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主日共同の礼拝説教

イエス・キリストの証人アンデレ

松本雅弘牧師
エゼキエル書34章23-31節
ヨハネによる福音書1章35-42節
2022年8月7日

Ⅰ. 私たちは神の作品

主イエスは、公生涯の初めに、弟子たちをお選びになり、宣教活動を始めていかれました。その中でも特に、ヨハネ福音書では、どちらかと言うと、印象の薄い弟子たち、具体的にはアンデレ、フィリポ、そしてナタナエルですが、彼らがどのように主イエスの弟子として招かれたのかが伝えられています。今日は、その一人、アンデレという人物に焦点を当てて御言葉に聴いていきたいと思います。

Ⅱ. アンデレという人物

福音書を丁寧に読んでみますと、実は、アンデレという人物が、後に主イエスの弟子として、その名が紹介される人たちの中で最初に主イエスに出会った人物であることが分かります。アンデレは、のちに十二弟子のリーダー格になるペトロの兄弟、ペトロの弟だったのではないか、と言われていますが、その職業もペトロ同様、漁師でした。
共観福音書に比べれば、「アンデレ」に関して比較的多くの情報提供をしているヨハネ福音書さえも、やはり「アンデレ」を、「兄弟シモンの陰に隠れていた人物」として扱っているように見えます。ただ福音書を書いたヨハネが、意図してそう紹介しているというよりも、何よりアンデレ自身がそうした人物だったということでしょう。
こうしたことを踏まえながらアンデレのことを考える時に、第一にアンデレという人物は真剣な求道者であったことを聖書は伝えている点に注目したいと思います。
35節を見ますと、「ヨハネは、二人の弟子と共に立っていた」とあります。さらに40節には、「ヨハネから聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった」とありますから、この時、アンデレは洗礼者ヨハネの弟子だった、と福音書は伝えているわけです。
そうした中、洗礼者ヨハネが主イエスを指さし、「見よ、神の小羊だ」と語った。ちょうど前日にも、洗礼者ヨハネは、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と主イエスを紹介しています。洗礼者ヨハネからこうした言葉を聞いたアンデレは、「イエスに従った」のです。
聖書学者に言わせますと、アンデレという人は当時のユダヤ教の教えに満足していなかった人だった、と分析しています。ですから彗星のように現れた洗礼者ヨハネに魅力を感じ、アンデレはその弟子となった。その洗礼者ヨハネの教えの根幹とも言える、ナザレのイエスが「世の罪を取り除く小羊」で、そのイエスに従うことこそ、自らが師と仰いだ洗礼者ヨハネの教えであり、ヨハネに対する最大の感謝表明であった。ですから、アンデレは主イエスに従ったのだ、とヨハネ福音書は伝えている。ですからアンデレという人物は、真理を大事にする真剣な求道者であったことが分かるのです。
第二にアンデレは主イエスを紹介する証し人だった、ということです。
洗礼者ヨハネから紹介された主イエスと出会い、一晩の交わりをいただいた翌日、彼が先ずしたことは、兄弟シモンを主イエスの許に連れて行くことでした。しかもそれはこの時だけではありませんでした。アンデレが登場する聖書箇所を読みますと、彼は必ずと言っていいほど、誰かを主イエスの許に連れて行く役割を果たしています。五千人の給食という奇跡の場面でもそうでした。また、十字架にかかるために主イエスがエルサレムに入城なさった直後でしたが、何人かのギリシャ人がやって来た時もそうでした。アンデレは、そこに居る人を主イエスの許に連れて行ったのです。
主イエスのところにお連れする、そして、あとは主イエスにお任せする。このスタイルに徹したのがアンデレでした。
アンデレの特徴の三つ目は、彼はわき役に徹した人物だったということでしょう。この福音書はアンデレのことを「シモン・ペトロの兄弟アンデレ」と紹介しています。アンデレは、繰り返し「ペトロの兄弟アンデレ」と呼ばれていたのです。ペトロが「主」であるとすれば、アンデレはいつも「従」の立場におりました。ただ俳優でも「名脇役」と呼ばれる人がいるようにアンデレも単なる脇役ではなく「名脇役」だったと思います。
大人物ではありません。むしろ目立たないタイプ。周囲をハッとさせるような大きなことはしなかった。いや、できなかった。でも彼の生涯を特徴付ける一つのことに徹した。それは人を主イエスのもとにお連れすることでした。

