和田一郎副牧師
申命記6章4-15節
エフェソの信徒への手紙4章17―32節
2022年8月28日
Ⅰ. いとも簡単に変わる世界
8月は原爆投下の日や終戦記念日がある月ですので、戦争の悲惨さを振り返る月でもあります。今年は終戦から77年が経ちました。この77年間というのは、ひとえに平和を願う年月であったと思います。戦争に負けたから戦争に勝てる国にしようと思った人は少ないでしょう。戦争という悲惨な出来事がない世界を日本だけではなくて世界中が切望していたと思うのです。インターネットを始めとする新しい科学技術の発達が、国境を越えて世界を繋ぐ平和な社会を作っているのではないか?そんな期待が、今年2月のロシアによるウクライナ侵攻によって、簡単に壊されてしまった思いであります。この戦争によって、私たちの生活にも影響が出てきました。思えば2年前から続いているコロナ感染も、私たちの生活を変えました。私たちの礼拝、集会の在り方も、これほどの変化を見たことはありません。「いとも簡単に世界は変わってしまう」。そのことを目の当たりにしているのではないでしょうか?また病気やケガをすることで生活が一変するということがあります。病気一つで、いとも簡単に自分の生活は変わります。大切な人を失った時も同様であるでしょう。
しかし、それは今の時代に限ったことではありません。キリスト教会は2千年の間「いとも簡単に変わる世界」を乗り越えてきました。東日本大震災、二度の世界大戦を乗り越えてきました。宗教改革やパウロが宣教していた時代にあったローマ帝国の迫害も乗り越えてきたのです。パウロがエフェソに手紙を送ったのは、ローマの監獄の中にいた時だとされています。
ですから少し前までは、パウロも自由に地中海周辺の国々を旅して宣教していた。しかし、今は監獄の中に閉じ込められている。ローマ帝国のキリスト教に対する政策がどのようになっていくのか分からない、先の見えない世の中で、パウロは手紙を書きました。私たちも今、同じこの手紙を読みながら、いとも簡単に変わってしまう世界に生きていますが、パウロが私たちに伝えたいメッセージは「真理はイエスの内にある」(21節)ということです。その真理に従って生きることを24節で「神にかたどって造られた新しい人を着なさい」と生きる指針を与えています。「神にかたどって造られた」とあるように、私たち人間、特にイエス様との出会いによって変えられた者は、神に似た性質をもっています。それは「新しい人」というアイデンティティとなっていて、「新しい人」というアイデンティティをもって生きなさいという教えです。「新しい人を着る」という生き方がある。それは時代がどのように変化しても、キリストによって「新しい人」とされた、人の在り方を、パウロは何よりも勧めているのです。
Ⅱ. 「古い生き方」と「新しい生き方」
今日の聖書箇所のはじめ17節の見出しには「古い生き方を捨てる」とあります。古い生き方は神を信じない生き方です。神ではなく自分中心の生き方をパウロは「古い生き方」と呼んでいます。一方で25節の見出しには「新しい生き方」とあります。これがキリストに従い「新しい人」というアイデンティティをもつ人の具体的な生き方を示しています。
この25節以降に書かれた生き方を、私たちはできるであろうか?と問われているのです。おもに4つのことについてパウロは勧めています。25節「偽りを捨て、一人一人が隣人に真実を語りなさい」。28節「必要としている人に分け与えることができるようになりなさい」。29節「その人を造り上げるために必要な 善い言葉を語りなさい」。32節「互いに赦し合いなさい」ということです。特に赦し合うというのは本当に難しいことですが、イエス様が十字架に架かって死んでくださった目的が、私たちを赦すためだったのですから、これに倣って、赦されているのだから赦すことは、新しい人の生き方の中心と言ってもいい大切なことです。「真実を語る」「分け与える」「善い言葉を語る」「互いに赦し合う」。これらは、いとも簡単に変わってしまうような世界を生きていて、先が見えない世の中だと思えたとしても、足元のこと、つまりキリスト者としてのアイデンティティをしっかり持つことこそが、教会をしっかりと建て上げ、世の中で光を放っていくことであると勧めているのです。ところで、パウロのいう「新しい人を着る」という「新しい人」とはどんな人だと言えるのでしょうか。
Ⅲ. ちいろば先生が出会った「新しい人」
