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主日共同の礼拝説教集

高座教会礼拝堂

私たち、集い喜び分かち合う~使徒言行録2章の教会をめざして~

使徒言行録2章 43-47節
和田一郎副牧師
2019年12月29日

1、使徒言行録2章の出来事

2章に書かれている出来事というのは、弟子達にとって、あの十字架の悲しい出来事から50日が経った日のことです。弟子達が心から慕っていたイエス様が、罪もないのに裁判にかけられ、十字架で処刑されるということは理不尽な出来事です。弟子達は無力で何もできませんでした。
2019年というこの年にも、そのような出来事がありました。たび重なる自然災害が、日本各地を被災地にしてしまいまいた。悲しい事件も沢山ありました。経済が豊かになっても、素晴らしい憲法が成立したとしても、やはり理不尽な出来事はなくなりません。イエス様の十字架の出来事もそうでした。強大なローマ帝国からすれば、イエス・キリストという人に罪があろうと無かろうと、小さな属国に起こった些細な出来事に過ぎません。理不尽はいつの時代もなくなりません、その現実は変わりません。しかし、心の状態は変えられます。
その様子が、イエス様が十字架に架かられてから50日の出来事の中で見ることができます。使徒たちの心に変化が起こっていきます。あれほどまでにイエス様から教えられてきたことを、十分に信じきれず「信仰の薄い者たち」と、何度も言われた弟子達が、見違えるように偉大な使徒とされていく、その変化がこの50日で成されていきます。まず、十字架の出来事から3日目にイエス様が復活され、使徒たちに現れました。そして40日間、その姿を現されてご自身が生きていることを、お示しになりました。そして、使徒たちの目の前で、天に上げられ、さらに10日が過ぎて、弟子達は「エルサレムを離れず、約束されたものを待ちなさい」という、イエス様の言葉を信じて、一同が一つになって集まっていると、50日目に起こったことが、イエス様が約束された、あなた方の上に聖霊が降る、というペンテコステの出来事です。そうして弟子達は変わりました。
何が彼らを変えたのでしょうか。それは、人間の業や力によることではありません。聖霊の力です。イエス・キリストが、ご自分の地上での役割を終えられて、続いて聖霊をこの地上に送ってくださり、弟子達に働きかけました。そうして、弟子達は変えられたのです。以前のように失敗が多く、自分の地位にこだわっていた弟子たちを、聖霊によって頼りになる成長した伝道者とされました。イエス様を失った現実は変わりません。しかし、それは意味のあることなです。イエス様が目の前に見えなくても、聖霊の力を受けて、聖霊の働きを、この心と身体で現わしていくことが示されたのだと確信したのです。弟子達一人ひとりに注がれた聖霊の力は、彼らを新しい命に生きさせました。新しい命は、人々に好感をもたせ、神に対する畏れを起こし、洗礼を授けて、教会に加えられるようにして下さるという現実も変わっていったのです。

2、語る者にも、聞く者にも働く聖霊

聖霊によって変えられた弟子達は、50日前とは別人のようです。その彼らが聖霊に満たされて最初に行ったことは何でしょうか。彼らは「語り始めた」のです。4節「一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」とあります。聖霊によってまず最初に「語り始めた」のです。それも、メソポタミアやアジア、エジプトなどなど、それぞれ外国の言葉で、バラバラにしゃべり出したのです。しかし、言語は違っても、話している内容は同じで「神の偉大な業」について話しだしたのです。
今年の主題聖句、使徒2章17節は、ここと連動しているのです。
「終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る」。
終わりの時とは、聖霊の降る時、つまりこの時です。息子、娘、若者や老人は、老若男女だけではなく国籍や人種を越えてすべての人ということです。幻と夢、預言は同義語で神の言葉という意味です。つまり聖霊が与えられた時、神様の言葉を、民族を超えてすべての人が語ることができる、という旧約聖書ヨエル書の預言の言葉です。旧約の時代には、ある限られた預言者たちにしか許されていなかった、神様の言葉を自由に語るということが、イエス様の十字架とイエス様が聖霊を送ってくださったことによって始まったのです。この後、ペトロが語る説教を語り始めますが、神の言葉の説教は、この時から始まり、今も語り継がれるイエス・キリストについての証しです。2千年ものあいだ、教会では毎週毎週、語られています。今日も世界中の教会で同じことが語られているのがイエス・キリストの証しです。旧約聖書で預言されたメシアである、イエス様が何をされたのか、どんな方なのか、その証しを語り始めたのが、この使徒言行録2章の時です。
聖霊は、私たちをイエス様の証人とします。神の言葉を語るのは、牧師や宣教師だけではありません。「息子、娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る」というように、すべての人が、神様から与えられた恵みを語る者とします。

