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主日共同の礼拝説教

ペトロの姑のいやし

饒平名丈神学生
歴代誌下15章1-8節
マルコによる福音書1章29-34節

2022年6月19日

Ⅰ.ペトロのしゅうとめのいやし

高座教会での神学生研修が4月に始まってから、2ヶ月が過ぎ、皆様には本当に温かく迎えていただき、また、お祈りに覚えていただきましたことを心から感謝申し上げます。高座教会にて研修させていただけることは本当に大きな恵みであり、将来に向けての良い備えの期間として神様から与えられた大切な時と思っております。
さて本日は、日毎の糧の聖書日課に従って、マルコによる福音書の1章29節から34節より学んでいきましょう。最初に、マルコによる福音書1章の全体像を見渡し、「ペトロのしゅうとめのいやし」の前の部分からどのようなことがおきていたかを確認しておきたいと思います。
主イエスはヨハネから洗礼をお受けになった後、故郷ガリラヤでの宣教を始め、「神の国が近づいた」こと、そして悔い改めるようにと教えます。最初に4人の漁師を弟子にするのですが、先ほど読んだ聖書の箇所に出てくるシモン(またはペトロ)は、この主イエスの最初の弟子となった人物でした。
主イエスは安息日に会堂で教えましたが、人々には権威ある教えとして驚きの念をもって受け取られていたようです。また、汚れた霊にとりつかれた人を癒し、これもまた神のみがなさることのできる不思議なわざとして人々は驚いたのです。こうして主イエスの評判はガリラヤ地方の隅々にまで広がった、と聖書は記しています。
さて、主イエスは会堂で教えられた後、一行はシモンとアンデレの家に行った、とあります。家の住人であるシモンとアンデレだけでなく、ヤコブとヨハネも一緒に行ったのですが、このシモンとアンデレの家は、会堂のすぐ近くにあったようです。ですから、推測するに、会堂での主イエスの教えに驚いた人々がその他にも大勢ついていったのではないかと思われます。
さて、マルコによる福音書のこの箇所を読むと私は疑問に思うことがあります。30節です。
「シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。」
シモン・ペトロのしゅうとめとありますので、シモンには妻がいる、ということです。人々が主イエスにしゅうとめの病気を報告する前に、普通ならシモンの妻がおそるおそるシモンにお願いして主イエスに母親の病気の癒しを依頼するものではないかと思いました。さらに、そもそもシモンが弟子として招かれた時の様子を1章16節から18節からみてみましょう。
「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを通っていたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『私に付いて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。」
ここで注目したいのは、「二人はすぐに網を捨てて従った。」の部分です。仕事を捨て、家族と別れて主イエスに従ったのです。ヤコブとヨハネにいたっては、父ゼベダイと雇人たちを舟に残して主イエスに従っています。つまり、主イエスに従うことは仕事を捨てて、家族とも別れて従っていったという厳しいことであったと私は勝手に思い込んでおりました。残された家族の気もちなどは書かれていませんが、働き手を失った家族の痛手は、相当なものだったに違いありません。シモン・ペトロもまさか主イエスが自分の家に来て妻の母をいやしてくださるとは思いもよらぬことだったのではないでしょうか。ペトロのしゅうとめに目を留められた主イエスの行動は、弟子たちとその家族をも大切に扱い愛を示してくださるものでした。31節に次のようにあります。
「イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は引き、彼女は一同に仕えた。」
まるでごく普通の日常生活の一部を描くようにこのいやしが説明されます。ここには働き手を失った家族からの文句などは聞こえてきません。主イエスがシモンのしゅうとめのそばに行って、手を取って起こされると、熱は引いて、彼女は食事の世話をするようになったというのは、なんだかほのぼの感さえ伝わってくるように思われました。家族というのは、私たちの身近な存在であり、日々の暮らしを共にする人々です。その人のいやしは、大きな安堵を本人は勿論、家族にももたらしたことでしょう。
しかしながら、このような日常を、マルコはなぜ記録に残したのでしょうか。

Ⅱ.主イエスの宣教といやし

マルコによる福音書1章32~34節をみてみますと、「夕方になって日が沈むと、人々は病人や悪霊に取りつかれた者を皆、御もとに連れて来た。町中の人が戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちを癒やし、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊がイエスを知っていたからである。」「夕方になって日が沈むと」とは安息日が終わるとすぐに、ということです。安息日にはやっていいことが限られていました。歩く距離も、病人をいやすことも、制限がありました。ですから、安息日が終わるのを人々が今か今かと待っていた様子がここからうかがえます。そして多くの病人や悪霊に取りつかれて苦しむ人が主イエスのもとに連れてこられたのです。主イエスは連れてこられた大勢の人たちをいやしました。この大勢の人々のなかには、主イエスの会堂での教えに感動した人々も含まれているでしょう。いやしのわざだけでなく、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」というメッセージも主イエスは伝えたのではないでしょうか。プライベートな日常の生活のなかでおきた「ペトロのしゅうとめのいやし」ですが、体のいやしと同時に、福音のメッセージが主イエスに従う者たちの家族にまで広がり、その恵みが伝わっていったのではないかと思うのです。

