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主日共同の礼拝説教

ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け―使徒信条⑨

松本雅弘牧師
サムエル記24章1-4節,10節、15-17節,マタイによる福音書27章1-2節,11-26節
2021年4月11日

Ⅰ.はじめに

今日は、使徒信条の「主は聖霊によって…ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」という告白のところも心に留めながら、御一緒に読み進めていきたいと思います。

Ⅱ.使徒信条に「ピラト」の名があることの意味

使徒信条は分厚い聖書のエッセンスを75文字で綴っています。その短い使徒信条にイエス・キリスト以外の人物の名が二つ出て来ます。一つはマリアの名、そしてもう一つがポンテオ・ピラトの名前です。歴史の教会は使徒信条を記すにあたり、それ程までにピラトの名を残す必要を感じていました。そこには三つの理由があったと言われます。
第一はイエス・キリストの受難が、フィクションではなく、歴史上の出来事であったことを明確にするため。第二にピラトの名前があることで、主イエスは事故死や、事件に巻き込まれて命を落としたのではなく公的な権威のもとで処刑されたということ。第三にピラトは世俗の権威を代表するがゆえに、主イエスはこの世によって裁かれたということです。

ところでここでピラトは群衆の前で水で手を洗い、「この人の血について、私には責任がない」と身の潔白を証しして見せています。聖書を読むかぎり、確かに最後の最後までイエスを処刑することには消極的だったように見えます。ピラトにしてみれば、このような形で、歴史に汚名を残すことになるなどと、これっぽっちも考えていなかったと思うのです。

Ⅲ.ピラトと群衆

当時、バラバ・イエスという人物も逮捕されていました。ピラトは、そのバラバを引き合いに出し、「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアと言われるイエスか」と群衆に尋ねています。群衆は、先日の日曜日にはエルサレムに入城したイエスを歓呼の声を挙げて迎えていました。ですからピラトが、「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアと言われるイエスか」と尋ねたということは、好意をもって主イエスを迎えた彼ら群衆に尋ねれば、何か起こるのではないか、あくまでも主イエスを助けたいと願ったからだと思います。
しかし群衆は、主イエスを十字架につけることを最後まで要求するのです。結果的にピラトは処刑を認めざるを得なかった。手を洗いながら、「この人の血について、私には責任がない。お前たちの問題だ」と言い放ったのです。

私は改めて、ここに登場する群衆の存在についても考えさせられました。最近よくSNSがらみで、「炎上」という言葉を耳にします。何かの行為や発言が人々の目に触れ、それに引っ掛かりを感じた人々が、それをした人/発言した人に向かって集中砲火を浴びせる。場合によっては、その人を追いつめ、死に至らせる事件にまで発展してしまう。
この時、エルサレムに集まっていた群衆一人ひとりは名前を持ち、家族がいて、それぞれに人生ストーリーを持つ人たちです。膝を交えて話したら、悪い人間ではなかったかもしれません。もし彼らがこの時のピラトの立場に居たとしたら、きっとイエスを処刑することを躊躇したに違いありません。しかしそうした彼らは罪を免れるのでしょうか。

一旦ピラトは、その判断を委ねられています。その後、「十字架につけろ!十字架につけろ!」の大合唱が起こりますが、群衆の中には、〈それは違う!〉と思う人もいたでしょう。でも何も言わなかった。いや言えなかったのかもしれません。でもだからと言って、責任はなかったかと言えば、難しい問題ですが、やはり神の御前に問われるように思うのです。