また、もう一つ大事なことが書かれていますが、聖霊は語る者と同時に、聞く側にも聖霊は働きます。言葉を人々に理解させ、人間の自分勝手な知恵ではなく、これは「神の偉大な業」が語られているのだと分からせて下さるのも聖霊の働きです。しかし、聖霊が降って、聖霊が与えられていても、聖霊が働かないということがあるのです。そのことが、ペンテコステの日にも起こっていたのです。13節に示されているのですが、「しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざける者もいた」というのです。同じように弟子たちの言葉を聞いた人の中に、「神の偉大な業が語られている」と思った人もいれば、「あの人たちは酔っぱらっているのだ」と思った人もいたのです。同じことは今も起こります。どのような説教、どのような証し、どのような言葉を聞いても、聖霊の働きによって「神の偉大な業が語られている」と、信じて聞かなければ受け取れないのです。
聖霊が働いて下さるなら、どんな違いも問題ではありません。言葉や文化や生活習慣が違っていても、その違いが乗り越えられて、神の偉大な業が伝わっていきます。私たちを一つとして下さる。聖霊によって、教会が一つとなっていくのです。

3、一つになって

2章の43節以降は、そうしてできた最初の教会の様子が書かれていますが、「信者たちが一つになって」とか「一つにされた」という言葉が目立ちます。教会が一つのチームのように書かれています。
「One team」という言葉が、今年の流行語にもなりましたが、今年のラグビーワールドカップ日本代表の活躍で、大切なものを学ばされました。その象徴が「One team」という言葉に現されています。ある選手のノートには、「繋がる」という文字が書いてありました。「良い準備を一緒にしていこう」「自分から良い準備をしよう」「準備の仕事、自分の仕事を確認する」などと書いてありました。その選手はポジションのリーダーです。他のポジションにもリーダーがいますし、チーム全体にはキャプテンがいて、さらにそれを統率する監督がいるわけです。その一人ひとりが、それぞれ「繋がる」ということを積み重ねていく先に「One team」になるということが成されるのだと思いました。ただのスローガンではなくて、何をしてワンチームになっていくのかが大事なことだと思います。
12人の弟子達も最初は、漁師や取税人などの寄せ集めでした。彼らが何によって一つになっていったのか、何を共にしていくかが問題です。最初の教会の人々は、42節以降に書かれているように、み言葉を聞き、聖餐にあずかり、祈りを共にするという分かち合いがありました。つまり、毎週の礼拝に集うということや、奉仕であったり小グループに加わって、教会員との繋がりを持つことです。信仰的な基盤の積み重ねの上にワンチームになる、そこにおいて、教会は人間の好き嫌いから解放されて、聖霊によって一つとされるのです。
「霊による一致を保つように努めなさい。 体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。
主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」
エフェソ4章4-6
今年、わたしたちのワンチーム、わたしたちの教会は使徒言行録2章の教会に近づくことはできたでしょうか。み言葉を聞き、聖餐にあずかり、祈りを共にするという営みがこの一年、守られたことに感謝いたします。お祈りをいたします。