Ⅲ.義理の父の受洗

少し自己紹介を兼ねて私自身のことをお話しさせてください。私は高校2年生の時に受洗しました。私の住んでいた那覇から30分ほどバスで行く浦添市というところにある沖縄キリストの教会というところでした。教会の近くには、実話に基づく戦争映画で有名になった「ハクソー・リッジ」という崖があります。この米国映画は、第二次大戦の沖縄戦で銃をとることを拒否しつつ、衛生兵として「ハクソー・リッジ」の戦いに参加した一人のクリスチャン、デズモンド・ドスの体験を描いています。沖縄戦では、実際に私の伯父は矢矧という駆逐艦で戦艦大和とともに海でなくなりました。伯母はひめゆり部隊の生き残りの一人です。戦争が如何に悲惨なものであるかは親戚や家族から聞かされ、近くの芋畑をちょっと掘るだけで、銃弾が出てくる、そのような場所自体が戦争の事実を示してくれました。
その戦争の悲惨さを後世に伝えるべき世代にありながら、私は金網の向うにある米軍住宅の緑の芝生が眩しくて、自分で努力さえすれば、あのような生活を手に入れることができる、だからアメリカ人に負けないように努力するのだと思っていました。それと同様に、信仰も自分で努力して、悪や罪と戦って得るものであると頭のどこかで考えていたのでしょう。受洗から約40年、表面的にはかろうじて教会生活を継続していましたが、信仰面ではうすっぺらなものでした。
このような信仰生活に変化が与えられたのは義理の父の受洗でした。銀行員であり、あるお寺で座禅会の会長までしていた義父でしたので、クリスチャンにはならないだろうと私は勝手に決めつけていました。しかし、病のために入院し、日々症状が悪化していく中、義父は亡くなる4カ月前に92歳で病床受洗しました。義父の受洗後、病室でともに聖書を読み、讃美歌を(小さな声で)歌い、祈る時が与えられたのです。義父の受洗は、まさに常に逃げ回っていた私を、再び主の十字架に立ち返えらせてくれました。再び主のまなざしを仰ぎ見るようにと、神様が用意してくださった悔い改めの時でした。主の御言葉に飢え渇き、御言葉が語られるのを待っている人が身近にいることに気づかない、愚かで怠惰な僕のような、その僕そのものの自分の半生を振り返らざるを得ない体験でした。
シモン・ペトロの場合はしゅうとめでしたが、今日の聖書箇所を読んで私はどうしても義理の父の魂のいやしと救いのことを考えざるを得ませんでした。私の沖縄の実の父は、私が25歳の時に亡くなりました。実の父とは十分に主イエスの福音のことを語り合うことが出来なかった後悔があります。しかし神様は不思議な導きにより、義理の父と福音を語る機会をくださったのです。それは義理の父の魂の救いだけでなく、私自身にとってもいやされ、救いを感謝し、主イエスに確かに従っていこうという決心をもたらす機会となりました。

Ⅳ.キリストに従う

私が高座教会で研修を始めて2ヶ月ほどの間、本当に驚いたことがあります。それは、何世代にもわたり信仰が継承されている方々がおられることです。私の40年もの会社員時代に出会った方々のなかには、昔教会に通ったことがある、親がクリスチャン、キリスト教主義の学校に通っていた、という方々がおられます。私は自分の親兄弟含めて、「かつて御言葉にふれたことがある。でも今は興味ない」という方々へ再び御言葉を伝えることへの困難さを覚え、祈るしかない場面に出会うことがあります。
主イエスはペトロのしゅうとめのいやしを通して、家族へ広がる愛を示してくださいました。ペトロのしゅうとめがその後どうなったかは記されておりません。しかし、ペトロの妻については、パウロ書簡であるコリントの信徒への手紙1の9章5節をみてみますと、「私たちには、他の使徒や主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか。」「信者である妻を連れて歩く」とあり、ケファ(シモン・ペトロのこと)の妻はペトロと一緒に伝道旅行に付き添った可能性が示されています。なんと素晴らしいことでしょうか。
主のいやしのわざは、病などの肉体的ないやしだけでなく、より重要で大切なこと、すなわち「神の国」がすでに始まっているということ、今ここに、人々のあいだに、日常生活の只中に、主が共にいてくださること、そのことを告げ知らせ、新しい時代が始まっていることの証しでもあります。だから私たちも主に従う者として、「神の国」を家族にも、そして私たちの周囲にいる人々にも知らせていくのです。「シモン・ペトロのしゅうとめ」がいやしのあとすぐに立ち上がり、主から受けた恵みの応答として、主につかえ、一同をもてなしたように、私たちも主に応答し、ご奉仕させていただくのです。不思議な導きをもって、家族や私たちの周囲にいる一人一人を、その恵みのなかに主は招いておられるのです。主イエスはたしかに私たちに「悔い改め」を求めておられます。しかし、それは私たちを裁くためではなく、愛をもって、罪びとの罪を赦す神として、私たちに関わろうとしておられるのです。私たちが普段考える方法を超えて、不思議な導きをもって、家族や親しい者たちをもその恵みのなかに招いてくださるのです。
Amazing Grace! 驚くべき恵みに感謝しましょう。