Ⅲ. 私たちの「アンデレ」

このアンデレが兄弟ペトロをイエスさまの許に連れて行ったのです。私たちはこの事実を決して忘れてはならないように思うのです。確かに大きなことはしなかったけれども、初代教会の指導者ペトロを主イエスに紹介したのはアンデレだった。アンデレなくしてはペトロがなかったと言うのは言い過ぎでしょうか。
一人の教会学校の教師がいました。彼は祈りの内に、靴屋で働く若者のことが気になってしょうがなかった。その若者にイエスさまのことを知らせなければ、と言う強い促しを心の中に感じたそうです。でも躊躇していました。語るべきことは分かっていたのですが勇気がなかったからです。でも主に祈り、主から勇気をいただいて靴屋に入って行って、その若者にイエスさまのことを話したそうです。その結果、後に多くの人々をキリストに導く伝道者ドゥワイト・ムーディーの悔い改めが起こりました。
私は高校生の時に、私をキリストに導いてくださった宣教師に連れられて、シカゴにあるムーディー聖書学院に行きました。今お話ししたムーディーが始めた神学校です。すると宣教師は「私はこの学校で学びました」と話してくださったのです。
若い頃、ムーディーの伝記を読み、その回心の物語を知った時、私はその無名の教会学校の先生が、「アンデレ」に思えました。
実は、私たちの周りでも、こうしたことが繰り返し起こっているのではないでしょうか。歴史に残るようなクリスチャンの背後に、その人に主イエスを伝えた、名も知れぬ「アンデレ」がいた。いや、私たちにとっても「私たちのアンデレ」がいてくれたからこそ、今の私があるのではないか、と思います。

Ⅳ. ぶどうの木であるキリストにとどまり続けたアンデレ

もう一度、ヨハネ福音書に戻りたいと思いますが、アンデレのこうした力の源泉はどこにあったのか。39節をご覧ください。
「イエスは、『来なさい。そうすれば分かる』と言われた。そこで、彼らは付いて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。」
アンデレはイエスさまに付いて行った時に、その泊まっておられるところに行きました。彼はそこでイエス様に出会います。ちっぽけな自分を主は見出してくれた。宝物としてくださった。そして、です。ここで「泊まる」と訳されているギリシャ語は、実は皆さんよくご存知のヨハネ15章5節にある「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」とありますが、この「つながる」という言葉と全く同じ言葉が使われています。
主イエスの許に連れて行く。主イエスに人を引き合わせる。単純なことのように思いますが、先ほどのムーディー青年にイエスさまを紹介する時、本当に勇気が必要でした。あの無名の教師のように、人を主イエスの許に連れて行くことは骨の折れることでしょうし、勇気のいることでしょう。でもアンデレはそれを生涯やり通した。そして、その原動力は、主イエスのところに「泊まる」。言い換えれば、ぶどうの木であるイエス・キリストにつながり続けることにあったのです。
実は、38節の「何を求めているのか」と言う言葉が、ヨハネ福音書に紹介されている最初の主イエスの言葉です。アンデレをそのように導いてくださった。そう投げかけた上で、「来なさい。そうすれば分かる」との導き、そしてアンデレはその主の招きに従い、主イエスの許に行ったのです。そうして主が言われた通り、「分かった」。「分かる」という経験をさせていただけた。本当に、イエス・キリストという救い主、人生の主に出会えた。そして生まれて初めて、深い、心の満足を経験したのでしょう。そして、その満足が絶えないようにと、彼は、主イエスの許に泊まった。言い換えれば、ぶどうの木であるイエスさまにつながり続けたのです。
私たちは神の作品であり、それぞれにユニークさがありますが、しかし作品である誰もが、作者である神さまの素晴らしさを証しする者として、この世に置かれていることを覚えたいと思います。アンデレは、人と会ったら、その人を主イエスの許にお連れすることに徹しました。私たちはどのように、神さまの素晴らしさ、またイエスさまご自身を証しするかどうか分かりませんが、ただ共通していることは、主イエスとの出会いの喜び、力、そして勇気をいただくために、ぶどうの木であるイエス・キリストにつながり続けることに違いはない。ぜひ、このことを覚えて歩んでいきたいと願います。
お祈りします。