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主日共同の礼拝説教

神殿きよめ

マタイによる福音書21章12―17節
松本雅弘牧師
2020年2月16日

Ⅰ.憤る主イエス

十字架に付けられる数日前、主イエスは覚悟をもって、エルサレムにお入りになり神殿に直行し、その直後に「神殿きよめ」が起こりました。「売り買いをしていた人々を皆追い出した」とマタイは伝えています。そしてイザヤ書を引用して『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしている」とおっしゃったのです。

Ⅱ.弱い立場の人々への主イエスの優しさ

さらに主イエスはこんなことをなさいました。「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた」。旧約聖書のサムエル記下5章にこの背景となる歴史的出来事が伝えられています。そこにはダビデ王がエルサレムを占拠した時にエルサレムにいたエブス人がダビデをからかい挑発するのです。お前は自分のことを王だと言うが、目の見えない者や足の不自由な者であっても、お前なんかに負けやしない」とからかいます。ところが、そのエブス人に勝利したダビデが、「ダビデの命を憎むという足の不自由な者、目の見えない者を討て」と宣言し、それがきっかけとなり目や足の不自由な者は神殿に入ることが出来なくなった。それが主イエスの時代に至るまでずっと続いていた。加えてのユダヤ教ではそのような不自由さを強いられている人々は神の祝福外の人々であるという教えもあり当然のように神殿から遠ざけられていたのです。ところがこの日、主イエスの「神殿きよめ」の大混乱の中、神殿の境内に入ることが許されなかった目の見えない人、足の不自由な人がこぞって押し入り境内に立たれた主イエスの足元にうずくまったのです。それは、千年の期間、誰も見たことのない光景でした。

Ⅲ. 驚く心

この「不思議」な出来事を見た祭司長、律法学者たちは腹を立てています。ところで「不思議」という言葉は「驚き」「驚くべき事」という意味がある言葉です。その御業を見て腹を立てたのが祭司長、律法学者たちでしたが、まさに驚くべき
こととして受けとめた者たちもいたことをマタイは伝えています。それは子どもたちでした。彼らはろばに乗って入城なさった主イエスを迎えた大人たち、自分たちのお父さんやお母さんたちが大声で賛美した、「ダビデの子にホサナ」という歌を、この時、心から賛美したのです。それは彼らが驚いたからだ、とマタイは伝えるのです。皮肉なことに子どもたちは神賛美に導かれている一方で、祭司長、律法学者たちは、驚かない。腹を立てることがあっても、何の感動もないのです。賛美へと導く、その驚くべき不思議な出来事に、心の目が開かれていない人々がそこにいた。主イエスの愛の業、その愛の業をなさる主イエスご自身に心動かされず、賛美する理由を見つけることなく、全く驚くことがなかった律法学者、祭司長がそこにいた。このこと自体の中に、彼らに対する審きが、マタイによって語られているように感じました。祭司長たち、律法学者たちは、腹を立て、イエスに向かって「子どもたちが何と言っているか、聞こえるか」と訴えます。それに対して、主イエスは詩篇8編の御言葉を引用しながらお答えになっています。
旧約聖書の詩篇8編を見ますと、2節、3節で「天に輝くあなたの威光をたたえます。幼子、乳飲み子の口によって」と書かれていました。さらに5節から7節には、「そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。神に僅かに劣るものとして人を造り/なお、栄光と威光を冠としていただかせ 御手によって造られたものをすべて治めるように/その足もとに置かれました。」とあります。
この詩篇8編は、人の子、つまり神が与えてくださる救い主が、必ず万物を支配するときが来る、と語っている。イエスさまの時代、詩篇8編は、そう解釈され、そのように信じられて歌われていた詩篇だったようです。神が与えてくださる救い主、メシア、王が来られる。その時、その御方を心からほめたたえるのは幼子であり、乳飲み子なのだと詩篇が語っている。こんな難しい、当時の詩篇の解釈なんか、子どもたちは何も知らなかったでしょう。でも、正にこの時、主イエスのリアルな様子を見ていた子どもたちは驚き、感動している。そのお姿に、神を見、「ダビデの子にホサナ」と、主イエスをほめたたえたのです。
主イエスは、そうした子どもたちを弁護した。詩篇の言葉を引きながら、明らかに、ご自身こそ王であることを宣言し、ご自分を迎える者は、この子どもたちだけなのか、ここにいる障碍で苦しみ、弱さを抱える者たちだけなのか、と祭司長たち、律法学者たち、そして神殿境内にいた人々に向かってチャレンジされたのではないでしょうか。

