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主日共同の礼拝説教

信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら

松本雅弘牧師
宣教73周年記念  創立記念礼拝
士師記2章6―7節、ヘブライへの手紙11章39節―12章2節
2020年1月19日

Ⅰ.はじめに

高座教会は1947年1月19日に最初の礼拝が行われました。満70年が経過し、その間、多くの神の民が起こされ、今も祝福された群れとして歩むことが出来ます幸いを感謝します。

Ⅱ.高座教会の歴史-時宜にかなったお導きを与えてくださった神さま

30周年記念誌『ただキリストの導きの中で』に高座教会誕生の経緯に関わる次のような記述があります。
「思えば30年前、太平洋戦争によって国土は荒廃、絶望と空白、食糧・物資難にあえぎ、虚脱状態の昭和21年夏の頃、厚木基地進駐軍のチャプレン・ストレート師から鷲沢与四二氏へ小さな英文聖書が手渡された。
マッカーサー司令官が占領軍として初めて日本国土を踏んだのが、厚木基地を持つこの土地であった。その頃林間は文字通り防風林として植樹された松林で、農家の牛車が往来し疎開者が林を開墾、芋づくりに励んでいた。アメリカ人はじゃが芋が好物だから強奪されないよう隠匿する必要があるなど、まことしやかに伝えられていた時代でもあった。ある日一台のジープが訪ねて来て、じゃが芋は徴集されなかったが鈴木次男氏が連れていかれた。それは基地の教会にオルガニストを探していた進駐軍が、戦争中も宗教音楽の研究を続けていた鈴木氏のことを、彼のラテン語とグレゴリオ聖歌の先生から聞きつけてクリスマス聖歌の指揮依頼に来たためである。
軍隊合同のクリスマスはカトリック主催でプロテスタント、ユダヤ教も加わっての礼拝であった。この時ストレート師を知ったのであるが、ストレート師は『林間』という地名を『リンカーン』と結び付けて大変気に入り、この地に福音を伝えたいと願っていることを鈴木氏に話された。鈴木氏はそれを親戚関係にあった鷲沢氏に話し、ストレート師を紹介したのが一冊の英文聖書との出会いとなり、高座教会誕生の基となったのである。・・・」
さらに記念誌は最初の礼拝の様子を次のように伝えています。「・・・賑やかなクリスマスを契機に、翌昭和22年1月19日、爾見氏アトリエを会場として最初の聖日の公同礼拝が持たれたのである。参加者は前記のように個性豊かな人たちであったから、礼拝前後の雑談騒々しく、炭を持ち寄って大火鉢を囲みタバコを喫うために、煙だしをしてから礼拝を始めるしまつであった。終わると牧師説教に対する批評まで飛び出すと云う型破りの礼拝も、やはり語り草として残っている。」
「高座教会」という名称は鷲沢さんを中心とした6名のメンバーたちがこの地域の名称、「高座」という名前に心ひかれたそうです。「高座」とは「神が高く座していただくこと」に適当と言うこと、また、「教会は地域の人々の心の拠り所でなければならない」という願いから、「高座コミュニティ教会」という名前に決まり日本基督教団の1つの教会としてスタートをしたわけです。そして3年後の1950年にカンバーランド長老教会に加入していくことになります。
先週、東後勝明さんのお話をしました。高校2年生のときに父親がガンで召されていくときに、「勝明、お前、出世しろよ」という遺言を残した。それ以来、「大切な家族を支えているのは、他でもない自分の稼ぎである。自分が出世すること、自分が偉くなること、それは結果的に、家族の生活にとってプラスになるのだ。そのために、多少、家族にしわ寄せが来てもしょうがない。自分の苦労に比べれば、大したことはない」と突っ走ってきた。しかし、そのしわ寄せが家族の中でも一番、弱い立場にあった子どもに出てしまい。不登校になってしまう。次に奥さんもストレスが原因でくも膜下出血で入院。そして最後は本人も、原因不明の内臓出血で緊急入院。今までやっていけると思っていた、「出世することで幸せが勝ち取れる」という物語では通用しないステージがやってきた。人生を導く「新しい物語」を必要としたのです。それがきっかけで、東後さんは信仰を持つように導かれます。人生の土台を「イエスの物語」「福音の物語」に据えて生きていくように方向転換していったのです。
高座教会の70数年を振り返りますと、私たち教会の歩みもまた、様々な出来事と遭遇し、そのたびに、聖書に立ち返り、あるいは聖書の教えのエッセンスである「信仰告白」に立ち返り、時宜にかなった導きをいただきながら、歩んできたことです。

