福音の物語を心にいただき、それを心の内に響かせながら歩んでいけたらと願います。
お祈りします。