Ⅳ.帰るべきところを持つ

私は、ピラトと群衆の関係を考える中で、本日のもう一つの朗読箇所、サムエル記に記されている人口調査をめぐる、ダビデ王とイスラエルの民の微妙な関係のことが心に浮かびました。
この時ダビデは、直属の部下に命じて人口調査を実施させています。調査の目的は「剣を取りうる戦士」たちの数を把握すること。言わば、イスラエルの軍事力の確認にありました。一見、罪とは無関係の出来事の中に実は、王様としてのダビデの野望/野心が、隠れた罪として潜んでいたことをサムエル記の著者は見逃しません。
実は、人口調査に象徴されるイスラエルの国家としての反映はダビデだけが望んだことではなく、当時、民全体も歓迎していたのです。ダビデが王となり諸外国に引けを取らないくらいの強大な国軍を持ち、立派な国になることは、民の誇りとなり、それを人々は歓迎したのです。今まで自分たちを苦しめてきたペリシテ民族からの解放だけではなく、周辺諸国と戦って連戦連勝するダビデの軍隊の勇ましさ、イスラエル王国が強く、その軍事力が強大になることは、ダビデ本人も願っていたことでしたし、他でもない民の望むところだったようです。
しかし、それは神の御心を悲しませることとなり、結果として、イスラエル全土で七万人の命が犠牲になったことを聖書は伝えています。罪の深刻さを知ったダビデは、罪の全ての責任を自らが背負うことによって、イスラエルの人々を生かしたい、救いたい、と祈りを捧げるように導かれていきます。主はそうしたダビデを憐れみ、預言者を遣わし悔い改めへと導き、その預言者の導きに従い、主のための祭壇を築き礼拝を捧げた。そして神の憐れによって裁きが収まるのです。そのことの記念の場所として、後の世代までも記念するために、そこに神殿を建てることを決め、実際には息子ソロモンが神殿を立てるのですが、神殿建設の青写真や建設資金の全てをダビデは準備することになります。

サムエル記は、ダビデが祭壇を築き礼拝を捧げた出来事をもって、ダビデの歩みを総括します。つまり「王様ダビデ」でも「軍人ダビデ」でもなく、「礼拝者ダビデ」として総括するのです。群衆の前のダビデでも、権力をまとうダビデでもなく、神のみ前にあるダビデです。
少し古い話ですが、2003年3月19日に、クリスチャンとしても知られていた、当時日銀総裁であった速水優さんが、退任の記者会見をした時、最後に記者からこんな質問を受けました。「金融政策運営を司る上で信仰はどのように総裁を支えたのか。」それに対して速水さんは、次のように答えたという記事がありました。
「私は、1945年、昭和20年からのクリスチャンである。…クリスチャン・ホームで育ったということである。…私は…『土の器』のように本当に平凡な使い勝手のない男である。神様がやってみろと職業を与えるということは、こういう弱いもの——「土の器」——だけれども、それを使ってみるということによって、神様の力を皆さんがわかるようになる、というようなことをパウロが言っている。…国会に400回近く行ったり、海外に行ったり、いろいろなことがあった。明日何が起こるかわからないといったこともあったり。そういう時でも、私は三つのことをいつでも口ずさんでいる。…イザヤ書という中に、『怖れるな、私は汝とともにある』という言葉がある。『主、共にいます』ということ。これが一つであり、神様はいつでも私のそばに付いていてくれている。二つ目は、『主、我を愛す』、これは、幼稚園の時に歌った歌だが、神様は私を愛してくれているということ。三つ目はやはり、『主、全てを知りたまう』、神様は、どんなことがあっても全てのことを知っており、全てを知った上で正しい判断を行い、正しい事をやっていれば、神様は守って下さるということ。そういう極めて単純な信仰を持って、事にあたって来たつもりである。」当時の記者の一人は、「私にとって、この小柄な老人は、日銀総裁としてよりもキリスト者として強く記憶された。そして速水さんを取材すればするほど、『帰るべきところ』をもつ人なのだと感じ入ることになる」と語っています。

私たちがピラトと群衆を反面教師として学びながら心に留めたいのは、私たちは誰をおそれて生きるのか、ということに尽きるのではないでしょうか。この時の彼らの視界には神さまが入っていなかった。

今、この礼拝で神さまのみ前におりますが、神さまのみ前こそが私たちの「帰るべきところ」、そして常に、共におられる神さまのみ前に生きる者として、歩ませていただきたいと願います。
お祈りします。