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主日共同の礼拝説教集

高座教会礼拝堂

真のいのちをもたらすために

松本雅弘牧師
イザヤ書62章6-12節、ルカによる福音書2章1-20節
2019年12月22日

Ⅰ.あらすじ

ルカ福音書2章1節以下には、イエスの誕生について、2つの場面設定の中で記録されています。
第1の場面は1節から7節で、ルカはイエスの母マリアと父ヨセフがナザレに住んでいたのに、何故イエスがベツレヘムで誕生したのかの理由を説明しています。それは住民登録のためでした。ヨセフの家系はダビデ王の子孫でしたのでベツレヘムへ帰省しなければならなかったわけです。その距離、約120キロ、クネクネ道を計算に入れると160キロと言われます。マリアは住民登録で訪れたベツレヘムでイエスを出産しました。第2の場面は8節からです。イエスさま誕生の知らせがどのようにして伝えられていったのかが出て来ます。
天使たちは、この幼子誕生の興奮を抑えることができなかったのでしょう。天使たちに天の大軍が加わり、神を賛美して歌い出しました。さらに話は続きます。羊飼いたちは天使の知らせを信じ、確かめるためにベツレヘムへと向かったのです。そしてイエスを見つけ、天使たちが語ったこと全てをマリアとヨセフに伝えました。
このように彼ら羊飼いたちこそが、イエスが長く待ち望まれた救い主であると告げ知らせる最初の人々となったのです。

Ⅱ.羊飼いのクリスマス

実は、羊飼いたちは人口調査の対象外の人々です。ですから人口調査で世の中がごった返している最中、いつもと同じように、野で羊の番をしていたのです。
ルカ福音書によれば、神が最初に御子の誕生の喜びを伝えたいと思ったのは、他でもない、人口調査対象外の羊飼いたちだったのです。それは、他の誰よりも、彼らこそがイエスを必要とする人たちだったからなのではないでしょうか。神は、羊飼いたちこそクリスマスの良き知らせを誰よりも必要としているとお思いになられたのです。
このような中で誕生された御子が、成人した時に語られた「ぶどう園と労働者のたとえ」を思い出しました。朝からずっと待って午後5時になって、やっと雇われた労働者がいました。彼らはぶどう園に呼ばれてやって来たものの、働き始めてすぐに外は暗くなり作業は終了です。
さっきまで「今日、仕事を貰えなかったらどうしよう」と心配して広場に居たのですが、やっと与えられた仕事も1時間も経たない内に切り上げなければならない。「1時間しか働かせて貰えなかった。賃金はもらえるのだろうか」と別の心配で心が一杯になったのです。
ぶどう園の主人にたとえられている神は、最後に雇われた労働者をまずご自分の前に立たせ「ご苦労様。これが約束の賃金、1デナリオン。あなたと家族に祝福があるように」と、みんなと同じように祝福してくださったのです。
これがイエス・キリストの神であり、そうした神だからこそ、クリスマスの喜びの知らせを、この時代、一番必要としていた羊飼いたちに伝えてくださったのです。それは、彼らが神に愛されている尊い者として胸を張って生きて行って欲しかったからです。
そのために、イエス様は羊飼いたちが一番近づき易い家畜小屋に誕生されたのです。きっと動物臭かったと思います。使用中の飼い葉桶に寝かされたわけですから。でも考えてみればその「香り」こそが、羊飼いが身にまとっていた「香水」です。彼らにとって馴染みの匂い。ホッとできるような香りです。
この時、ベツレヘムの羊飼いたちが育てていた羊は、エルサレム神殿で奉納物として捧げられる羊であったと言われていますから、よくよく考えてみるならば、羊飼いたちは人間扱いせず嫌がっていた人々のために汗を流し、野宿をし、大事に育てていたのだから、本来ならば感謝されてもおかしくないはずなのに、嫌がられ、排斥されていたのです。
恐れを感じている羊飼いたちが、そして、私たちも恐れることなく近寄ることができるように、御子イエス・キリストは、このように赤ん坊として生まれてきてくださったのです。羊飼いがやって来た時に、「場違いなところに来たなあ…」と感じないように、しっかりと「田舎の香水」「野原の香水」をたっぷり浴びるようにして、家畜小屋の飼い葉桶に誕生されたのです。何と優しい神さまなのでしょう!
人は、優しくされ、大事にされていることを実感すると、初めて自分と向き合う力が与えられ、自分を大事にすることが出来ます。
たびたびお話しすることですが、子どもたちが人生の土台を据える大切な時期に、一人ひとりが、自分は神さまから愛されている存在なのだ。友達も、みんな神さまから大事にされているお友達なのだ。そのことを、家族の触れ合いの中で。教師との触れ合いなどを通して実感して欲しいのです。そうすれば決して自分を粗末にしませんし、お友達を大切にする人になります。そして、自分を心から愛してくださる神さまを愛する子どもとして成長するのです。そのことを聖書から教えられるからです。
本当に不思議ですが、私たちは愛されていることを知ると人に優しくなれます。逆に冷たくされると相手を恨み、叩かれたら叩き返したくなる。殴られたら〈いつか見ていろよ!〉と復讐心に燃え、そこから悪の連鎖が始まり闇は深まるのです。民族や国家のレベルでも同じです。