Ⅳ.どこで主イエスと出会うのか

17節には、興味深い続きが記されていきます。「それから、イエスは彼らと別れ、都を出てベタニアに行き、そこにお泊まりになった。」何気ない言葉ですが、「イエスは彼らと別れ」た、とマタイは伝えています。この「別れる」という言葉ですが、口語訳聖書では「彼らを残して」と訳し、新改訳聖書も「彼らをあとに残して」とありました。つまり「人々をそこに立たせたまま、置きざりにする」という意味です。もっとはっきりした言い方を使うならば、「彼らを捨てて」というニュアンスのある言葉です。彼らをエルサレム神殿に置き去りにしたまま、ベタニアに行かれた、のです。なぜ、そうなさったのでしょう。エルサレムには滞在する場所がなかったからでしょう。ある牧師は、この時の出来事を、クリスマスの、あのベツレヘムで起こった出来事と重ね合わせて語っています。主イエスを宿したマリアとヨセフは、ナザレからの長旅で疲れていました。身重のマリアも大変な思いをして、ここまでやって来た。やっとの思いでやって来た目的地ベツレヘムにおいて、彼らを泊める場所がなかった。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」。居場所がなかったのです。ですから貧しい家畜小屋でお生まれになり、飼い葉桶に寝かされたのです。この後、マタイ福音書を読み進めていきますと、マタイ福音書26章の6節に、「さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき」とあって、この数日後に、ここベタニアにおいて、起こったことをマタイは紹介しています。つまりベタニアの村で主イエスを迎えた家は重い皮膚病のシモンたちのいる家だった。
マタイ福音書26章を見ますと、この数日後、主イエスがシモンの家に滞在していた時に、一人の女性が現れて、主イエスの体に香油を注ぎます。すると主イエスは、「この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(マタイ26:12-13)とおっしゃったのです。つまり、このベタニアこそ、主イエスが十字架に歩み進められていく時の最後の砦、十字架に向かうためにご自身の心と体とを休ませ、癒す場所だった。今日の17節、「それから、イエスは彼らと別れ、都を出てベタニアに行き、そこにお泊まりになった。」そここそ、その重い皮膚病で苦しむシモンの家こそが、主イエスを喜んで迎え入れ、十字架に臨む主イエスが、心と体を整えることの出来た居場所だったのです。
本当に皮肉なことにエルサレムでも、そのど真ん中に建つ神殿でもなく、そこから離れたところにある、重い皮膚病のシモンの、ある牧師の言葉を使うならば、もしかしたら、つい先日まで、物乞いをしていたかもしれない、男の家こそが、主イエスのくつろげる、大切な最後の1週間を過ごす居場所だったのです。本当に驚くべきことに驚くことのできなかった大人たちがいました。賛美することが出来なかった。何という皮肉かと思います。私たちは、どうだろうか、と問われます。主は飼い葉桶にお生まれになった。神殿でも王宮でもありません。飼い葉桶です。でも、だからこそ、人口調査の対象外の羊飼いが御子を拝みに来ることが出来、神の祝福の外に置かれていたはずの異邦人の占星術の博士たちが、ユダヤ人を差し置いて礼拝者として招かれたのです。
聖書の聖書と呼ばれる、御言葉を思い出します。「神は、その独り子をお与えになったほどに、この世を愛された」。主は神殿でも王宮でもない、この世、私たちの生活の只中に生まれてこられた。「神は、その独り子をお与えになったほどに、この世を愛された」。ある牧師が語っていました、聞き慣れた言葉だ、と。でも驚くべき出来事を伝える言葉なのです。この驚きからこみ上げてくる喜びが、私たちの賛美となりますように。     お祈りいたします。