私はかつて20年以上、会社務めをしておりましたが、牧師という働きについて祈っていた時に、よく読んでいた本が榎本保郎牧師の生涯を綴った「ちいろば先生物語」という三浦綾子の本でした。「ちいろば」というのは小さいロバのことです。イエス様がエルサレムに入城した時に乗っていた小さい子ロバのようにイエス様に仕える者でありたいというので、榎本先生は「ちいろば先生」と呼ばれ親しまれた人です。榎本先生も、第二次世界大戦で出征して帰って来た人ですから、いとも簡単に世の中の価値観が変わってしまった時代の中で、生きる目的を失っていた人でした。戦争に出征するまでは信仰を持っていなかった、つまり今日の聖書箇所でいう「古い人」でした。しかし、戦争を通して「新しい人」に生まれ変わったのです。榎本先生が生まれ育った淡路島にいた少年時代は軍国少年だったそうです。お国のために役に立ちたいと熱心な少年でした。戦争が始まると満州に出征するのです。そこで、同じ部隊の戦友で奥村という男と出会います。この奥村は剣道は部隊で一番、勉強も幹部候補生の試験で千人以上いる受験生の中で1番の成績でした。しかし、面接で宗教を聞かれた時に正直にクリスチャンだと答えたので35番に落とされた人でした。キリスト教は敵国の宗教ということで認められなかったのです。しかし、榎本青年は、この奥村という戦友が文武に秀でた人格者でしたが、クリスチャンだと正直に言ったために1番から35番に下がった、そのことが次第に重大なことに思われてきたというのです。戦地で二人が別れる時に、奥村が「どこにいてもおれは貴様が救われることを祈っている」と告げました。当時の榎本青年は軍国青年でヤソ嫌い、つまりキリスト教をうさん臭いと思っていたので「俺は神様に救うてもらうような悪者やあらへん。俺は正しい男や、悪いことができない男や」と答えた。奥村は「またいつか会った時、貴様は同じことをいうやろか」榎本は「言うとも、俺は大日本帝国軍人として恥ずかしくなく生き、恥ずかしくなく死ぬ」と断言した。それでも奥村は「貴様にもおれの言葉が必ず思い当たる日が来る。神よ赦し給えと叫ぶ日が来る」とはっきり言って別れたのです。戦争が終わって帰国した時、榎本青年は虚しい思いで過ごしていました。「結局、おれは満州でつまらんことをして生きていた。恥ずかしいことをして生きていた。胸を張って威張れることは何一つせんかった」と思えて、奥村の言葉が忘れられなくなっていたのです。
また、終戦を迎えた時に榎本青年は満州にいました。満州には200万人とも言われる日本人がいました。1930年代から終戦の年まで、日本は中国を侵略し続け、中国人にむごいことをし続けたのです。敗戦国となった日本人は、満州から一斉に引き揚げなければならなくなった。侵略されて苦しんでいた中国人が仕返しをしてくるかも知れない。そのような命がけの引き揚げの中で、軍人も民間人もコロ島という港町に行って、帰国するための船を待たなければならなかった。榎本青年も帰国するための船を待っていました。船が来るまで数か月待たされる人もいた。しかし、その間の食糧はすべて現地の中国人が提供したのです。100万人を超える人たちが食べる食料は膨大です。その時榎本青年は当時中国の指導者だった蒋介石の言葉を現地のラジオで聞いたと言うのです。
「恨みを報いるために恨みをもってなさず、恩をもってなすべし。日本人の生命財産に危害を加える者は厳罰に処す」という言葉でした。「恩をもってなすべし」の恩というのは恩寵という意味です。神の恵み「グレイス」を、かつては恩寵という言葉で表していました。恨みではなく恵み、つまり見返りを求めない、与える心で日本人に接するように命じたのです。誰かが蒋介石はキリスト教徒だと言っていたことを榎本青年は思い出した。戦友だった奥村もクリスチャン、蒋介石もクリスチャン。終戦後に帰国し、生きる目的を失った榎本青年の心に浮かんだのはキリスト者の生き様でした。榎本保郎にとって彼らは「神にかたどって造られた、新しい人」を着た人でした。
今日のパウロの勧めの言葉25節「真実を語りなさい」とあります。戦友だった奥村は幹部候補生の面接試験で、正直に自分がクリスチャンであることを語りました。真実を語るというのは、ただ単に正直に話すということではなくて、神の御心に適った言葉を語るということですね。奥村は戦地においてもキリスト者としての姿勢を崩しませんでした。榎本青年は満州で、恥ずべきことをしたと振り返りました。状況がそうだったのです、時代がそうだった。今でも時代がそうだから、と時代に合わせる風潮があるかと思います。しかし、その時代の風潮に真理はありません。真理はキリストにあって、キリストを証しする者の生き方というのは、神の御心に適った真実を語るということです。その言葉は人を励ましたり、人の生き方を変える力があります。榎本青年は奥村の真実な言葉に触れて、生きる目的を見つけたのです。
28節以降にある、分け与えること、善い言葉を語ること、互いに赦し合うこと。満州からの命がけの引き揚げの時、榎本青年が聞いた蒋介石の言葉は、「恨みではなく、恩寵という恵みをもってなすべし」という言葉でした。「日本人の生命財産に危害を加える者は厳罰に処す」という言葉の中に「分け合うこと」「赦しの心」が盛り込まれていて、キリストの教えが現れているのではないでしょうか。戦争が終わって77年が過ぎました。今、中国や日本は互いに赦し合うことや、互いに分け与えるといったことから、ほど遠い歩み方をしているように見えます。この先も、いとも簡単に生活が変わってしまうことがあるかも知れない。しかし、私たちはどのように在るべきかを選べる自由があります。どのような時でも、古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着て生きていきたいと思うのです。
21節「あなたがたは、真理はイエスの内にある、とキリストについて聞き、キリストにおいて教えられたはずです」。
お祈りをいたします。