Ⅲ.闇の中に飛び込んで来られたイエス・キリスト

「クリスマス」と言うと、何か牧歌的なイメージがあります。でも「現実は?」と言えば、イエスさまの時代も、正に激動の時代だったと思います。冷静になって考えてみればすぐ分かります。皇帝の勅令で、身重の女性も有無も言わせず長旅を強いられる時代です。旅先で生まれた嬰児が飼い葉桶に寝かされるような時代です。
マタイ福音書では、時の為政者ヘロデの心に生じたちっぽけな「不安」のために幼児大虐殺が行われ、イエスさまの家族も「政治難民」としてエジプトに避難しなければならない時代でした。そのような意味で闇の深い時代だったのです。
その深い闇の只中に御子は誕生されました。このことをヨハネは彼の福音書の冒頭で、「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(ヨハネ1:5)と書いています。「闇は光に打ち勝たなかった」のです。
クリスマスの時期になると、時々、思い出すお話があります。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』です。芥川は、地獄の底で多くの罪人がうごめいている中にカンダタという男がいたと語り始めます。彼は人殺しや放火をした大罪人でしたが、一度だけ蜘蛛を殺さずに助けたことがあったので、お釈迦様がこのことを思い出し、彼を救うために地獄の底に蜘蛛の糸を垂らしたというのです。
でも真の神は、糸だけ垂らし、それで善しとする方ではなく、神自らが赤ん坊の姿をして闇の中に飛び込まれたのです! カンダタのような私たちを救い、共に生きることを決意し、地獄のようなこの闇深き世界に飛び込み、喜びと悲しみを分かち合い、十字架の死と復活をもって救いの道を拓いてくださったのです! その始まりの祝いがクリスマスです。

Ⅳ.真のいのちをもたらすために

十字架の出来事の前日、主イエスは弟子たちの足を洗い、過ぎ越しの食卓を囲み、一連の説教を語った最後に、「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)と勝利宣言をされました。
私たちは、イエスさまの弟子として、「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」と祈り、そのように生活するようにと励まされている者たちです。確かに、この社会の現実、私たちの生活には、神さまの御心とは程遠い現実があります。様々な苦闘があり、苦戦を強いられます。でも、そうしたことを含め全てをご存じのイエスさまが、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と勝利宣言をしてくださっているのです。
あの預言者イザヤが、預言者エレミヤが、そして預言者ミカが預言したとおりに、2千年前のクリスマスに、ベツレヘムに、ヨセフの家系に、マリアの胎を通し、イエスという名のメシアをお送り下さった。聖書の預言、聖書の約束が実現したのです。そして、これからも、主御自身が聖書に記されている一つひとつの約束を必ず実現してくださる。そのことが必ず起こっていくのです。私たちは、2019年を後にし、2020年に向かって行きますが、神の御心が少しでも私たちの周りや家庭に、私たち自身のうちに実現する方向に選び取る生き方を求めて行きたいと願います。
来週が今年最後の礼拝となります。その三日後から新しい年が始まります。
新しい年、何が起こるか予測不可能かもしれません。でも、最終的に歴史を支配されているお方は、私たちの天のお父さんです。そのことを心に留め、安心して新しい年をそのお方の御手から恵みとして受け取らせていただきたいと願います。
お祈りいたします。