Ⅲ.教会の歴史とは福音のタスキをつないでいく歴史

こうした高座教会の歴史を振り返る時にいつものように心に思い浮かぶ御言葉が今日のヘブライ人への信徒への手紙の御言葉です。アベルから始め、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセと、信仰の先輩たちの歩みを綴っています。そして今日の聖書の箇所が続くのです。私たち高座教会の歩みは教会史の1ページを綴り、おびただしい証人に雲のように囲まれながら今、この国、この南林間で信仰生活を歩んでいるというのです。当然、声援を送る人々の中には聖書に出てくる先輩たちと共に天に召された高座の仲間たちも加わっている。なぜ彼らが応援し固唾を呑んで私たちの走りを見守っているのでしょう。それは「わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しない」(11:40)とある通りで、ちょうど駅伝のイメージです。
先輩たちから私たちにタスキが渡った。最後ゴールまで途切れることなく繋いでいって欲しい、次の世代にしっかりと手渡して欲しい、ですから応援に力が入る。声援を送り、熱心に執り成してくれている。つまり、私たちが歴史に見られているという側面、このことをヘブライ人への著者は語っているのです。確かに過去にはアブラハム、モーセ、ペトロやパウロ、そしてカルヴァンもいました。でも今、この日本、この地域で福音のタスキをかけて走るようにと召されているのは私たちです。誰も走ってはくれないのです。それを聖書は「わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しない」と表現するのです。私たちの歩みが自分たちの完成と深い関係があることを知っていたからです。ですから高座教会にしかない「走るべき道のり―走るべき区間」を走るように召されているのが私たちです。
私は、高座教会の73年の歴史という出来事の中に、神の民の歴史形成の大切な営みに参与させられている私たちであることを厳かな思いを持って受け止めさせていただきました。
最後になりますが、73年の歴史とは大変なことだと思います。これからも、「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(12:2)、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められ、高座教会に定められている信仰継承のレースを忍耐強く走り抜いていきたいと願います。今日は高座教会の誕生日です。今まで本当に多くの先輩たちの熱い祈りと献身的な奉仕と捧げ物を、神さまが用いて、私たち高座教会をここまでお育てくださいました。
1947年1月19日に教会として誕生しましたから、満73歳となりました。神さまがこの地に誕生させ、導き育ててくださった高座教会の歴史を振り返る時、信仰の先輩たちから受け継いだ福音のタスキを次の世代に手渡す責任を感じます。そして私たちからタスキを受ける次世代の若者たちは、今度は彼ら独自の発想と、もしかしたら今までとは全くちがったやり方で、永遠に変わることのない福音のタスキをかけて走り続け、再び次の世代に繋いでいくのです。そして、私たちも、いつか天の教会のメンバーとして、熱い眼差しと温かく大きな声援を送りながら見守っていくのだと思います。

Ⅳ.信仰の創始者であり完成者であるイエスを見つめつつ

記念誌の作業をしながら、高座教会の70年の歩みを振り返る時、信仰の先輩たちはもちろんですが、神さまご自身の私たちに向けられている熱い眼差し、また慈しみをしみじみと覚えるように思います。そしてまた、確かに一生懸命ではあったのですが、場合によっては自分よがりであったり、的を外し混乱する出来事にも遭遇してきました。しかし、にもかかわらず、神ご自身が慈しみと情熱をもって高座教会という信仰共同体を導き、私たちを祝福の源として用い続けてくださる現実に驚きと深い感謝を覚えるのです。
高座教会を始めてくださった主イエスは完成してくださるお方ですから、これからも、そのお方から決して目を離さず、備えられた信仰の競争を忍耐強く走り抜きたいと思うのです。お祈りいたします。